「……フィオロ……?」
呆然と、彼は彼女の名を紡いだ。
血に濡れた部屋。そのひときわ大きい血だまりの中に倒れている、二人の男女。――女性の方は、彼の『姉』も、そして彼自身も、見知った相手だった。
「一体――なに……が」
「フェイト――お前、家で待ってな。私は、ハーリアと警備隊呼んでくるから」
放心したように――実際呆然として突っ立っている自分の肩に、乗っていた姉の手が、離れた。
「――行かないでよっ! 姉さ……ッ!」
「いいから黙って家に戻っていてくれ! お前にだって解るだろう!
フィオロはもう死んでる!」
――もう、死んでる……
「イヤだよ! 嘘だっ――
――何で、何でこんなこと、に……ッ!」
「…………………」
声を震わせている彼に、もう姉は答えない。
顔をうつむかせて泣き出してしまった自分にも、姉の気配が遠ざかっていったのは解った。
「――待ッ……て、よぉ……」
ふらふらと彼は出口に向かって歩を進める。が、血にすべり、前のめりに転倒した。
――どうして、こんなことに……?
立ち上がって、部屋を見回す。壁に、血で書いた字があった。雑で下手な字――いや、走り書きなのか。
「背約者には、――死を」
声に出して読み上げると、彼はそのままふらふらとその場を離れ、家に向かった。夜だったから、誰にも自分のことは見なかっただろうが――それでも、誰かが自分を見ているような気がした。
背約者――その単語からふらっと思いついたのは、フィオロの恋人――やはりフィオロの横で冷たくなっていた――がはまっていたという宗教団のことだった。
「……………………」
家の扉の前に突っ立って、それでも家の中には入ることができなかった――
鮮血の紅
「なぁ、あの犯人の男の子、ヴィス――だっけ……に、似てたぞ」
作戦会議を昨日と同じく、今度は男衆の部屋でやっていたのだが、ガウリイが思い出したようにぽつりっ、とそう言った。
「ヴィリス、よ。いや、あだ名じゃないんだったらヴィリシルア。どー考えてもガウリイには覚えられない名前よ」
「お前なぁ……」
「それはともかく」
呆れと怒りが半分ずつになったような顔と声で言うガウリイに、あたしはこほんっ、と咳払いをする。
「あたしも顔が見えたけど、あんたあたしにしがみついてたじゃない、しかも一瞬すれ違っただけなのに見えたわけ?」
「ああ。確かにヴィ……ヴィ……えーと、あの女の人にそっくりだった」
「ヴィリスだってば」
あたしは呆れ顔で言うと、昨夜一瞬だけ見えた少年の姿を思い出す。
――金髪の髪、白い顔に一瞬だけ見えた紅い煌き――少なくとも顔立ちはヴィリスに似ていた。
「ガウリイの旦那の言うことが本当だとしたら、――いや、そうでなくても、犯人はヴィリシルアに――いや、ヨルムンガルドにも近しいものだな。絶対」
ゼルガディスにあたしは頷く。
「そうね――確かに、あの二人のやりとり聞いてれば、誰でも犯人がヴィリスと夜さんに近い人間――あるいは竜だってわかるわよ」
「――確かに、そうね」
アメリアが天井を見つめながら呟く。
「……もしかしたら兄弟とか」
「いずれにせよ、次にあの子に会えば、戦闘になることは必至。
ヴィリスのことを考えるなら、生きたまま捕まえなければならないわ」
「難しい要求だな――だが、やってみるしかない――か」
顎に手をあてて、ゼルガディスは言う。あたしは頷くと、
「そうね――じゃ、あたしもう寝るわ。明日はフェリアさんの家に行くわよ。夜さんに住所教えてもらったし」
「ああ。おやすみリナ」
「おやすみ、ガウリイ、ゼル」
「おやすみなさいゼルガディスさん」
「――ん」
もう寝ようと布団に包まったゼルガディスに、あたしとアメリアは苦笑を浮かべながらも、自分たちの部屋に向かった。
――お前は少し、頭を冷やす必要がある。よく考えろ。
ヨルムンガルドの声が、耳に痛かった。
目を開けると、真っ白い自分の部屋の天井が、飛び込んでくる。
(うるさいよ……知ったような口ばっかり聞いて……)
いや――実際知っているのか。
ヴィリシルアは苦笑した。
(私があいつを守らなければならないって――知ってんだろうがよ……お前も)
ベッドから起き上がると、ヴィリシルアは顔にまとわりついてくる髪をはらう。
――朝が鬱陶しい、といつも思う。
だが、朝がこなければ、何も始まらないと言うことも解っている。
「――フェイト。絶対――大丈夫だからな。
お前の母に誓って」
呟いて、ヴィリシルアはカーテンを開ける。朝の日差しが目にしみた。
(そう、この手にかけた、お前の母に――誓って)
フェリアさんはおーむね元気そうだった。
一日寝たら治るような風邪だったらしい。まだ少し熱があるとのことだったが、彼はあたしたちを快く家に迎え入れてくれた。
あたしとガウリイが訪問者である。ゼルは図書館、アメリアはヴィリシルアに会いに行っている。
アメリアが一番不安要素であることは言うまでもない。
フェリアさんはあたしたちに席をすすめると、自分も椅子に座る。前かがみになって指を組むと、
「――で、質問って?」
あたしはぴっ、と二本、指を立ててみせる。
「あたしがこれからあなたに聞く質問は――二つ。
一つ目は、フェリアさん――、あなたはヴィリシルアが元暗殺者であることを――知っていましたか?」
「ああ、知ってるよ。知ってる上で犯人じゃない――と思った。
それで――誰が言ったの? ヴィリシルアが?」
「あたしたちの仲間です。
それで――二つ目は、ヴィリス――ヴィリシルアの家族のことです。母親とか父親とか――兄弟とか。
一人暮らしのようだけど、聞いたことありません?」
「ヴィリスの――家族?」
フェリアさんはしばし考えると、
「……………なんでそんなこと聞くの?」
あたしは、知っている知らないのどちらでもない回答に、ずっこけそうになるのを必死でこらえ、
「――犯人が、彼女でないにしても、彼女の身内である可能性があるからです」
「なるほど。
がっかりさせるかもしれないけど、僕はヨルムンガルド以外の『生きた』ヴィリシルアの身内を知らないな。
僕の前任――四年前に急逝した女性が、彼女の母親だ――って話は聞いたけど……
彼女はちなみに、二年くらい前にふらりっとこの町にやってきたんだ。旅に出てたってヴィリスは言ってたなぁ――」
「父親は?」
「魔王竜――その人――竜も、四年前に死んでるみたい。
――あとは確か弟がいたはずだけど、こっちは行方不明――これが四年前」
フェリアさんは言って、組んだ指を解く。
「四年前―― 一体、なにがあったんです?」
あたしの四年前と言えば――ちょうどレゾ――魔王シャブラニグドゥの欠片の一つと戦った頃である。
その頃と重なっているのが、あたしには偶然とは――いまいち思えなかった。
「魔道実験の暴走……って感じかな。
合成獣が暴走したらしい。
そこに勤めていた僕の両親も死んだよ――竜がいたのに、どうしてあんなことになったのかわからないけど」
「す、すいませんっ! ――聞いちゃいけないことだったみたいで……」
「そんなことないよ」
謝るあたしに彼はにっこりと笑いかける。
「もう昔のことだしね。おまけに二人とも研究熱心な親で、小さい頃から僕は知り合いのうちに預けられてたし。
で、その
合成獣がどうなったのかが問題なんだよね。わかんないんだ。これが。
たった四年前のことなのに、記録は何も残っていないんだよ」
「なるほど――」
「その行方不明の弟ってのが犯人じゃないのか?」
「その可能性も高いけど……ってガウリイ! あんたちゃんと話聞いてたの!?」
驚愕の声をあげるあたしに、不思議そうな顔をするフェリアさん――まぁ、彼は知らないのだから無理もない。が、今回は寝てばかりだったガウリイが、驚くべきことである。
「お前なぁ……俺だってたまには話聞くぞ」
「普通はいっつも話聞くもんなの。ふつーは。
――とにかく、あたしたちもヴィリスの家に行くことにします」
「僕もついてくよ。僕もどーやら今回の事件には無関係じゃないみたいだし」
言いながらフェリアさんは立ち上がる。
「ええ。それじゃ行きましょーかっ! ガウリイッ!」
「おうっ!」
リナの憂慮は正しかった。アメリアはヴィリシルアの家に行く道中、かなり心中で暴走していた。
(大体、悪の知り合いはみんな悪人だし、ヴィリシルアさんは元暗殺者なのよ!? ――リナもゼルガディスさんもそんな人に遠慮することないのよ。問いつめるぐらいいくらでもしないと)
正義の心に身を任せ、ヴィリシルアの家のドアを、彼女はいささか乱暴にノックした。
「魔道士協会の使いできましたアメリアです! ヴィリシルアさん、開けてください!」
「――借金の取り立てかい? お姫さま。怒鳴らなくても今開けるよ」
ごん。
内側から勢いよく開いたドアは、アメリアの顔面を直撃し、彼女はなす術もなく仰向けに転倒した。
(絶対この人悪だわッ!)
受身も取れずに地面は後頭部を直撃し、ぐるぐると回転する視界の中、アメリアはひそかに確信していた。
「……おや」
どうやらヴィリシルアは、ドアノブを回したあと蹴り開けたらしい。それでなくては、こんな凶悪的なスピードでぶつからなかったはずである。
「何するんですかぁあぁぁああッ!」
だるまのように勢いよく起き上がったアメリアに、ヴィリシルアは不機嫌そうに顔を歪めた。
「今開けるって言ったじゃないの。警戒しなかったあんたが悪い。
人のせいにするのは悪じゃないのかな?」
「う゛ッ!」
前者か後者か、あるいはその両方にか、彼女はうめくと、ずささっと音を立てて後退する。
「と、とにかく家に入れてください。聞きたいことが会って来たんですっ!」
「元気だなぁ……」
ヴィリシルアはアメリアを眠そうに見ると、
「いいよ。入りな。断る理由なんて、こっちにはないから」
彼女について入っていくと、ひんやりとした空気が辺りを包んだ。
(――涼しい――ってダメじゃないっ! アメリアしっかりするのよ、悪に気を許すなんて、そんなの間違ってるわッ!)
拳を握り締めつつ心の中で叫ぶと、瞳に力を入れて部屋の中を隅々まで見渡す。ヴィリシルアにソファに座るよう言われたときも、彼女がお茶を入れてくると言ったときも、警戒心は少しも緩まない。お茶を受け取って、毒を警戒して飲まないアメリアにヴィリシルアは苦笑したが、アメリアは気がつかなかった。
「で、何を聞きに来たのかな? お姫さま」
「――そのお姫さまと言うのをやめて下さ――って、なんで私が王女だってことを知ってるんですかあっ!」
ばんっ! がたんっ!
アメリアは机に両手を叩きつけ、椅子を蹴倒して立ち上がる。が、ヴィリシルアは全く怯まずに、
「あんた有名だから」
その言葉に、彼女はぐっ、と言葉に詰まった。有名――どういう風に有名なのかは、聞く気があまりしない。愛らしく美しいセイルーンの姫君――絶対にそんな噂ではないはずだ。
「正義オタク――
伝承歌フリークで、おまけに、かわいらしい見かけとは裏腹に、非常識に頑丈。
暗殺者はよほどの自信がない限り、セイルーンの第二王女、アメリアには近づくな、手を出すな――とまぁ、こんなところだな」
「うう。言わないで欲しかったのにぃ……」
アメリアは頭を抱える。ヴィリシルアはにやりと笑って、お茶を一口飲む。
「でも全部本当だし……で、聞きたいことって?」
「あ、そうでした! 犯人とあなたが具体的にどういう関係なのか教えてほしいと――」
ぴくっ、と、ヴィリスが手を止めた。
「――リナに言われたのか」
「ッ――え、ええ」
ヴィリシルアの、たったそれだけの呟きに気圧されて、アメリアは彼女の顔を見る。なにか考えるように時々揺らめくヴィリシルアの瞳は、沼の水面を見たときのように、底が見えない。
――しばし、沈黙がその場を支配する。
「あの……ヴィリシルア――さん?」
アメリアが、もう茶も冷めようと言う頃になってようやく口を開く。ヴィリシルアはふぅっ、とため息をつくと、
「…………犯人と私の関係だがな。
私はあいつの『守護者』だ、とだけ言っておこう。
――質問はそれだけか? それなら――もう帰ってくれ。頼む」
その言葉に――命令でも、強制されたわけでもないその言葉に――
「……解りました。また、何か会ったら、来ます」
アメリアは、逆らいがたいものを感じて、ゆっくりと立ち上がる。
――とんとんっ。
ノックの音がしたのは、このときだった。
「――リナ――?」
アメリアが呟いてドアの方に顔を向けると、肩に手が置かれた。
「ヴィリシルアさ――」
振り向いて、真剣そのもの――といった彼女の瞳に、思わずアメリアは息を呑む。それだけの迫力と、悲痛さが、ヴィリシルアの瞳には同居していた。
ゆっくりと、ためらいがちに、ヴィリシルアは口を開く。
「お姫様――出ないで。できれば私の話を聞いて欲しい。
そのあとでよかったら――この事件から、手を、引いてくれないか――」
「――いない。のかな……」
ノックしてみてしばらくして、フェリアさんは眉を寄せてぽつりっと呟く。
「そんなはずは――アメリアがきているはずなのに……」
あたしが呟くと同時に、かちゃりっ、とドアが開く。
「――アメリア?」
申しわけなさそうな顔で家の中に立っている彼女に、あたしは眉を寄せて、聞く。
「ヴィリシルアさんは――、裏口から、外に――
ごめん、リナ……わたし、あの人を見たら、追いかけるのが気の毒になって……」
「――どういうこと? ヴィリスに何を聞かされたの?」
あたしの問いに、アメリアは後ろ手にドアを閉め、寄りかかる。
「話はあとよ。やっぱりヴィリシルアさんをほっておいちゃあだめだわ。
追わなくちゃ……事情は、走りながら説明するわ」
言って、アメリアは先導して走り出した。
あたしは彼女の横で走りながら、アメリアの横顔をうかがう。
「……一体、どういうこと? アメリアっ」
「ヴィリシルアさんはあるひと――今回の事件の『犯人』の
守護者として作られたの……
彼女は――
人造人間なの。ひどく、特殊な……」
アメリアは走りながら、時々息を整えて、ヴィリシルアについての話を語り始めた――
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