どのくらいあるいただろうか……
 いい加減、気持ち悪くなってきたあたしたちを待っていたのは、ちょっとしたホールぐらいの大きさをした場所だった。
 そして、その一番奥にあったのは――
 ……ッ!
屍肉呪法ラウグヌト・ルシャヴナ……?!」
 あたしは思わず呟いた。
 そこにあるのは、内蔵をこねくり回したような大きな物体……うげ。
 ――失礼。
 とにかく、『それ』は、あたしの記憶に在る、魔族にしか使えぬその呪法の効果に酷似していた。
 永遠の命と引き換えに、永遠の苦痛と狂気がもたらされる魔法――かつて英断王として名高かったディルス=ルォン=ガイリアがかけられた呪文である。相違点といえば、肉のヘビがないことぐらいか……それを差し引いたとしても、気色悪いことこの上ない。
「く……ぅッ……」
 アメリアがうめいた。嘔吐感がこみ上げてきたのか、口元を押さえている。あたしもガウリイも、初めてではないので耐性はついている――それでも気持ち悪いのだから、彼女が感じた印象は相当のものだろう。
「……これが覇王様サ。本体じゃないけどネ」
「どういうことなのよッ! 一体……ッ!」
「二年前。覇王様は、あなたたちに負わされた傷によって弱体化されました――あなた方の言葉でいうと、『死んだ』といえますね」
 ゼロスはその物体を見ながら言った。『それ』の中央には、人間の顔ではなく、くぼみがそれと同じような位置にできていた――人の顔を模し損ねたもの……そんな感じだ。
「高位魔族は、ある程度弱体化すると、膨大な魔力の制御ができなくなってきます。僕のように、腕を切られただけで済めばまだいい、覇王様のように精神ダメージが大きければ、魔力の制御は余計に難しくなってくる――ゆえに、こういうドームを作って、魔力が制御できるようになるまで待つんです……到底見つけられない場所だったでしょう?」
「ええ――確かにね……」
 あたしは頷いた。この場所は、岩の向こうにあった――正確には、岩を通してここにつながっていたのだ――異界黙示録クレアバイブルへの入り口と同じような仕組みのようだった。
「ですが、この状態だと、いつも魔族が蔑視している人間の、黒魔法用の魔力が必要になるんです」
「これが魔族の、弱点――だ」
 夜さんは肉塊を睨みつけた。ゼロスは頷く。
「ここで人間の魔力の供給を絶つか――もしくはここが攻撃されて消滅すれば、その魔族は膨大な魔力を制御しきれなくなり――暴走します。被害は少々出るでしょうが、神族にとってはさしたるものでもありません。
 神族がこれを知れば、絶対に実行するでしょうね――ま、僕たちにダメージを与えられればの話ですが――」
「高位魔族に太刀打ちできるような神族――すなわち竜王が姿を現せば、ある程度の高位魔族たちはつぶせるということだ……」
「被害……って、どのくらいよ?」
「近隣の人間の町が五つ六つ――
 ――言っただろう? 『神族にとっては』と」
 絶句しているあたしに、夜さんは忌々しげに言った。
「父は四年前、『これ』を見た。どの高位魔族のものだったか――そんなことはどうでもいい。
 これを知って――多分、仲間に言ってしまったのだろう。
 そして――魔王派の連中に殺された」
「なるほど……こんなものを見たがために殺された――ってか……」
 ヴィリスは親の敵――夜さんとエフエフ(決定)にとってはそんなようなもんだが――でも見るような視線で覇王の肉塊を睨んだ。
「ま、そんなわけで――僕らはこうやって、魔力を持ってきているわけサ」
 黒い光を放つモノを包んだシャボン玉のようなものを、グロゥは出現させ――『それ』に溶け込ませる。ノーストも同じようなことをした。
 ――魔力を『見れる』なんて知らなかった……
 どうやら、世界はまだまだ広い。
 ……………………こんな方面に広くあって欲しくないけど。
「これがなくなれば、覇王様は滅びル。たくさんの人間を道連れにネ」
「……お前らにとっては、後者はどうでもいいだろうがな」
 グロゥと手をつないだままのヴィリスが、不機嫌そうに呟いた。
 はぁぁぁぁ……
「とにかく、外に出……」
「ああぁぁあああぁあッ!」
 一つ大きくため息をつき、言いかけたあたしを遮って、聞こえたのは子供の甲高い声。
「ちょっと前に覇王様をボコったひとッ!」
「ボコ……」
 あたしが絶句しているうちに、その子供は狭い通路の中からこちらに出てきた。十歳前後の、草のような緑の髪に瞳の少年である。グロゥと同じような服装だが、マントは黒い。
 ――ここにいると言うことは、この子供も魔族?
 というか一瞬脳裏にフィブリゾがよぎったんですけど……子供だし。
「ねぇ、どうしてここにいるの? ねぇー。どーして?」
「ゼロスが脅迫されたから」
「……グロゥさん。正しいですけどやめてください……」
「ふーん……」
 納得するのか。やっぱり。
 ある程度予想していたあたしは、あまり驚かなかった。
「――で、この子供も魔族なんでしょう?」
 なるべく覇王(仮)に目をやらないようにしてのアメリアの問いに、
「うん。覇王神官プリーストディノ。グロゥと同格の神官だよ♪」
「――ちなみにディノは冥王様と違ってこの性格が地なんでヨロシク」
「いやよろしく――って……」
 それでいーのか高位魔族。
 ……いいのかもしれない……
 降魔戦争で竜族を殺しまくったゼロスもこんな奴なのだし……
 …………………
 あたしの葛藤を知ってか知らずか――って、知らないだろうが――ディノも先程の魔族二人と同じことをして、くるりとこちらを向いた。
「ね、リナ=インバース」
「……なによ」
 子供にフルネームで、しかも呼び捨てで呼ばれるのはちょっと嫌な感じである。
 本当はこのディノとやらが、あたしの生きた歳を十倍してもまだ足りないほど長生きだとしても。
 少々憮然とした面持ちで問い返したあたしを見つめたまま――性格には見上げたまま、
「どーやって魔王様の欠片を二つも滅ぼしたの? ねぇ、どーやって?」
「……知らないの?」
 あたしの問いに、グロゥは沈痛な面持ちで、
「聞いてなかったんだト……」
「こいつはガウリイかぁぁぁッ!」
「………………をい」
 ガウリイの控えめなツッコミは無視しておく。
「あ――そう言えば、さっきから魔族たち、歩いてばっかりいるけど、なんでわざわざ空間移動しないわけ?」
「ここは妙に精神世界面がねじくれてるんで、そっちで移動した方が時間かかるんですよね」
 フェイトの問いに、ゼロスが答える。ま、それはともかく――
「さっさと出ましょう。覇王を滅ぼすために何万人も人間が死ぬような手段、使えやしないし」
「神族なら、あっさり使うだろうけどね」
 ため息混じりに言うアメリアに、あたしは頷いた――脳裏に、火竜王に仕えていた黄金竜たちの姿がよぎる。彼らは目的のためには手段を選ばない奴らだった。今は彼らは滅び、ただ一人―― 一匹を残すのみとなっているが……
「――覇王を死なせないために、人間の魔力が必要、か――何もセイルーンの中でやらなくても良かったじゃない」
「せっかく仕事するんだし、ついでにご飯をと思っテ」
「あんたなあぁあぁああぁあぁぁあぁぁッ!」
 思わず叫ぶあたし。拳を握り締めるアメリア。わざわざ騒ぎを起こすなと、憮然とした顔をするノースト。そして諦め半分のゼロス。
 ――ちなみにノーストに聞いたところ、他の町の人間からは少し魔力をもらうだけなので、倒れるとかどこかに行くとかはなかったとか……
「今度から絶対セイルーンの土を踏まないでッ!」
「飛んでたらイイってコト?」
「いいわけないでしょッ!?」
「でも土を踏んでいないヨ」
「そぉ言う問題じゃないわよッ!」
「そういう問題じゃないの?」
「違うわよッ!」
 ――アメリアとグロゥが不毛な会話を交わしている間に――
 あたしたちは、外に出て――そして異変に気づいた。




僧侶連盟




「あれは――ッ!」
 黄金竜と黒竜の群れ――自分たちに向けられる殺気にふと空を見上げると、見えたのはそれだった。
「……どうやら、尾けられたようですね、ディノ」
「そうみたい――」
 ゼロスの言葉に、緑の髪の少年――覇王神官ディノは、げんなりとした表情で頷いた。
「って言うか、これヤバいんじゃないの!?」
 あたしの声にゼロスはこくりっと頷くと、
「とてもやばいです」
「落ち着いた表情で言うなぁッ! あたしたちまで殺されちゃうじゃないッ!」
「大丈夫ダヨ。どうせ攻撃してきたら返り討ちにスルし。にしても――」
 グロゥは眉をひそめた。
「あれは水竜王のトコの黄金竜ダヨ。ミルガズィアがこんなコトするハズないんだケド……」
「――いや、あの中にはミルはいない」
「もうあだ名付け済みんだったんかい……って、そんなこと言ってる場合じゃなさそうだな」
 ノーストの台詞に一応ツッコんで、ヴィリスは空を見上げた。しばし考えた後、
「……よし、ヘビ、説得にゴー」
「お前がか?」
『……………………』
「二人とも冗談言ってる場合じゃないよ! あの中に長老さんがいないってことは――」
 フェイトの言葉に、全員がはっとなる。そこまで不真面目だった場のテンポが、警鐘を告げるように速まっていく。
「――グロゥさん! リナさんたちをカタートに送って下さいッ!」
「は?! 何で僕が……」
「ノーストさんとディノさんは、とりあえず戦力として残ってもらいます――あなたは『頭脳ブレイン』――でしょう?」
「……立派な肉体労働だと思う」
「あんたは立派な精神体アストラルでしょっ! いいからさっさとあたしたちを、『竜たちの峰ドラゴンズ・ピーク』まで運ぶのよ!」
「解ってるヨ」
 グロゥが皆を見渡して、面倒くさいな、と呟くと、その瞬間、視界が暗転した。




 はぁ……
 ついたため息はどちらのものか――もとい、既にどちらでも良くなっていただろうか。
 山積み、といってもよい書類を、ようやく半分片付けたところで、意識がほとんど薄れてきた。
 彼らの脳裏には、同じような疑問が渦巻いていることだろう。
 すなわち。
(ああ、どうして自分はこんなことをしているんだろう……?)
 今の自らの境遇を嘆きつつ、彼らは押し付けられた、といってもいい書類の山を、しこしこと地道に片付けつづける――




 目をあけて、その瞬間視界に飛び込んできたのは、血にまみれた黄金竜の姿だった。
 この竜は――!
「ミルガズィアさんッ!」
「リナ=インバースか……」
 少し、くぐもった声が漏れる。
 ――彼は次の瞬間に一声吠えて、人間形態を取った。
「無理をしなくても……ッ!」
「いや、大丈夫だ。傷は完治している。血の始末をどうしたものかと途方に暮れていた」
 金の髪の美形中年――それが、『竜たちの峰』に住まう竜たちの長老、ミルガズィアさんだった。
「ミルガズィアさん。お久しぶりです――他の竜たちは――」
「――ここにいるということは見たのだろう。リナ=インバース。手負いの覇王を滅ぼしに行った竜族たちの姿を……」
 あたしはこくんっ、と頷いた。ミルガズィアは後に控えたグロゥに目を向けて、
「お前は覇王神官(プリースト)の――」
「――グロゥダヨ。ゼロスに言われてこの人間たちをここに運んできたんダ」
「そうか――」
「このままだと、降魔戦争の再現になりかねません。止めに――行けますか?」
 あたしの問いに、ミルガズィアさんは首を振った。
 やはり――そうか――
「私が止めろと言ったところで無駄だろう。行ったのはみな、降魔戦争を知らぬ若い竜だ。反対した私を攻撃し、さっさと行ってしまった――あの戦いを知るものたちは、大体は残っているがな……」
「そう。それならちょっとは楽かナ――
 あ、僕はもう戻るヨ、リナ=インバース。ゼロスたちとはいえ、あれを全部相手にするのは骨が折れそうダカラ」
「殺すわけ?」
 アメリアの問いに、グロゥはふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「愚問だネ。無力化する、って行ったダロ。それこそ降魔戦争の再現ダ。魔王様の欠片が二つも滅ぼされ、カタートの魔王様は動けない――不利な状況でそんなことするワケナイ」
「確かにそうね――じゃ、気をつけてね」
「よりにもよって姫さんから、魔族に対するそんな言葉が聞けるなんてな」
「場合が場合です、しかたないでしょう」
 茶化すヴィリスに、アメリアは不機嫌そうに言い放った。グロゥはかすかに笑うと、虚空を渡り、消える。
「さて――あたしたちはどうしましょうか……?」
「待つしかないんじゃないか?」
「をを! ガウリイにしては上出来な提案ッ!」
「お前な……」
 ガウリイのツッコミは、もちろん無視する。
「ま――なんにしても、これから何が起こるのかは、ゼロスたち次第、ってことか――」
「だね――」
 ヴィリスのため息混じりの台詞に、フェイトが頷いた。
 あたしたちの視線の先には一様に、魔王がいると言う、カタートの山の一角があった――
 ………むろん、ガウリイを除いて、だが。




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