小十郎から指輪をプレゼントされたのは、政宗がクラスメイトとの飲み会からさらわれた翌日の土曜日のことだった。
「本当は、もっと早く贈りたかったのですが」
オーダーメイドのため、どうしても日数がかかってしまった。と小十郎は説明する。
スタイリッシュなプラチナ細工にサファイアとエメラルドをあしらったリングは、政宗の左手の薬指に驚くほど馴染んだ。
「小十郎?」
答を予感しつつも意味を問う政宗に、小十郎は微笑みかける。
「まだ、証しの指輪をお贈りしておりませんでしたからな」
「……っ!」
「永きに亘り、口約束だけで申し訳ありませんでした。ようやく政宗様に証しをお贈りすることができました」
小十郎が政宗と婚約を交わした頃、政宗もまだ子供だったが、小十郎も就職したばかりでなんの財力もなかった。輝宗の前で結婚を誓い、結納品も婚約指輪もない代わりに血判を捺した誓紙を捧げて、小十郎は政宗を手に入れた。
それから6年。成長した政宗と再会し、その心が変わっていないことを確信した小十郎は、世間では無名だがその道では超一流と言われるジュエラーに指輪をオーダーした。
政宗の誕生石であるサファイアと自身の誕生石であるエメラルドを配した、世界にたった一つの指輪。金額に糸目をつけずに発注したその指輪は、政宗の威厳にふさわしい風格を備えていた。
「こんなのなくたって、俺はおまえのもんだ……」
一流を見抜く審美眼を備えた政宗には、指輪の質が一目でわかる。指輪がなくても気持ちは変わらないと告げつつ、それだけのものを用意してくれた小十郎の気持ちが苦しいほど嬉しかった。
涙声の政宗の頬をそっと撫で、小十郎は「わかっている」と仕草で伝える。
「政宗様が安易に心変わりされるとは、思っていませんが」
真意を訊ねるように小十郎を見上げて首を傾げる政宗に、小十郎は慈しむ視線を向ける。
「小十郎が贈りたいのです。政宗様は小十郎のものだと示さなくては、いつ何時、不心得者が現れないとも限りませんので」
「小十郎?」
「小十郎とて、不安になることはあります。10も年上の小十郎は、政宗様から見たら世代の違う存在でしょう。同年代の感覚で会話ができる大学生には、とうてい太刀打ちできません」
苦笑いする小十郎の表情で、政宗は、小十郎には小十郎の苦悩があるのだと察した。それは、同じ会社員として小十郎に接することができる女性社員たちに政宗が劣等感を覚えるのと一緒だ。
「ばーか」
政宗の同級生にやきもちを妬く小十郎のことか、それとも小十郎の同僚にやきもちを妬く自分のことか。
いつになく柔らかい口調で吐き捨てた政宗は、小十郎の首に腕を回して抱きついた。
月曜日に大学へ行くと、いつものようにカフェテリアのいつもの場所に陣取った慶次と幸村が手を振る。政宗は手を振りかえして、近寄った。
「おはようござる、政宗殿」
「おはよう、政宗」
「おはよう。金曜日は悪かったな」
挨拶しながら座ると、幸村も慶次も、によによと笑いながら首を振った。
「いいってことさ、あれじゃ片倉さんだって心中平静じゃいられないだろ」
「なにしろ、入るなり囲まれ申したゆえ。間に合ってようござった」
どういうことだ?と視線で訊ねる政宗に、慶次がタネ明かしをする。
「俺が片倉さんにメール送ったんだよ。政宗が取り囲まれて大変ですって。……俺や幸村は彼女もいないし、フッた女の子以外に悲しませる相手はいないけど、政宗は違うだろ」
「それで小十郎が来たのか……。道理で過保護が過ぎると思ったぜ」
ようやく合点がいったと政宗が仕方なさそうなため息とともにうなずくと、慶次は幸村と顔を見合わせて苦笑した。
「いや、メール送ってたいして経ってないうちに来たから、たぶんメール送る前から店に向かってたと思うけど」
「それがしも、片倉殿が到着するまで小一時間はかかると思っていたでござる」
「さすが、過保護キングだよな」
「…………マジかよ」
おおかた、もともと車で店に向かっていたところに慶次からメールが入って、アクセルを思いっきり踏み込んできたとか、そんなところだろう。よく警察にスピード違反で検挙されずに済んだものだ。
「そのかわりと言ったらなんだけど、あのあと政宗と片倉さんのこと、根掘り葉掘り訊かれたから、答えられる範囲で答えといたよ」
「は!?」
「さよう、子供のころからの許嫁だと説明しておき申した」
「あ、でも、片倉さんのプロフィールは伏せといたぜ。そこはプライバシーだろ」
「あと、政宗殿が襟の高い服を好む理由も、隠し通し申した」
「てめえら……」
慶次と幸村がずっとによによ笑っていた謎が解けて、政宗はうなるようにつぶやく。隠し通したという情報は、いらない憶測を呼ぶからむしろ話して欲しかった情報だった。小十郎は極道ではなくただの会社員だし、政宗が襟の高い服を好むのは前世からの習慣だ。深い意味など何もない。なのに、『慶次と幸村が隠した』ことを理由に、聞いた者は意味深に想像することだろう。
金曜日の飲み会のメンバーは、政宗が通う経営学部の必修授業の履修学生だ。つまり、学部の同級生全員に知れ渡ったのと同じこと。今日から、別の意味でも遠巻きにされる。あるいは、飲み会の時のように、今度は恋バナ好きの女子に質問責めにされる。それが手に取るように想像できて、政宗は一気に憂鬱になった。
「そのあとどうなるかわかっててやっただろ」
恨めし気な政宗に、慶次と幸村は肩をすくめる。
「前世からの仲間は、政宗だけじゃないからね」
「同じ男として、片倉殿に手を貸さずにはいられなかったのでござるよ」
日頃、政宗と小十郎に当てつけられる一方の二人は、仕返しするめったにない好機を捕まえて逃がさなかったというわけだ。
「ちくしょう、覚えてろよ」
政宗が悔しそうにぐしゃりと前髪を掴んだとき、手元のなにかが窓から差し込んだ陽の光を乱反射した。
金曜日にはなかった、光。聞かなくても、それがなにかわかる。左手の薬指で誇らしげに輝くもの、と言ったら。
ああ、だから小十郎は、飲み会の会場に現れてまで政宗を迎えに来たのか。過保護にしか見えない行動の裏側に気付いて、慶次と幸村は顔を見合わせる。それでも過保護であることに変わりはないけれど……
「ま、すこしくらいは許されるよな」
「それがしたちの被っていることに比べれば、まだまだ温うござろう」
意見が一致した二人は、苦い顔の政宗を微笑ましく見守ることにした。