「おまえ、前髪降ろしてると若く見えるな。悪くねえぜ」
流れるプールで浮き輪に乗り、流されながら、政宗はすぐ隣で歩く小十郎の前髪に手を伸ばした。
スライダーで小十郎の髪はすっかり崩れ、いつもはきっちりとセットされている前髪が、いまは無造作に降りている。社会人らしさが薄まって、頬の傷も隠れ、いつもの迫力は姿を消していた。
反対に政宗は、濡れた髪をかきあげて額を出したせいで、いつもより大人びて見える。
「若いもなにも、小十郎はまだ20代ですが」
思わず難しい表情になった小十郎に、政宗はくつくつと笑う。
「お前が変な貫禄あるのがいけねえんだよ。20代に絶対ぇ見えねえもんな」
「ひどい言われようですな」
「特別老け顔にも見えねえのに、なんでてめえはこんな年上に見えるんだろうな。俺の親父だって言っても、信じる奴とかいそうだよな」
「政宗様」
流石に聞き捨てならないと、小十郎は政宗が乗る浮き輪に手を伸ばす。そして、ぐっと浮き輪を水に沈め、ひっくり返した。
どぼん!と水中に放り出された政宗が体勢を立て直す間も有らばこそ、小十郎はその体を抱き上げる。水の上に顔が出て、ぷはっと大きく息を吐いた政宗は、無意識に小十郎の肩に腕を回しながら抗議した。
「てめ…、小十郎、なにしやがる!」
「政宗様が悪いのですぞ。小十郎の年齢をからかったりなどなさるな。好きで10も離れているわけではありませぬ」
至近距離から小十郎の真剣な眼差しに見つめられて、政宗も自分が言い過ぎたと気付く。
小十郎自身は年が離れていることを気にしているように言ったが、政宗は小十郎が持つ〝年上の包容力〟を気に入っていた。現世で再会した時も、10歳離れていることを知って喜んだくらいだ。
それをからかうのは、間違っている。
「sorry. 調子に乗って言い過ぎた」
神妙に謝って、きゅっと小十郎に抱きつくと、小十郎は露わになっている政宗の耳に軽いキスをして許してくれた。
「わかっていただければ、それでよいのです」
「……うん」
小十郎の許しをもらってほっとした政宗は、〝ごめんね〟のキスをちゅっと小十郎に贈る。そして、ぐいっと小十郎の前髪を上げた。
「政宗様?」
「やっぱり、前髪降りてる小十郎を見ていいのは俺だけだ」
いつもきっちりと額を出している小十郎の前髪が下りているのは、風呂上りとベッドの中、そして寝起きのとき……政宗だけと共有するプライベートの時間のみだ。
「うん、男前」
いつもと同じオールバックの強面になった小十郎を満足そうに見て、政宗は小十郎の顔を両手で挟んで、もう一度キスをした。
「まっ、政宗殿……片倉殿……公共の場で、なんという破廉恥な……」
数メートル前方で抱き合ったままバードキスを楽しむ小十郎と政宗を視界に入れて、幸村はわなわなと震える。ウミガメのフロートに乗った佐助が、あきれ顔でぱしゃんと幸村に水を掛けた。
「破廉恥もなにも、周り見てごらん、旦那。抱き合ってるカップルの他は、学生グループか子供くらいしかいないから」
「佐助!」
「水着着てるって言ったって、みんなほとんど裸みたいなカッコしてるんだよ? テンション上がらないほうがおかしいでしょ、恋人同士なんだし」
「しかし……!」
「まぁ、なんだ。幸村も恋しい人ができたらきっとわかるよ」
「慶次殿!」
シャチに乗った慶次にまで心得顔で諭されて、幸村はいよいよ立場がない。瀬戸際に立たされた幸村は、水に潜りながら声に出さずつぶやいた。
「……政宗殿より魅力的な女子など、いるはずがのうござる」
波のプールで、元就は元親に手を引かれるまま、奥の深みに向かって歩いていた。
波をやり過ごしながら少しずつ奥に進んでいくのは、本物の海にはない不思議な面白さだ。所詮は人工だと言いながら、元親は楽しそうに奥へと歩いて行く。元就は元親と手をつないで、ひたすら元親について行っていた。
プールの水深は、いちばん深いところでも120cmしかない。だが、波の高さを加えると、プールの中ほど辺りからは、160cmに少し足りない程度の身長の元就は簡単に水没してしまう。
「ぅあっ」
すこし油断した隙に、波の勢いと人に圧されて、元就は元親の手を離してしまった。元親と逆方向に流されると思った瞬間、力強い腕が元就を引き寄せる。
「あっぶねぇ。大丈夫か、毛利」
「………大事ない」
元親に引き寄せられながら、元就はぷるぷると首を振って前髪の雫を飛ばす。元親は元就を抱き寄せているのと逆の手で、元就の前髪をかき上げ、顔の雫を払ってくれた。
「ちゃんと掴まえてなくて悪かった。また流されたらいけねえから、俺に抱きついてろ」
「うむ」
元親に促されるまま、元就は元親の首に腕を回し、しがみつく。そんな体勢でも、水の浮力のおかげで、元親には負担にもならない。
元親はそんな元就に満足そうな微笑みを浮かべて、細い腰を引き寄せた。
家康はプールサイドに座って、泳ぐ三成を見ていた。
競泳用の25メートルプールはガラガラに空いていた。レジャー用のプール施設に遊びに来て、競泳しようという者もそうはいない。そこに目をつけた家康が、三成を誘ったのだ。
家康のもくろみは正解だったようで、三成はガラガラの競泳用プールを気に入り、さっきからずっと泳いでいる。速度を競っているわけではないのびやかなクロールは、三成のしなやかな肢体を引き立てて、白いイルカが泳いでいるようにも見えた。
ふと、水中でくるりと向きを変えた三成が、家康のところに泳ぎ寄ってくる。なにかあったのかと待ち構えた家康を、足を着いた三成はまっすぐに見上げた。
「貴様は泳がないのか?」
「ワシか? まあ、泳いでもいいんだが……それよりも、泳いでいる三成を見ている方がいい」
「私の泳ぎなど見て、なんの意味がある。基本的な水術は、貴様も身に着けているだろう。見ていたところで、新たに得るものがあるわけでもあるまい」
家康は三成が泳ぐ姿に見惚れていたのだと、すこしも気付かずに、三成は怪訝そうな顔で家康を睨む。なにごともすぐに自己鍛錬に結び付ける三成の思考に、家康は苦笑した。
「……三成が思うような意味では、確かに、いまさら得るものはないがな」
そして、やおら立ち上がると、とぷん!とプールに入る。
「三成、いまから競争だ。先に50メートル泳ぎ切った方が、売店でソフトクリームをおごるのはどうだ?」
「いいだろう。受けて立つ」
「ただし、平伸でだ」
家康は自信たっぷりに古式泳法を指定する。前世での泳力を競う気なのだと気付いた三成は、ぎりぎりと眉を吊り上げた。
「望むところだ! 後悔するなよ、家康」
「ははっ、その意気だ。三成」
負けず嫌いな三成は真っ向から勝負を受ける。
三成と並んで泳ぎ始めた家康は、三成に勝ってもソフトクリームは買ってやろうと思いつつ、その代わりにキスをしてもらうと決めた。
結局、三成は勝つまで競争をやめなかったので、家康はソフトクリームをおごっただけでなく、キスも手に入らなかったのだが、むきになって何度も挑んでくる三成がとても可愛かったので、それでいいことにした。