……ふぅっ……
 ゼルガディスはため息をついた。全然終わらない――頭の中に入ってこない。
 アメリアのことはもちろん、またあの少年魔族――実際は魔族ではないのだが、ゼルガディスは知らない――が来るのではないかと思うと、ろくに内容が覚えられないのだった。
(こんなことなら、評議長かヴィリシルアの家を教えてもらえばよかったな……)
 が、今さら後悔してもしょうがないのは事実だ。
 ゼルガディスはどこかで時間をつぶそうと本を戻しに立ち上がる。
 と――
《ゼルガディスさんッ!》
 自分の名前を大声で呼ぶ声がした。いや、正確には声ではない――頭の中に直接響いている。
 だが、聞き覚えのある声だ。
(この前の魔族か……? 用があるんだったら姿を見せろ!)
《ごめんなさいッ! でも今は説明してる暇なんてないんだ! 頼むから、今から僕の言うところに来て!
 姉さんを助けてッ!》
 悲痛とも言える声に、ゼルガディスは眉をひそめる。
(――どういうことだ?)
《説明している暇はないんだってばッ!》
 ゼルガディスはとりあえず本を片付けながら考える。 
 むろん、これが罠という可能性もある。――むしろ、そちらの可能性のほうが遥かに大きい。
 だが、少なくとも身内が危ないということは――信じてもいいかもしれない。――まぁ、魔族に『身内』と呼べるような人間がいるのか解らないが。
(まぁ、いい。事情は行きながら説明してもらうことにする。
 ――今度は思わせぶりな発言はなしにしてくれよ)
《ありがとう――解った。
 必ず――姉さんを助けてね……》
 ゼルガディスは頷くと、急いで図書館を飛び出した。
 そして、声――フェイトは自分が何者であるかを彼に明かすべく、語り始めた。




鮮血の紅




「気配が――消えた……?」
 ガウリイの言葉に、あたしたちは足を止めた。
「気配を消したの?」
「いや、突然消えたんじゃない。むしろ、消していた気配が一度元に戻って、それから完全に消えたような……」
 あたしの問いにガウリイは首を傾げながら答える。
 ――まさか!?
 嫌な予感がさらに増す。
「ガウリイッ! とりあえず気配が消えたとこに案内してっ!」
「解った!」
 ガウリイが先導してまた走り始めた。
 ――こんなときばかりは、魔族の空間移動能力が羨ましい。
 早く行かないと――
 あたしは嫌な予感を首を振って追い払うと、ガウリイの背中を見つめた。




(ほうっておいても、すぐに死ぬナ――コレは)
 『道化師』は完全に見下しきった視線で倒れたヴィリシルアを見ると、くるりと踵を返す。
「やはり、力を付与されていると言っても、所詮できそこないはできそこない――我ら魔族の敵ではないと言うコト――ッ!?」
 呟きが終わらぬうちに、彼はその場を飛びのいた。灰色の影が、その場に剣をつきたてる。
「――『守護者』はヴィリシルアだけではない。
 魔王竜とて、『従弟』を魔族の餌食にするわけにはいかないし――ヴィリシルアもそうだ」
 影――ヨルムンガルドのセリフに、『道化師』は相変わらずの張り付いたような嘲笑を浮かべた顔を向けた。
「ふむ――あのフェイトを魔族の目からそらすために、そこの『人形』を生贄に設定したくせに、空々しいネ。君。
 竜って言うのはみんなそうなのかナ?
 君だって知ってるんだろ? 『四年前の暴走アレ』は魔王様の復活の影響なんかじゃあなく、魔王竜のお偉い方が『ただの暴走』を理由にフェイトを亡き者にしようとしたってことを。
 殺せなかったと解ったら、今度は『いなくなったこと』にしてしまった。
 かわいそうにネぇ二人とも。魔王竜の都合の餌食にされてサぁ」
「……………………」
 ほら答えられないじゃない――嘲りまくった口調で『道化師』は言う。派手なメイクの下に隠れているのは、負の感情を餌にする魔族の顔だ。
 ヨルムンガルドは、うつむいて、沈黙したまま、剣を構えなおす。
「……ろ――」
「え?」
 どんっ!
 聞き取れぬほどの小さな呟きに、思わず聞き返す『道化師』の、その右腕が吹き飛んだ!
「なッ……!」
 太刀筋が見えなかった。精神世界面アストラル・サイドからの干渉――恐らく、あの黒い剣は竜族の『工作』だろう。
「――もう一度、言ってみろ。
 腕では済まさない――まあ、どちらにしろそれだけ済ます気はないがな」
 うつむいていた面を『道化師』へとまっすぐに向け、剣の切っ先も同じ方向に向ける。ヨルムンガルドは口元に笑みを浮かべていた。
「いいの……かな? 僕に攻撃すれば、魔族は魔王竜を、ほうっては――」
「魔王竜の都合など、私には関係ないな」
「――!?」
 ヨルムンガルドの言葉に、『道化師』は驚愕に目を見開き――だが、口元に笑みを戻す。
「なる、ほど――魔王竜の群れ自体には動きがないのに、どうして君が出張ってるのか気になっていたケド――
 まさか、個人的な理由で――動いているとはネ……」
 フェイトという存在自体が魔王竜にとってかなり大きい存在だったため、それは考えつかなかった。
 ――つまり――
 自分は怒らせてしまったわけだ。幾百年と生きる、この魔王竜を。
「けど、魔王竜ごときではボクは倒せナイ……ッ!」
 嘲笑が消えた。ヨルムンガルドは、目を細める。笑みは、揺らがない。
「そう思うか?」
「――思うサッ!」
 言って彼は虚空を渡る。この生意気な竜を滅ぼしてやろう、と。
 そして――




 ガウリイが足を止めた。
 ――どうやら、ここが終点らしい。
 あたしは彼の横に並ぶと、思わず息を呑んだ。
「ヴィリス……」
 大量の血の中に身を沈めている彼女の名を、あたしは呆然と紡いだ。この出血の量では――
「ヴィリシルアさんッ!」
 アメリアが飛び出して、ヴィリスの作った血だまりに足を踏み入れる。とぷんっ、という気持ちの悪い音がした。彼女はかまわずに血だまりに膝をつくと、ヴィリス身体を仰向けにして、傷の具合を確かめ、胸に耳を当てる。
「心臓は――動いています。でも……このままじゃあっ……」
 アメリアはフェリアさんに目配せをする。彼は頷くと、
「僕も復活リザレクションは使える――手伝おう」
 二人が復活リザレクションを詠唱し始めると同時に、あたしもヴィリシルアの横に立つ。
 と――
「夜さん……!?」
 あたしに背を向けて立ち、黒い剣を構えた、魔王竜のヨルムンガルドさん――夜さん。
「どうしてこんなところに――もしかしてあなたがヴィリスを……?」
 あたしの問いは、はっきり言って愚問だった。
 斬っ!
 彼が剣を振るったところに、『それ』は姿を現す。虚空を渡り現れるのは、世界広しと言えども――魔族しかいない。
 元はおそらく端整な顔立ちに派手なメイク、派手な服装――右腕のないその『道化師』は、その太刀をあっさりとかわした。
「ボクは来ると解っている攻撃を受けるほど甘くはないヨっ!」
「ちっ――」
 舌打ちした夜さんが、剣をそのまま自分の縦にするように横に構えた。不可視の『何か』は剣に辺り、霧散する。――恐らくヴィリスに傷を与えたのも、この『道化師』だろう。
「リナ=インバースか……なんともタイミングの悪い――」
 苦笑しながら夜さんは言う。あたしは眉を寄せると、夜さんの肩にぽんっと手を置いた。
「でもあたしたちがこなかったらヴィリスは今この隙にも死んでいたかも知れないわよ」
「……そう、だな。熱くなっていた。すまない」
「いや、れーせーに真顔で『熱くなっていた』とか言われても……」
 あたしはジト汗かきつつ呟いた。
 もしかしてこの人もミルガズィアさんと同じ人種では……?
 そんな、先ほどの嫌な予感とまた別物の感覚を味わいつつ、あたしは夜さんに意識を戻す。
 彼はこちらに背を向けたまま――視線の先には、『道化師』が立っていた。
「加勢、しましょうか?」
「ああ。頼む」
 夜さんの返事を聞くと同時に、あたしはガウリイに目配せをする。彼は頷くと、斬妖剣ブラスト・ソードを抜いた。
 『道化師』は笑ってないような笑いをうかべると。
魔を滅せし者たちデモン・スレイヤーズ――リナ=インバース、それにガウリイ=ガブリエフか――ちょうどいい……」
「邪魔者が一気に倒せて一石二鳥……ってこと? あたしをおまけ扱いしないでほしいんだけど?」
「だな」
 ガウリイが頷くと同時に、あたしは呪文を唱え始めた。
 ――魔族との戦いは久しぶりだ。魔血玉デモン・ブラッドなきあたしの力でどこまで戦えるのか――
 いや、違う。
 勝たなければならない。このくそたわけた『道化師』を倒して、ヴィリスに説教の一つもかましてやらないと気がすまない。
 あたしは密かに決意すると、『道化師』を睨みつけた。




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