ずっと傍に居るよ

 その日、いつものように遅く帰宅した小十郎は、家の様子がいつもと違うことに気付いた。

 いつもなら、リビングに明かりが点き、夕食の匂いが漂い、時として政宗が動き回る足音がする。だが、今日は家の中はしんと静まり返り、人のいる気配がしなかった。リビングには明かりが点いていることで、少なくとも一度は、政宗が帰宅したことは確かだけれども。

 小十郎が帰るまでに戻れない外出をするときには、必ずメールで連絡する政宗だ。一言もなく不在にするとは考えにくい。いったいどうなっているのかと不審に思いながら、小十郎は自室に入る。

 すると、部屋の奥のベッドに政宗が横たわっていた。すっぽりと布団をかぶり、小十郎が戻ってきたことにも気付かない。よほど疲れて眠っているのかと近づいた小十郎は、思いがけない政宗の様子に気付いて驚いた。

 政宗は額にびっしりと汗をかいて、苦しそうに眠っていた。反射的に手を伸ばした小十郎は、政宗の頬に手の甲で触れて、その熱さに驚く。

「政宗様!?」

 肩を掴んで揺すると、政宗は辛そうに目を覚ました。

「いったいどうなさいました!?」

 つい早口になる小十郎に、政宗は億劫そうに顔を向け、消え入りそうな細い声で答えた。

「学校から帰ってきて、寒気がすると思ったら、急に熱が上がってきて……。心配かけて悪い。すぐに治すから……」

 話す言葉は、すぐに連発される咳で掻き消える。政宗がどれほど具合を悪くしているのか、声が小さすぎて途切れ途切れに耳に届く言葉と、話すこともできないほどの咳で、察するには充分だ。それでも小十郎に気遣わせまいとする姿が痛々しくて、小十郎はその手を取るとぎゅっと握りしめた。

「熱は測りましたか?」

「うん、38度超えてた」

「医者は?」

「まだ行ってない」

「わかりました。すぐに診てもらいましょう」

 言うが早いか、小十郎は政宗を抱き起すと、しっかりとセーターやフリースを着せ込んで、腕に抱える。政宗の保険証が入った財布を持ち、足早に家を出た小十郎は、駐車場で政宗を車の後部座席に横たえると、スマートフォンを取り出して夜間救急外来を受け付けている近所の病院を検索した。




 診断の結果、政宗はインフルエンザに罹患していた。

 幸い、発病後間もなかったため、抗ウイルス薬の服薬で効果が得られる状態だった。処方された薬剤を受け取り、帰宅した小十郎は、政宗をベッドに寝かせるとキッチンに立つ。水分を補給しなくてはならないし、ウイルスと闘うための栄養も必要だ。滋養のあるスープを作るのが、政宗に負担をいちばん掛けずに目的を達する方法だった。

 政宗と一緒に暮らすようになってから、料理はすっかり政宗任せになっているが、小十郎も料理はできるし、実は腕前もちょっとしたものだ。冷蔵庫とストッカーを覗き、有り合わせの食材から病人でも食べられそうな料理を考える。

 しばらくして、くたくたに野菜を煮込んだミネストローネを用意して、小十郎はベッドサイドに寄った。

「政宗様。起きられますか?」

「ん……」

 首だけで振り返った政宗は、食べ物の匂いに少し困った表情を浮かべる。食べるという行為さえ億劫なほどに辛いのだと察した小十郎は、ミネストローネのスープだけを掬うと、スプーンを政宗の口に運んだ。

「いかがですか?」

 運ばれるままに口を開けてスープを飲んだ政宗に問いかけると、政宗はかすかに微笑んだ。

「美味い」

 高熱で朦朧としている政宗は、本当は味などわからない。強いて言うなら、口に入ってきても不快ではなかった、という程度だ。だが、小十郎が用意するものが不味いはずがないし、そう言って微笑んだら小十郎はすこしは安心してくれるのではないかと思って、政宗は気力で微笑む。

 小十郎は小十郎で、意外と周囲に気を遣う政宗の気質を見抜いていた。具合の悪いときくらい、なにも考えずに甘えてくれればよいのにと思いながら、スプーンに取ったスープに息を吹きかけて冷ます。

「具はどうしますか? 召し上がりますか?」

「ん……スープだけでいい」

 ということは、やはり固形物は喉を通らないか。察した小十郎は、用意したスープにせめて野菜の旨味と栄養が溶け出していることに安堵する。

 小十郎が口元に運ぶスープを全部飲み切った政宗は、沈み込むように眠りに落ちる。汗で湿った前髪をかき分け、政宗の額に氷のうを乗せると、小十郎は食器を片そうと立ち上がりかけた。

 くん、とシャツが引っ張られたのは、そのときだった。なにごとかと視線を落とすと、政宗の手が小十郎のシャツをつかんでいた。

 そういえば、400年前も、体調を崩して心細い夜には決まって、こうして小十郎の着物を掴んでいた……。

 懐かしい思い出に思わず笑みをこぼすと、小十郎はそっと政宗の手を解き、布団の中に仕舞う。そしてキッチンで食器を片づけた小十郎は、仕事に使っている携帯電話を手に取った。

「夜分にすまない、片倉だ。明日、出勤できなくなった」

 電話の相手は、小十郎のアシスタントをしている部下だ。夜中の電話には驚かなかった彼も、続いた言葉にはひどく驚いて理由を聞いてきた。

「同居しているパートナーがインフルエンザに罹ってな。確か、家族がインフルエンザに罹った場合、濃厚接触者として3日間出勤停止になる規定があっただろう? それに、寝込んでる彼女を独りに出来ない。彼女の熱が引くまでは休暇を取る。メールと電話はできるから、緊急の時は連絡してくれて構わないから」

 驚きから立ち直り、告げられた内容を了承して明日の指示の確認をしたアシスタントは、「奥様、どうぞお大事に」と言って電話を切った。それを聞いた小十郎は、まだ奥様じゃないけどな……と思ったものの、案外悪くない響きだった。

 慶次と幸村にも政宗がインフルエンザに罹ったことをメールして部屋に戻り、小十郎はベッドで眠る政宗を見ながら椅子に座る。そしてそっと布団に手を入れて、政宗の手を見つけると、熱で汗ばむその手を握った。

 小十郎はその晩、政宗のそばから離れなかった。


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