それはもうそろそろ秋も終わりに差し掛かるかという頃だった。
たまたま行き合わせた政宗と慶次は、商学部研究棟の横を抜けて、カフェテリアを目指して歩いているところだった。
「政宗、暖かそうなの着てるね」
「さすがに、こう風が冷たくちゃな。風邪ひいてもいらんねえし」
太めの毛糸で編まれたストールカーディガンは、政宗のすっきりした長身を引き立てていた。エナメルのブーティといい、見るからに晩秋のコーディネートは、すれ違う男子学生たちの視線を集めている。
「今日は幸村は来てるかな?」
「どうかな。まあ、カフェテリアに行けば、会えるだろ」
のんびりと会話しながら歩いている時だった。慌ただしい足音が商学部研究棟から飛び出して来たかと思うと、
「政宗殿! ちょうどよいところに!!」
駆け寄ってきた幸村が、政宗の肩を両手でがしっと掴む。
「後生でござる、それがしに話を合わせてくだされ!」
「は!?」
「あっ、いた真田君!!」
政宗が事情を訊こうとしたところに、甲高い声が重なる。
「お願い、真田君。ちょっと時間くれない?」
「頼みたいことがあるの」
2人の女子学生が幸村に駆け寄り、挟み込むようにして幸村を見上げる。
政宗の肩を抱く幸村を挟む女子2人。なんとなく不穏なものを感じた慶次は、さりげなく距離を取る。もしかすると、自分が政宗の隣にいない方が、幸村にとって有難いのではないかと、ピンときたのだ。
案の定、
「ねえ、リンとデートしてあげて!」
「リン、本当に真田君のこと好きなの。真田君から誘ってくれたら、きっと喜ぶから!」
「だから、できないって!」
言い募る2人を幸村が強い口調で遮る。
「言っただろ、俺はもう彼女がいるんだって! 困るんだ、彼女に誤解されるようなこと」
「彼女って、真田君、前にいないって言ってたじゃん!」
「休み時間とか、いつも独りじゃん! じゃなかったら、他学部の子と一緒か。どっちにしても、彼女っぽい子いないじゃん!」
「だから、その他学部の子が俺の彼女! 一緒にいるの見たことあるなら、見覚えあるだろ!?」
言われて、女子学生たちの視線が初めて政宗に注がれる。幸村にしっかり肩を抱かれている同年代の勝気そうな隻眼の美少女。その美少女は、困ったように幸村を見上げていた。
「幸村、説明してくれるか?」
「あー……悪い。つまり、俺のことを好きな子がいて、この子たちはその子の友達」
「なるほど」
人間関係がわかったところで、先ほどの会話を思い出す。状況把握にはそれで充分だった。
「なんでそんなことになってるんだよ?」
「ホント悪い。なんか可哀想で、彼女できたって言えなくて」
「それ、かえって残酷じゃねえか。お前を好きって子に同情するぜ」
「ごめん」
「俺に言うなよ。言うなら、その子にだろ」
「それはわかってる。いまの『ごめん』は、情けない男でごめんってこと。がっかりさせただろう?」
「ばーか」
言いながら、政宗はぐしゃぐしゃと幸村の前髪をかき回す。
「お前がそういうとこ抜けてんのなんか、こっちは昔っから知ってんだよ。いまさら気にしてんな」
「政宗」
前髪をぐしゃぐしゃにした政宗の手を幸村が掴む。そして、さりげなく政宗の左手の指輪を隠した。それに気付いた慶次は「幸村、冷静だねぇ」と微笑む。
「ちょっと、信じらんない」
「別に真田君に謝ってなんてもらわなくていいから! リンにはちゃんと、あたしらから言っとくから!」
目の前でいちゃつかれたと勘違いした女子学生たちは、吐き捨てるようにそう言うと、商学部研究棟に戻って行った。
「…………助かり申した…………」
「ばか、気ぃ抜いてんな。まだ見られてるかもしれねえだろ。とりあえず、今日はもう大学出るぞ」
言うが早いか、政宗はぐったりしている幸村の手を掴んで、校門に向かって歩き出した。
大学から何駅か離れたターミナルシティで、政宗と幸村はオフィスビルに囲まれたスターバックスに入った。
ここまで来れば、彼女たちも、彼女たちとつながりがありそうな大学生も、来ないだろうと踏んだのだ。
お詫びとお礼にと政宗にカフェラテをおごり、幸村は奥まった席に腰を下ろす。気力を使い果たした風情の幸村の向かい側に、政宗もどさりと座った。
待つこと十数分、後から追いかけてきた慶次が合流すると、政宗の前にシナモンロールを置いた。
「お疲れさん、政宗。なかなかの芝居だったよ」
「別に、芝居した覚えはねえけど……まあ、なんとか誤魔化せたみたいだな」
カフェラテを飲んで大きく息を吐いた政宗は、慶次のねぎらいのシナモンロールに遠慮なく食いつく。
幸村は2人を前にしてテーブルに手をつくと、がばっと勢いよく頭を下げた。
「誠に申し訳のうござった。まさか、当人のいないところであんなに責められるとは……」
「てことは、幸村はあの子たちの存在、知ってたんだ?」
「クラスメイトでござる。自主研究のグループ分けの時や、クラスの飲み会で何度も声を掛けられていたゆえ、顔と名前と……3人のうちの1人がそれがしに気があることくらいは知っており申した。しかし、話しかけてくるのはたいてい本人のみでござったゆえ、本人だけ気を付けていればなんとかなると……」
「だから、言っただろ。きっぱり断るのも優しさだぜ」
カフェラテのマグカップを置き、政宗は呆れた顔で幸村を見る。幸村はしゅんとうなだれた。
「別に優しさのつもりはのうござった。付き合えない理由に納得してもらえなかったゆえ、斯くなる上はできる限り接触を避けて、ほとぼりを覚ますしかないと思ったのでござる」
「てことは、1度告白されたのか」
「1度というか、2度3度ほど……」
「強いねぇ、恋する女の子は。……傍で見ている分には可愛いけど、何度断っても諦めてくれないのは困るかな」
「さようにござる。本人の反応から、説明を重ねれば理解してもらえると感じられず、対話そのものを諦めてしまったそれがしにも落ち度はござろう。しかし……」
力なくうなだれる幸村の様子に、政宗と慶次は顔を見合わせる。相手のことを考えず、一方的に自分の気持ちを押し付けるばかりの年頃の女の子が苦手なのは、幸村だけではなかった。
もちろん、それは彼女たちが幼いというより、自分たちが老成しすぎているためだ。相手が自分たちでなければ、彼女たちの気持ちをポジティヴに受け止めてカレカノになっていたかもしれなかったことを考えると、申し訳ない気持ちも心の片隅にはあった。
「しょうがないよ。俺たちには俺たちの事情があるんだし、それをおいそれと話すわけにいかないんだし」
「そういうこった。どっちが悪いってもんじゃねえ、むしろどっちもどっちだ。気にすんな」
「慶次殿、政宗殿……かたじけのうござる」
ようやく幸村にわずかながら笑顔が戻る。すっかり温くなったキャラメルマキアートを口に運ぶ幸村を見た慶次と政宗も、ほっと一息ついた。
「政宗殿、あらためてお願い申す。しばらく、それがしの彼女のフリをしてはくださらぬか」
「ふざけんな」
即答であっさり言い切られて、幸村は「うっ」と言葉に詰まる。
「さっきは事情がわからなかったから、とりあえず流れを邪魔しなかっただけだ。俺は別に、お前の彼女だなんて一言も言わなかったよな? もうちょっと冷静になれよ。たとえば、石田に彼氏のふりをしてくれって言われて、おまえ、うなずけるか?」
「……それは無理でござる。それがしにとっての石田殿はただの女子ではござらぬ。まして家康殿のことまで考えると、いくら事情があるのだとしても、それがしが恋人のふりをして解決するとは思えませぬ」
「おまえがやってるのはそれと同じだぞ」
政宗の容赦ない指摘に、幸村は言葉を失くしてうなだれる。見かねた慶次は、ため息を一つ吐くと割って入った。
「とりあえず、政宗、そこまで。幸村だってわかってるんだ、あんまり言ってやるなよ」
「……いきなり不誠実なことをしろって言われた身にもなれよ」
「だから、それは幸村だってわかってる。落ち着けば、ちゃんと振る舞えるさ。それより、明日からどうするか決めておこう。少なくとも、今日のあの子たちは、政宗が幸村の彼女だと思ってるんだ。幸村が自分でちゃんとできるまで、友達の誼で時間を稼いでやろうよ」
慶次は恨めしげに拗ねる政宗をなだめながら、しょげる幸村をフォローする。政宗と幸村が衝突したとき、慶次が甲斐甲斐しく仲裁するのは400年前から同じだった。
「おまえなー……小十郎以外を彼氏扱いしろとか、簡単に言うなよな……。しかも相手が幸村とか、タチ悪ぃ。頑張ってもそんなに長く持たせらんねえぞ」
大きなため息と一緒に渋々発された言葉を聞いて、幸村はぱっと顔を上げる。
「政宗殿……っ! 恩に着申す。それがしもできるだけ早く、なんとか決着をつける所存にて……!」
「頼むぜ、幸村」
腹をくくった政宗は、きっぱりと口調も変わっていた。信頼のこもった微笑みに、幸村もしっかりとうなずく。この切り替えの早さと胆の据わりはさすが一廉の武将と言うべきものだった。
「そうと決まれば、政宗。大学いる時は、その指輪、外した方がいいんじゃないか?」
「……え?」
「それ、片倉さんがくれた指輪だろ? 大切だろうとは思うけど、大学生の彼氏からもらったものにしちゃ、立派すぎるよ。幸村がうまく口裏合わせられるなら、話は別だけど」
「Ah……」
慶次の視線は、政宗の左の薬指に光るサファイアとエメラルドのリングに向けられていた。小十郎が政宗に贈るために仕立てた1点物のリングは、確かに、大学生がけろっと着けていていいようなリングではない。当然、大学生が恋人にプレゼントできるような代物でもなかった。幸村が政宗に贈ったものとするには、無理がありすぎる。
だが、政宗がなにか言う前に、幸村が口を開いていた。
「いや、政宗殿。指輪はそのままに」
「幸村?」
「政宗殿に無理をお願いしておるのはそれがしの方。この上、片倉殿の想いの証まで隠してくだされなどと、どんな顔をして言えようか。……慶次殿の言うとおり、それがしは決して弁が立つ性分ではござらぬが、それでも、その指輪はそれがしがなんとしても守り抜き申す」
きっぱりと言い切った幸村に、政宗は微笑み返した。幸村の気持ちが有難いからこそ、リングは外しておきたいと思った。
「Thanks. けど、この指輪は小十郎からもらったもんだ。これを小十郎以外の誰かからもらったもんだと偽るくらいなら、必要な間は外しておく」
余人にはなかなか理解してもらうことは難しいかもしれないが、それでも、幸村と政宗の間にあるものは、ただひたすらに純粋な友情だけだった。