「なんですか、これは?」
「妄想用婚姻届だ。面白そうだろ?」
ピンクのインクで印刷された用紙を挟んで、政宗と小十郎は向い合っていた。
某結婚情報誌の付録についていたそれを前にして、政宗はボールペンを手に取る。
「記入日、今日でいいよな?」
「はあ」
「付き合い開始と婚姻申し出、同じ日だったよな」
「そうですな。今生で再会したその日に、すべてが決まりましたから」
「確認事項7項目、全部マルでいいだろ?」
「二重マルでも足りませんよ」
サラサラと書き込んでいく政宗に、小十郎の想いの深さを当然のように告げる。一瞬、政宗の手が止まり、ほんのりと頬が赤くなった。
小十郎はふっと微笑を零して、政宗の他愛のない遊びに付き合うことにした。遊びとは言え、心にもないことを言うわけでもない。数年先まで実現することのない楽しみを、いますこし先取りしても、悪くないと思った。
「新姓は『片倉』でいいよな?」
「はい」
政宗の確認に、小十郎は幸せそうにうなずく。前世では、家臣の身でありながら政宗を手に入れる代償とでもされるかのように、公に政宗を妻として扱うことは許されなかった。400年の時を経て、ようやく政宗のすべてが自分のものになる実感を、〝妻になる人〟の氏名欄に『片倉政宗』と書かれることであらためて覚える。
「挙式日程は……」
「まずは、政宗様が大学を卒業なさらなくては」
「だよな。じゃあ、空欄。相手の呼び名は?」
「対第三者の呼び名ですか……。家内でしょうか」
「古臭くねえ?」
「ビジネス上では、それなりの言葉遣いをしないと、その程度の人間だと思われてしまうものですから」
「ふぅん? ……てことは、俺もおまえのこと主人って言わねえといけねえ?」
「それは、少し時代が変わりましたので、必ずしもそうとは。夫を『主』と呼ばせるのは、男尊女卑の典型だという人もいますし」
「まあ、そうだな。おまえにイニシアティヴ取られるのも悪くねえけど……じゃあ、夫って言う」
「次の欄は?」
「『ちなみに僕はうちの○○と呼んでほしい』」
「は?」
「○○のところを答えろってことだな」
さて、何と答えようか。考え始めた小十郎は、だんだんと気恥ずかしさがこみあげてきて、視線を泳がせた。
「政宗様は……どう呼ばれたいのですか?」
「俺……? そうだな……」
少し考えた政宗は、ゆっくりと漢字を一文字書き込む。
「前世じゃ、絶対にこう呼ばれることはなかったから」
嬉しそうに〝嫁〟と丁寧に書いた政宗に気恥ずかしさを吹き飛ばされて、小十郎は「では」と自分が書くべき欄を指差す。
「小十郎は〝連れ合い〟がいいです」
「連れ合い?」
「ええ。なんとなく、対等のように聞こえませんか?」
「そうだな」
どちらからともなく顔を見合わせて、ふふっと笑いあうと、次の欄に目を落とす。
「互いの呼び名?」
「小十郎は、政宗様がお好きにお呼びくださるのがいちばんですが」
「俺は要望があるぜ。『様』いらねえ」
「さま?」
「そう。もう主従関係じゃねえんだから、呼び捨てでいい」
「それは……さすがに恐れ多すぎます」
「だからそれがいらねえんだって」
むっとして言葉を重ねる政宗の様子で不毛な言い争いに突入しそうな気配を察した小十郎は、誤魔化すように次の欄に目を向ける。政宗を呼び捨てることは、いまのところ素面ではまずできない。
「理想の献立、朝食の希望……」
「おい小十郎」
「政宗様の料理は大変美味しいですから、なんでも嬉しいですが」
「きんぴらごぼうと焼ネギだろ」
「その二つは特に絶品ですね」
小十郎が強引に話を逸らしたことには気付いていたものの、小十郎の好物の話にはしっかり反応する政宗である。嬉しそうに笑う小十郎を見ると、ついほだされて、まあ今日はこの辺で勘弁してやろうなんて思ってしまったり。
「休日の二人の過ごし方か……。いままで東京と仙台で離れてたから、一緒にいろんなところ出かけてみてえと思うけど」
「政宗様と一緒でしたらどんな過ごし方でも理想的ですが、小十郎としては自宅でゆっくり過ごしたい気もします」
「そうか?」
「ええ。なにせ、人前ではこんなこともできませんので」
言うなり、小十郎はテーブルの上の政宗の手を取ると、ちゅっと音を立ててキスをした。
「……エロ十郎」
「政宗様が魅力的すぎるものですから」
しゃあしゃあと言ってのけた小十郎に、政宗は反撃の意を固めて次の項目に移った。
「じゃあ、これ。小十郎が帰宅したとき、俺が出迎えて『ごはんにする? お風呂にする? それとも……』」
「食事にします」
わざと雰囲気たっぷりに読んだというのに、小十郎はあっさりと夕食を選ぶ。この流れでそれはない、と恨みがましく小十郎を睨む政宗に、小十郎は余裕たっぷりに説明した。
「腹が減っては戦になりません。まずは腹ごしらえをして、そのあとゆっくり時間をかけてお相手いただきましょう」
「てめえ……! エロ十郎! おっさん! ムッツリ!」
悔し紛れに並べ立てる政宗にも小十郎はすこしも動じず、
「ですが、そのような小十郎を政宗様はお好きなのでしょう?」
「そうだよ、ちくしょう」
ふてくされながら即答で認める政宗があまりに可愛すぎて、小十郎は立ち上がるとすぐ隣に立つ。腰をかがめ、耳元に口を近づけて、
「キスは毎日するでしょう? どのタイミングで、一日何回ですか?」
そして、政宗が答える前に、その口をふさいでしまう。
「ん……」
小十郎のキスを受け入れた政宗は、甘えるように小十郎の首に腕を回した。
「何回でも……いつでも」
ねっとりと濃厚なキスの合間に返ってきた政宗の答えに満足して、小十郎は政宗を抱き上げた。
書きかけの『妄想用婚姻届』の記入の続きは、本物の婚姻届を書く日がもうすこし近づいてから。