彼は突然、歩く足を止めて後方を振り返った。
「ん……?」
「どうしたの? ゼル?」
あたしのことばに、彼――ゼルガディスはかすかに眉をひそめながら、
「いや――なにか声が……」
「『出た』わけ?」
彼は気配を探るようにしてそのエルフのような耳を動かしながら、
「……解らん。一般人がぶち当たったのかもしれんが……」
「それなら……急がなきゃッ!」
「ああ。そうだな――こっちだ」
ゼルガディスが前になって、あたしたちは走り出し――
ぎゅんっ!
闇夜をすりぬけ、信じられないスピードであたしの横すれすれを走っていったのは、金の髪の女性――
「ヴィリスッ!?」
「なにっ?!」
あたしとゼルの叫び声に、彼女は走りを止め、五十メートルほど先から、
「リナッ! えーと魔剣士ッ!」
「まだ名前覚えてなかったわけッ!?」
「そんなこたぁどーでもいいッ!
来るぞッ!」
ヴィリスの叫びにあたしとゼルは、同時に後方を振り返る。
子ども――にしては恐ろしいほどのスピードで走ってくる少女が一人――いや、ヒトではないのか。
「あれ何ッ!? 魔族!?」
叫びに、
「夢鬼ッ! 私今魔力ヤバいからリナたちだけで応戦しといてくれッ! んじゃッ!」
「ちょ、ちょっとぉ!?」
あたしの制止も聞かずに、ヴィリスは全速力で走っていってしまった。
「夢鬼……って、何でこんなところにいるわけ……?」
「――知っているのか? 俺は初めて聞くが……」
眉をひそめるゼルガディスに、あたしはしばし考えて、
「魔力を『喰う』魔物だった……はずよ。セイルーンなんかに来たら、魔力が抜けて消滅してしまうのに――」
「誰かが連れてきた――ということか?」
「さぁ……」
あたしは首を傾げつつ呟く――ゼルガディスの言うとおりだとすれば、この夢鬼も、ある意味では被害者とも言えるのかもしれない。
だが――襲ってくるなら倒すのみッ!
ゼルとあたしは横に跳んで離れると、少女の姿をした
存在に視線を向ける。
……邪魔しないで……
少女は
思念波で囁くと、ふわりと宙に浮かびあたしに向かって近づいてくる。
「
火炎球ッ!」
どごっ!
あたしの呪文をまともに受けて、少女はかすかに後退し――それだけだった。
「しまったぁぁあっ! 精霊魔法効かないんだったッ!」
「アホかぁッ!」
思わず呪文中断してまでツッコミするゼルガディス――だがあたしは知っている。彼が唱えていたのも精霊魔法だったことを。
……あとでアメリアに言いつけてやろ。
「黒魔術がパワーダウンしてるってのに……厄介ね……」
あたしは夢鬼と距離を取りながら、どんな魔法を唱えるべきか考える。
と――
「アストラル・ヴァ――」
馬鹿ッ!
「ストップゼルッ! ンなもんで攻撃したら、剣を介して魔力を吸い取られるわッ!」
お得意の呪文を唱えようとしたゼルガディスを制し、あたしは夢鬼に向き直り――
「ぉをぅッ!?」
とんでもないスピードで目の前に迫ってきた、悲痛な『少女』の表情に、思わず悲鳴を上げる。
「
黒妖陣ッ!」
げげげッ!?
ゼルガディスの放った呪文に、あたしは思わず身をすくませ――
どぅむっ!
生きとし生けるもののみを葬る黒い影は、少女のみを正確に包み――あとには、塵も残さなかった。
ぺたんっ……
あたしはそのままへたりこむ。
「こ……腰が抜けた……っ!」
「全く――情けないな」
呆れたように呟くゼルガディスを、あたしはへたり込んだまま睨みつけ、
「あ、あのねぇッ! 至近距離に仲間がいる時に、ンなぶっそーな術放つわけッ!? ふつーっ!」
「呪文を放っていなければ、今頃は魔力を吸われてぶっ倒れていたぞ」
「そりゃそーだけど……死にはしなかっただでしょーがッ!」
ムキになって言い返すあたしに、彼はため息をつくと、
「――なら、お前は数週間も魔法が使えなくなる方がよかったか?」
「う゛ッ――そ、そりはそぉだけどッ!」
「そうだけど?」
「次にこんなことがあったら、はっきり言って減給ものよッ! げんきゅーッ!」
「給料なんざもらってないんだがな……」
あたしの苦し紛れの捨て台詞に、ゼルガディスはため息混じりに呟く。
「と・に・か・くッ! 罰としてあたしをおぶってくことッ! いいッ!?」
「それくらいなら、なんなりと――」
彼は大きくため息をつき、あたしをおぶいあげた。
「さぁっ! さっさとヴィリスに追いつくのよゼルガディスッ! はいよーっ!」
「俺は馬かッ!」
ぎゃーぎゃーと言い合いつつも、ゼルガディスはかなりのスピードで走ってゆく。
……他のみんなは、ちゃんと夢鬼に対応しきれているだろうか――
胸のうちに起こる不安と心配を首を振って振り払い、あたしはゼルガディスの金属の髪の向こうに、セイルーンの暗い闇を見つめていた。
僧侶連盟
民家の屋根を道代わりに、三つの影が攻防を繰り返していた。ガウリイ、アメリア――そして、夢鬼である。
「そっち行ったぞッ! アメリアッ!」
「――
烈閃槍ッ!」
ガウリイの呼びかけに応えて、アメリアは夢鬼に呪文を解き放つ。
う゛ぅんッ!
少年の姿を形どった魔物は、呪文をまともに受け、霧散する。
――とんっ。
完全に夢鬼が消えたのを確認すると、二人は屋根から地面に飛び降りた。
ガウリイは安堵の息をつき、
「ふぅ――ナイス、アメリア」
「追い込みごくろうさま。ガウリイさん。おかげで早く片付いたわ」
アメリアはにっこりと微笑み、
「でも――
夢鬼をガウリイさんが知ってるなんて意外でした。
あたしは知らなかったのに……」
少々悔しそうな表情で言った彼女に、ガウリイは少し自嘲気味に微笑むと、
「傭兵やってたとき、な。俺が雇われていた部隊は夢鬼の大群に襲われたんだ」
「え――?」
アメリアはガウリイの顔に、跳ね上げるように視線を向けた。
自分は何か聞いてはいけないことを言ったのだろうか……もしかして――
「あの、ガウリイさん。わたし――」
「それでな――」
何か遠くを見るような表情で、ガウリイはアメリアの言葉を遮って話し出す。
「傭兵部隊の魔法が使えない人間って俺だけだったから――たった一人で夢鬼の大群に突撃させられたんだ」
「え゛。」
アメリアはガウリイの、『遠きよくもない日々を懐かしむ』眼差しに、なにやら疲労感を覚えながらも、
「そ、それは――災難でしたね」
引きつった笑顔で言う。
他にどう言えというのだ。
リナやヴィリシルアだったら軽く笑い飛ばしただろうが……
「ああ。大変だった。夢鬼は何とか全部倒したんだが、その後三日は昏睡してて、髪の毛も真っ白だったらしい――」
「あっ……あはははははは。
それは、なんとも……」
頼むからこれ以上話を止めてほしい。
アメリアは、これ以上もないほどひきつりまくった笑顔で笑いつづけながら、心の底からそう願った。
「ヴィリスッ!」
「――リナ……う゛ッ!?」
ふみッ! だんッ! げしいぃぃッ!
あたしはゼルの頭を踏み台にして飛び上がると、彼女に飛び蹴りを喰らわせた。
顔面に喰らって仰向けに倒れ伏すヴィリス。そしてあたしの背後でどさりっ、という音――恐らくゼルガディスが倒れたのだろう。
あたしが蹴倒したのだが。
鼻の頭を押さえつつ、彼女はこちらに非難めいた視線を向けると、
「………てて。
何するんだよッ!」
「敵前逃亡して人に押し付けた奴が言う台詞かあぁあぁぁあぁぁぁッ!
……で、何で逃げたわけ? あんただったらあんな奴さっさと倒せたでしょーに」
「最初はまさか夢鬼だとは思わなかったんだよッ!
――んで蹴りいれたら魔力吸われた。んで逃げた」
「なるほど……」
あたしは納得したように呟いた。ヴィリスの髪はまだ全体的には金髪だが、所々に白銀が混ざっている。
「……老けた?」
「馬鹿にしてんのかッ!」
「当たり前でしょ」
「………………………………をい」
はぅッ!?
とーとつに聞こえた声に、あたしが慌てて振り返ると、視線の先には倒れ伏したまま頭だけを上げ、こっちを見ているゼルガディス。
あたしはぱんっ! と手を打ち合わせ、真顔できっぱり、
「ごめん。何かきっぱし忘れてたわ」
「忘れてたで済むかぁッ!」
彼は叫ぶとがばしッ! と起き上がる。人差し指をこちらに向けながらつかつかっ、と足音を立ててすばやく歩み寄ると、
「リナッ! この前から思ってたがお前最近短気だぞッ!? それとも俺たちに何か恨みとかあるのかッ!?」
「あんたらがあたしを怒らすのが悪いッ!」
きっぱりはっきり言い切るあたしに、ゼルガディスはがくっと肩を落とす。
「何か新しい発想の転換か、それは……」
「正論よ」
「……そうか」
もはや何も言う気にならなくなったらしく、彼は大きくため息をつくと、あたしに背を向けて、はぁぁっとひとつ大きくため息をつく。
「そっちの喧嘩は収まったらしいな」
苦笑しつつのヴィリスの言葉に、あたしは、
「まぁね」
と鼻を鳴らし、ことさら不機嫌を装いつつ言った。
ヴィリスは苦笑を収め、不機嫌そうな――不本意そうな顔を作ると、
「それは置いておくとして、だ。
私は街から出る。お前らはどうする?」
「街から、出る?」
意外な彼女の台詞に、あたしはかすかに首を傾げる。ゼルガディスの方は見えないが、ゆっくりとはいえない速さで振り返る気配が、した。ヴィリスは頷くと、
「ああ。さっきも言ったけど、魔力がやばいからな。この町の中じゃあ回復もできないだろ」
「そう――あたしたちは他のみんな探してみるわ。夢鬼相手だと手間取ることもあるでしょーし」
「確かに、知らない奴にゃあ厄介な相手だからな――んじゃ、フェイトを頼んだぞ」
「フェリアさんを信用しなさいよ」
らしい台詞に、あたしは苦笑しながら言う。ヴィリスは少し顔を赤らめると、口の中でそうだな、とだけ呟いた。
「じゃ。お互い頑張ろか」
「オーケイ」
あたしは笑顔で頷く。ヴィリスは笑い返すと、踵を返して街の外の方に走っていった。
「――さて、と。まずはどっちから探す?」
「ヴィリシルアの奴には悪いが、アメリアとガウリイの方でいいだろう。評議長たちの方は知っていそうだからな」
「……そうね……」
あたしは頷きながら、にんまりと笑う。
彼の意図は解りきっている――アメリアが心配だから。
――まぁ、意図はどうあれ、意見にはあたしもほぼ賛成である。
「じゃ、さっさか出発しましょうかッ!」
「をいちょっと待て。何故に俺の背後に移動する?」
「おんぶv」
にっこりにこにこ言うあたしに、ゼルガディスはよっぽど意外だったのかがくんっ! と肩を落とすと、地の底から聞こえてくるような声音で、
「………もう十分立てるだろーが……しかもさっきヴィリシルアに蹴りいれてただろ」
「ちっ。ダメか――楽できると思ったのに」
「あほか」
あたしが舌打ちすると、ゼルガディスは冷たくツッコんだ。
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