「そういうことか――」
 全ての事情を聞き終えて、ゼルガディスはぽつりっ、と呟いた。
《そこを、左――これで到着だよ》
 声の言うとおりに歩を進め、行きついたのは――



鮮血の紅




「ゼルガディスさん!? なんでここに!」
「僕が案内したからさ」
 思わず呪文を中断してまでのアメリアの叫びに、答えたのはゼルガディスではなかった。
 金の髪に――紅い瞳。倒れて顔色も蒼白なヴィリシルアと、とてもよく似た少年――『フェイト』。視線はアメリアでもゼルガディスでもなく――ヴィリシルアに注がれている。
「あなた――が?」
「姉さんを死なせたくないから、だよ。アメリアさん――僕も、手伝う」
 フェイトはアメリアの横にひざまずいた。
「――全部、魔族のせい――だったんだな。
 陳腐だが、『弟』思いのヴィリシルアと、下手に動けない魔王竜たちを欺くには十分すぎる手だ」
「どういうことですか、ゼルガディスさん!」
「つまり――だ。全部、あのリナたちと戦っているピエロ野郎の仕業ってわけだ。
 あいつは神官・将軍級とはいかないまでも、まあまあの強さの魔族らしい。
 ――特技を持っていてな、相手の精神を一時的に乗っ取る、と言う能力だ。むろん、平常な相手の精神を乗っ取るのは難しい。
 そこで、――フィオロの死、と言うわけだ」
「ってことはその人を殺したのは、あの魔族――?」
 アメリアは『道化師』の方に目を向けた。ゼルガディスは首を横に振ると、
「いや、殺したのは町のごろつきらしい。たんなる強盗だな。それで、邪教集団の仕業に見せかけたらしいな……
 フェイトは竜と人間のハーフは、もともと精神状態が不安定なんだそうだ。
 さらに乗っ取りやすくしたのが、偶然起こったフィオロの死――と言うわけだな。
 あとは適当に邪教集団のやつらを殺させて、隙を見せたらヴィリシルアを葬ろうとしていたらしい――なんともご苦労なことだがな」
 彼は肩をすくめると、自分も参戦しようと歩を進めた。
(つまり、ヴィリシルアさんは――ハメられてこんな怪我を……?)
 アメリアは呪文を唱える声に力をこめた。
(そんなのひどい――許せないじゃない……!)
 仰向けに横たえられたヴィリシルアは、まだ目を覚まさない。
 三人の重ねがけでもだめとは――
 彼女のうちに、暗く重い不安がのしかかり始めていた。




「はぁあああっ!」
 ガウリイが気合いとともに『道化師』に斬りつける。それをあっさり避けると、その姿がぶれる。
 ――空間移動か!
 あたしは反射的に後ろを見やり、ヨルムンガルドさんも辺りを警戒する。
「どこを見ているのかナ!」
 嘲りの声は頭上から聞こえた。
 上を見ずにあたしは横に跳ぶ。そこを一条の光が通り過ぎていった。
 ――あ、アブねえ。
 そこでほっと胸をなでおろしたあたしは甘かった。
 どごっ!
 足元にもう一撃。あたしは思わず上を見る。
 ――げげっ!
 あたしは心中でうめく。どうやら狙って一撃一撃攻撃を仕掛けるのではなく、ランダムに多数の光線を放って先に動きを止めようと言う魂胆らしい。
 ――あたしはもろにその策にはまってしまった。
 そう確信したとき、視界いっぱいに光が広がって――
 あたしはマントを引っ張られ、夜さんの結界の中に入っていた。右手で防御しつつ、左手であたしを引っ張ったらしい。視線は上を見ているのに、器用なことである。
「痛ぁ――あれ? ゼルガディス」
 夜さんの結界は広範囲に張られているらしく、少し離れたゼルガディスの頭上で、光線が何筋かはじかれて霧散した。ガウリイの周りも同じような状況で、アメリアたちのほうは、金髪の少年――恐らく彼がフェイトだろう――防御結界を張っていた。
「来た途端にこんなプレゼントとはな――ご苦労なことだ」
「どうしてここに?」
「フェイトに案内されてな。『姉』を助けてほしいそうだ」
「なるほど……」
 あたしは必死の表情で結界を張っている少年の方を見て、苦笑した。その足元には、彼にそっくりな顔のヴィリシルアが倒れている。助かるか否かは、アメリアたちと――そして、ヴィリス自身ににかかっていた。
「――つまり、アレを倒せば全部が終わる――ってことか」
 あたしは『道化師』を睨みつける。
 『道化師』はこの作戦はもう意味がないと知ると、また虚空を渡る。今度はガウリイの背後。
 が、これは最悪の選択だ。ガウリイは片足を軸にして振り返りながら斬妖剣ブラスト・ソードを振り回す。が、『道化師』は剣の間合いより少し離れていたので、その一撃は衝撃波を相殺するだけにとどまっていた。
 ――さすがに、中級魔族なんかとは格が違うか――
 あたしは歯噛みすると、再度呪文を唱え始めた。
 今度は夜さんが、空間移動しないうちに剣を振るう。『道化師』はこれも避け、ふんわりと地面に着地した。そこにゼルが紅く光る剣を構え突っ込むが、また空間移動。
 ――きりがないっ!
 このままでは、体力を消耗しているこちらがやがて、負ける。
「空間移動がなければ――」
「だけど、それでは本体を叩けない――」
 ゼルの呟きに、あたしは『道化師』を睨みつけながら言った。
 ――むろん、竜破斬を使えばダメージぐらいは与えられようが、ンなもの町の中で使う気は全くおきない。
 ……どうする……ッ!?
 焦り始めているのは、あたしだけではないだろう。
 あたしは、ちらりっとアメリアたちの方に視線を向ける。――ヴィリスは、まだ目を覚ましていない。
 ――最悪、このまま全滅、なんて――
 ぞくりっ、と背筋に悪寒が走った。
 あたしは嫌な考えを振り払い、道化師に視線を戻した。




 ――自分が死にそうになったのは、これが最初ではない。
 そう――あの時も魔族にフェイトが襲われて、自分はそれを庇って――その魔族は結局ヨルムンガルドが倒したのだ。
 結局、なにもできなかった、と感じたとき、とても悔しかったのを覚えている。
 今回は――自分がただ熱くなって、勝手に怪我をしただけだ。
 ――これじゃあ、守護者、失格……かな――
「…………う…………」
 ヴィリシルアは、戻ってきた全身の感覚にうめいた。目を開くと、目の前に泣きそうな黒髪の少女の顔が見えた。
(アメリア――姫……?)
 彼女はこちらに向かって何か呟いている。――だが、聴力がまだ戻っていないのだから意味がない。喋るな、と言おうとして上げた手を、誰かが掴む。こちらも泣きそうな表情で、それでも口元には笑みが浮かんでいる。両手で、血まみれの自分の手を包み込むようにして額に当てていた。茶髪の女性――いや、青年――ハーリアだ。
「どー――して、二人ともここにいるんだ?」
「ガウリイさんが、君の気配を追ってここまで――今はリナさん、ガウリイさんと――あとよくわかんない合成獣の人と、ヨルムンガルドが戦ってる」
「そ――か。すまない。勝手なことして――迷惑かけてた」
 ――鉄の味がする。真似て作った『人形』だとしても、ちゃんと血液は流れているのだ。
「まったく馬鹿なことして――さっさと言ってくれれば良かったのに……
 友情に勝るものなんてないんだよ?」
「――だな……」
 ヴィリスはハーリアの言葉に笑みを浮かべた。
 なんとか起き上がると、貧血で頭がぐらりと揺らぎ、目の前が一瞬真っ暗になる。
「戦闘に加わるつもりだろうけど、まだ寝ていたほうがいいよ。今フェイトが大変だから」
 こちらの頭を押さえつけつつのハーリアのことばに、ヴィリシルアは眉をひそめた。
「どういうことだ……? まさかあいつも怪我を?」
「怪我よりも――かなりタチが悪いです」
 アメリアは視線を後に移す。彼女もつられて視線を移し――
「っちゃー……確かに、タチ悪いわ、こりゃあ――」
 ヴィリシルアは無理やり起き上がって座り込むと、額を押さえた。




 ぎんっ!
 フェイトの放ったナイフを、ガウリイが剣ではじいた!
 こういう手でくるかっ――
 あたしは呪文を唱えつつ、フェイトとの間合いをはかる。
 ――状況は、最悪だった。
 フェイトが『道化師』の術にかかって、あたしたちに攻撃してきたのである。
 後ろから背を刺された夜さんは、今は自分で回復しているが――あたしたちは、時間が経つにつれてどんどん不利になっていく。
 フェイトは今まで精神を乗っ取られて人殺しを続けてきたのだ。魔族は人間の体の都合など気にしないから、下手をすればフェイトの身体が壊れてしまうことにもなりかねない。
 時間制限つきで人質にとられているも同然だ。
眠りスリーピングッ!」
 あたしは呪文を解き放つが、フェイトは眠る様子はない。
 ――ダメもとでやってみたが、やっぱりだめか……
 彼は今『精神』と『体』を同時に乗っ取られている――いわば傀儡の術の強化版である。
 加えて、『眠りこのじゅもん』は精神に何らかの影響がなされているもの――興奮状態にある人間には効かない、という弱点がある。
 どうやら、ヴィリシルアは目を覚ましたらしい――と言っても、あれだけ血を吐き出していれば、参戦は望めない。
 ――ならば、どうするか――
「リナッ!」
 ガウリイの叫びに我に返り、あたしは自分に向かう殺気を知覚する。
 投擲されたナイフが、あたしの喉に向かって、正確に投げられていた。
 ――しまった!
 よけきれるタイミングではない。
 ガウリイの絶望的な表情が、皮肉にもそれを伝えていた。――フェイトの何も映さないような眼差しも同様に。
 あたしは反射的に左手で喉を庇う。それくらいしか出来そうになかった。
 ――どしゅっ。
 てのひらを異物がつきぬける、嫌な音。
 そして、激痛。
「………ぐ、ぅっ!」
 幸い――というべきか、ナイフは喉を食い破る直前で止まっている。あたしは飛び出しそうな絶叫を押さえ込み、うめく。
 ……手を犠牲にしていなければ今ごろ死んでいたのだが、それでも痛いことには変わりない。
「リナ……ッ!」
 ガウリイがあたしに気を取られたその瞬間、フェイトはナイフを取りだし斬りつける!
 が、彼はそこのところは素人ではない。小さいナイフの腹を器用に殴って軌道を逸らすと、フェイトの腹を蹴り、あたしに駆け寄った。
「大丈夫か!? リナ!」
「大丈夫よッ……」
 あたしは強がりを言った。確かにめちゃくちゃ痛いが、今はそれどころではない。
「それよりもフェイトとピエロ野郎の方お願いッ!」
 ガウリイは一瞬逡巡すると、やがてこっくりと頷いた。
「――解った。だけど、無理するなよっ!」
 踵を返し、小さく咳き込みながらもナイフを構えているフェイトに向かって走り出す。
 ――まずいな――
 先ほども言ったとおり、フェイトの身体はかなり酷使されているようである。これ以上戦闘を続けると、あたしたちだけでなくフェイト自身も危ない。
 ガウリイは少し身体の動きが鈍ったフェイトの首筋に手刀を叩きこむ。さすがにこれは身体の制御を維持することが難しかったらしく、くたりっ、と脱力する。ガウリイはとりあえずナイフを取り上げると、腕を捻り上げた。
「――あーあ。やっぱりこれぐらいじゃァ『魔を滅せしものデモン・スレイヤー』を倒すのは無理みたいだネ……」
 ふわりっ、と虚空から現れる『道化師』。と同時に、フェイトから完全に力が抜ける。――どうやら、限界をだいぶ前に超していたらしい。あたしは『道化師』を睨みつけた。呪文を中断させることはできないが――最低だ、と大声で言ってやりたかった。
 と――
「人の心をもてあそぶ魔族よっ!
 もうあなたの好きにはさせないわっ!
 このアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが天国のフェイトさんに代わってあなたを討つッ!」
「フェイト――死んでないんだけどな……」
 塀の上でバランスを取ってびしぃっ! と『道化師』指さすアメリアに、ヴィリスがふらふら立ち上がりながらぼそりっ、とツッコミ入れていた。
「ヴィリス、あんた退いといて。怪我人は今は足手まといにしかならないから」
「大丈夫だって」
 あたしの少々きついとも言えるセリフに、彼女は血まみれで傷だらけのの口元に、にんまり笑みを浮かべると、
「友情に勝るものはないらしいからな」
「その通りよっ!」
 塀の上で力むアメリア。
 ……おーい、あんまし叫ぶとバランス崩すぞー……
「なんとも……力の抜ける援軍ね……」
 あたしはヴィリスに向かって苦笑した。彼女はこちらの視線に気づくと、ぐっ、と親指を立てた。
「大丈夫。フェイトに怪我させたやつはみんなひどい目に遭ってる。私がやったりヘビがやったりあいつ本人が仕返ししてるからな」
「……俺もひどい目に遭うんかなー……」
 ガウリイはフェイトを抱え上げたまま、苦笑した。
「あんたはフェイトのこと見てて。
 あたしたちはとりあえず、あいつぶっ飛ばすわよ!」
「覚悟なさい魔族っ!」
「――まぁ、助けてくれと言われたしな、フェイトに」
 アメリアと、ゼルガディスとが、思い思いに呟くと、一様に『道化師』を睨んだ。
「さて――そう、上手くいくかナ……?」
 あたしたちの意気込みを、全て否定するように、闇に生きる『道化師』は、死神の如く不気味に笑った。




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