――ゆめうつつ
    来い。夢にまどろみ、現に移ろい、さぁ。





鮮血の紅




「ゼルガディスさん」
 自分を呼ぶ、聞き覚えのある少女の声が聞こえて、彼は目を覚ました。
 ――どうやら、読み物をしている間に寝てしまったようである。
「アメリアか……」
「はい。
 ――ゼルガディスさん、相変わらず熱心ですよね。こんな数の本を読むなんて」
 彼から移したアメリアの視線の先には、数十冊の本の山ができていた。
「……全部読むわけじゃない。知っているところはみんな飛ばし読みするしな」
「それでも読むんでしょう? すごいですよね。こんなに頑張れて」
「身体を元に戻すためさ――そのためなら、俺は――」
「何だってする、ですか?」
 先に言われて、ゼルガディスはちょっと顔をしかめた。だがそういう顔をするのは大人げないような気がして、彼は頬杖をついてアメリアから視線をそらす。
「――まぁな……」
 視線をそらしたまま彼が頷くと、アメリアは自分も椅子に腰掛けて、頬杖をついた。
「そういえば――リナたちはどうした? 一緒じゃないのか?」
「リナさんたちは魔道士協会から依頼を受けて、ヴィリシルアさん、って人のところに事情聴取に行ってます。
 あたしはリナさんにゼルガディスさんに伝言するように言われたんです。そのアミュレットの魔力を頼りにして、やっと見つけました」
 一瞬、ゼルガディスの瞳が鋭くなる。身構えるようにして、彼は口を開いた。
「……お前は誰だ?」
 その言葉に、アメリアは訝しげな顔をした。
「どうしたんです? ゼルガディスさ……」
「あのアミュレットは、会ったすぐ後にあいつに返してある。
 アメリアがその魔力をたどって俺を見つけ出すことなんかできない――
 もう一度聞く。お前は誰だ?」
 言われたアメリアは、しばしきょとんっとした顔をすると、ぱちぱちと拍手した。
「すごいね――こんなに早くばれるなんて思わなかったよ。『ゼルガディスさん』」
 アメリアとは違う、少年の声が、『アメリアの口』をついてでた。自分の名を呼ぶところだけアメリアの声だったことが腹立たしくて、彼は顔をゆがめた。
「――アメリアをどうした?」
「あのひとなら今頃、あなたを探して色んな図書館探し回ってるよ。
 リナ=インバースにあの子が伝言を頼まれた、っていうのは本当だよ。魔道士協会の前で言付けされてるのをこの目で見たからね」
 ぐにゃりっ、と『アメリア』の輪郭がゆがんだ。次の瞬間現れたのは、黒髪に青い瞳の、色の白い美しい少年だった。剣士が着る服に鎧をつけていない――印象としてはそんな服装である。少年といっても年は十七、八ほどだろうか。
 ――これは。
「やはり――魔族か」
「さぁ――それはどうだろうね」
 ゼルガディスの呟きに、少年はにっこりと微笑んだ。少し、哀しげな微笑。
 その笑みのせいか――彼から一瞬理性が吹き飛んだ。
「ッ――その姿をやめろ! 何で俺の昔の姿を知っているっ!?」
 叫んでゼルガディスはばっ、と横に手を振った。辺りに人気がないことを見ると、恐らく結界が張られているのだろう。
 彼の厳しい声にも怯まずに、少年は言う。微笑すらも引っ込めて、完全な無表情だった。
「ゼルガディスさん、残念ながらこれはあなたの昔の姿じゃ――キメラになる前の姿じゃあ『ない』んだ」
「だったらなんだというんだ! その姿は――」
 ゼルガディスの問いに、少年は本当に――本当に腹立たしいほどゆっくりとした動作で、自分の胸に手を当てた。
「これは、あなたのもしかしたら在り得たかもしれない過去――もしかしたらあなたは――今に至るまでに人間に戻れていたかもしれない――そういう在り得たかもしれない過去――ま、そういった厄介なシロモノだよ」
 突拍子もない台詞と、おかしな表現に、彼は思わずあきれた。
「自分で言うなよ――おまけにその顔でそんな高い声で喋るな気色の悪い……」
「うるさいなぁ。僕は地声が高いんだからしょうがないでしょうが」
「魔族に地声なんぞあるのか?」
「――さぁ? ま、それはともかく――ひとつ、聞きたいことがある」
 下唇をかんで、彼はゼルガディスをじっと見た。
「あなたは合成獣だよね――あなたは、自分をそういう風にしたヤツを、どう思う?」
 ゼルガディスはその問いに肩をすくめた。
「……さぁな……
 どちらにしろ、そいつはもうやつは死んじまったからな――恨む気にもなれん、といえば嘘になるが、憎い、というとまた違う気がするな……」
 どうせ、過去の出来事だ。
(……そう、だよな……)
 過去の出来事だ。自分の身体を除けば、当時の全ては、何も残ってなどいない。
 いつのまにか遠くを見つめる眼差しになっていたことに気づいて、彼は慌てて少年に意識を戻した。
 ――少年は、じっと、何か考えるように、うつむいていた。
 やがて顔を上げると、
「そう――だね。ねぇ、もう一つ聞いていい?」
「どうぞ」
 ほとんど投げやりになって、彼は言った。
「……自分の大切なひとが殺されたら、あなたはどうする」
 意外なことばだった。
 ゼルガディスは、しばし考えると、やがて顔を上げた。
「……殺したやつを、殺すかもしれないな」
「知れない……?」
「ああ。俺は大切なものを失う気は、さらさらないんでね」
 ことばに、少年は悲しげに微笑んだ。その視線の中に、羨望が混じっていることに気がついて、ゼルガディスは訝しげな顔をする。
「あ」
 少年はいきなり呟くと、恐らく意味のない動作なのだろうが――虚空を見上げた。何もないところを見つめる瞳は、どことなく残念そうだった。
「……そろそろあのひと来そうだね――もう限界かな」
 ゆらり。
 少年の姿が揺らいだ。
「待――て……?」
 言いかけて、ぐらりと足元が揺らいだ。視界がぐにゃりっ、とゆがむ。
「――ッ……」
 たまらずに机に手をついて、がくりっと膝をつくと、そこに少年の声が降りかかってきた。
「ああ――そうそう、僕の名前まだ言ってなかったよね。
 僕の名前はそう、――って言うんだ――それじゃ、またね」
 哀しげな声のまま、少年は言った。
 名前は、――残念ながら聞き取ることができなかった。
 そして――気配がすぅいっ、と消えた。ゆらゆらと揺れる視界。気持ちが――悪い。
『――さん』
 おまけに幻聴まで聞こえてきたようだった。
 意識が――遠のく――
『――スさん、ゼルガディスさんっ! ゼルガディスさんったらっ!』
 声ばかりが、どんどん大きくなって――
「ゼルガディスさんったらっ! 起きてくださいよっ! ――もうっ! なんで起きてくれないのよ!」
「――っ!」
 ごんっ。
 声が初めてはっきり聞こえて、思わず起き上がると、そこは図書館だった。
 自分のことを迷惑そうに見る司書や、他の利用者の視線が痛くて、彼は思わず苦笑いをし、それから我に返った。
「――夢?」
 呟いて、そんなはずは無いと頭の中で否定する。だが――寝汗までかいていて、彼は顔をしかめた。あの妙で現実的リアルな夢を見ていたときは、背中に冷気すら感じていたからだ。
(にしても――なにか頭にぶつかったか?)
 疑問に思い頭をめぐらせると、額に小さな刺し傷と引っかき傷をたくさん作ったアメリアの姿があった。
「ひどいじゃないっ! ゼルガディスさんっ! いきなり起きるなんてっ!」
 と、どうやら今度は本物らしいセイルーンの姫君は、怒り心頭のご様子だった。当然の事ながら、彼は慌てた。
 アメリアはこう見えて結構頑固者で、前ちょっと喧嘩したとき『もうゼルガディスさんとは口利かないんだからッ!』等と言って本当に一週間ほど口を聞いてくれなかったことがあった。あの時は結局ゼルガディスが謝り倒して一応の決着を見たのだが、そのことでガウリイには同情され、あのリナからは男として情けない、と馬鹿にされた。
「すまんッ! ――治癒リカバリィは――お前が唱えた方が早いか?」
「ゼルガディスさんがやってください! それが相手を傷つけたものの誠意ってものよ!」
 アメリアの言葉に、彼は慌てて治癒の呪文を唱え始めた。手をかざし、淡い光がアメリアの額を包む。
 …………気まずい。
 何か喋って場の雰囲気を和ませなければ、と思った。――が、元来彼は口下手で、そんな場を和ませるような一言がぽこぽこ沸くようなキャラではない。
「……そう言えば、リナから何か言付けか? 俺の事を随分探し回っていたようだが」
 散々考えた挙句でた台詞は、そんなものだった。
 言ってからしまったと思った。これは夢であの自分の『在り得たかもしれない過去』とやらの姿をした魔族が言っていた事だ。どうやらまだ寝ぼけているらしい。
 アメリアはしばしきょとんっ、とした顔をして、
「――ゼルガディスさん、どうして解ったんですか?」
「え?」
 ゼルガディスは、夢の中と同じく、背中がひんやりと冷える思いがした。
 いや……夢じゃ――なかったのか?
「ねぇ、どうして解ったんです? どうして解ったんですかっ!?」
 しつこく聞いてくるアメリアに苦笑して、ゼルガディスはぽんっ、と彼女の頭に手を置いて、最も無難な答えを言うことにした。アメリアが思わず騙されるような答えを。
「決まっているだろ? ――お前のことだからさ」
「え? へ? あ……」
 見る見るうちに赤くなっていくアメリアの顔。ぽんぽんっ、と頭を叩いてやって彼は立ち上がった。
「――え? えええええ? あ……ゼルガディスさんっ! どこに行くんですッ!?」
 真っ赤のままの姫君を振り返ると、ゼルガディスは机の山積みになった本を叩く。
「片付けるのさ――もう閉館だ」
「あ、手伝いますよ! 私も」
「ああ。よろしく頼む」
 窓から差し込む日の光は、紅い光もほとんど消えうせて、青い闇が辺りを支配し始めていた。




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