「あああああッ!」
「どうしたんです?」
 突然グロゥがあげた叫び声に、ゼロスは訝しげな顔で問う。彼はきっ! と目を鋭くして振り返ると、
「どうしたじゃないヨ――さっきから夢鬼の数が減ってると思ったら……あいつらのせいじゃないかァッ!
 どぉしてくれるのさゼロス様ッ!? これじゃあこっちの仕事が終わんないヨッ!」
 ヒステリックとまではいかないまでも、十分すぎるほど不機嫌な口調で覇王神官は叫んだ。怒りの矛先はゼロスにはまだ向いてはいないらしいが、リナたちを徹底的に嫌っているだろう彼が、八つ当たり気味の怒りの矛先を自分に向けないとは限らない。
 ゼロスはとりあえず、こほんっ、とひとつ咳払いをすると、
「――あなたの計画の妨げになるからといって、彼女たちを殺すわけにはまいりません。
 それに、お互いの意見と都合を尊重しあう。それが今回のセイルーンでのルールです」
「アリドでのルールを破ったのはそっちだったネェ。僕はいわば、君が忠誠を誓う獣王様のご意向によって、貴重な休暇と上司の信頼、おまけにささやかな平和を失ったわけダ……難儀な時代だヨ。全く」
「僕はそんなもの、手に入れる予定さえなかったんです。予定があっただけましと思ってください」
 ゼロスは表情を変えず笑顔で返したが、ゼロスの他の獣王の部下の魔族が聞いたなら顔を青か赤に染めただろう。何しろ、グロゥが言ったのははっきりとゼロスの主君、『獣王グレーター・ビースト』ゼラス=メタりオムへの悪口である。上司が聞いたら苦笑するか、はたまた激怒するか――判断はつけがたい。
 どちらにしろ試してみる気はグロゥには全くないだろうが。
 ――はっきりいって、魔道士協会の見習い魔道士が導師マスターの悪口を言うのと同レベルである。
 グロゥはひとつため息をつき、
「ま、話がそれちゃったケド、結局どうするわけ? まさかのこのこリナ=インバースあいつらの前に出て行って、『魔力を集めたいから事件を黙認して』なぁんて言えるわけないし?」
「そうなんですよねぇ……そうだ。グロゥさん、魔力取り終わった方々の居場所わかります?」
「――いちいち覚えてないヨ。あっちこっち飛ばしたしネ」
 面倒くさそうな表情でグロゥは言った。彼にしてみれば、人間の命の安否などどうでもいいのである――ゼロスもまぁ同じような感覚だが、人間がどう思っているか、ということまでは、グロゥをはじめとした多くの魔族は考えない――それは、ゼロスが魔族の中で異質であり、腹心でもない割に立場、実力が他の神官・将軍たちより強い理由のひとつだった。
 グロゥはゼロスに改めて視線を向ける。見せかけのみの人間の姿――精神世界面アストラル・サイドには、大きな闇がわだかまっている――彼にはそれが見え、また自分がその『闇』に勝てる自信はなかった。
「僕が部外者として、彼女たちに情報を流しちゃいましょう」
 ゼロスが笑いながら、言う。
「――それでどうなるワケ?」
「そしたら、町の外に飛んでった方々の回収の手配に、少なくともアメリアさんは抜けます」
「――そうだネ――それと――」
 グロゥは町の方に目を向けた。
 ……なんとなく、気に食わない。
 よく解らないが、ゼロスに踊らされているような気がする――
 その子供じみた怒りは、ある意味魔族らしいとはいえるだろう。
 ともあれ彼はその鬱憤を、他に向けることにした。目に付いた――正確には精神世界面アストラル・サイドを通して『視た』それ、を確認すると、グロゥはにんまり笑った。
「人形が、町の外に向かっているヨ。
 ――様子を見にいってみようか」
「いいですよ。ですが――
 くれぐれも、殺してはいけません」
「解ってるって」
 おだやかでない会話をあっさりと交わし、魔族二人は別々の方向に目を向けた。




僧侶連盟




「リナッ! 大丈夫だったかッ!?」
「ガウリイ――ってやめんかぁッ!」
 すぱぁあぁんっ!
 いきなし抱きつこうとしていたガウリイを、スリッパで沈めると、あたしはアメリアに抱きつかれてしどろもどろになっているゼルガディスを横目で見つつ、
「ガウリイ、あんた、夢鬼に会った?」
「ああ、会った――リナたちのほうは?」
「こっちも一匹――あんたたち、魔力吸われたりしなかったみたいだけど――アメリアが知ってたの?」
「いや、俺が」
「嘘ッ!?」
 あたしは叫び、アメリアの方に信じられない、といったような問いかけの瞳を向ける。アメリアはこちらの視線に気づくと、沈痛な面持ちで頷いた。
 あたしはガウリイに驚愕の瞳を向けなおすと、
「あんた――ンなもん覚えてる程記憶の容量に余裕あったんだ……?」
「どういう意味だそれわ……」
「言葉どおりよ――それは置いといて」
「置いとくなよ……」
 もはや取り合わないことは解っているのだろうが、一応力なくツッコむガウリイ。あたしはむろん無視する。
「――ゼロスは、事件解決を望んでいるはずだわ。だからこそ、この件に魔族が関わっていると言ったはず。
 なのに――出てきたのは単なる雑魚の夢鬼。魔族が連れてきたにしては珍しいし弱いのよね……」
 ヴィリスが不意打ちを受けていたが、あれはただ単に夢鬼だということを知らなかっただけだし、あたしもゼルガディスの黒妖陣ブラスト・アッシュで危うくやりたくもない心中をさせられそうになったわけだが――あれは不慮の事故、というヤツである。
 あたしが油断していた、ということもあるが。
「……魔族が都合で、魔力を集める必要があった――というのはどうだ?」
 アメリアと離れて少し名残惜しそうな顔をしていたゼルガディスが、あたしの方に向き直って呟く。あたしは頷くと、
「それはあたしも考えたけど――人間の魔力なんて、魔族と対比したら小指の爪の先ほどもない――ってのはミルガズィアさんから聞いたんだけど――それなら、わざわざ扱いづらく弱い魔物を使って、少ない人間の魔力をかき集めてるのは附に落ちないのよ」
「確かにそうだが――」
「いえいえ。ゼルガディスさん。当たってますよ」
 笑みを含んだ声。
 あたしは跳ねるように顔を上げた。
「ゼロスッ!!」
「いやぁ――正直言って、僕が言うより早く思いつくなんて思いませんでしたよ」
 声――だけである。姿は現していない。
「どういうことよ?
 ――もしそうだとしたら、あたしがさっき言ったような穴があるはずよ。
 何で魔族は自分の魔力を使わないわけ?」
「人間の魔力じゃないといけないからです」
 あたしは眉をひそめた。
「――なんでかしら?」
「それは秘密です――
 それより、いなくなった方々についてですが――」
 あたしはぴくんっ! と眉を跳ね上げる。
「直接は関わっていないんじゃなかったの?」
「事件について何にも知らない、なんて言ってませんよ」
「それで……? いなくなった奴らはどうした」
 ゼルガディスのややキツい声での問いかけに、ゼロスは声だけで笑う――って、そもそも声しかないか。
「解りません」
「はぁっ?! どぉいうことよッ! それはッ!!」
 あたしの叫びに、ゼロスはしばし沈黙し、
「……いなくなった方々は、既に町の中にはいらっしゃいません。
 街の外にいらっしゃることは確かなんですが――街の方々の居場所に着いては、それしか分からないんですね。僕にも」
「――ふぅ……ん……じゃあ、事件の裏についてはけっこー知って……」
「それではリナさん。頑張ってくださいね♪」
「ああっ! ちょっと待ちなさいッ! 言いたいことだけ言って去るなァッ!」
 あたしの叫びの甲斐もなく、後は沈黙が残るのみとなった。
 暗い夜道を見つめながら、あたしはわけもわからず、不吉な予感にとらわれていた――




 目の前がかすんだと思った次の瞬間、世界が回ったのを感じた。
 いや、自分が躓いて転んだのである。
(な……情けない……)
 ヴィリシルアは地面に転がったまま、顔だけ上げて心の中で呟いた。
「は、……ぁぁぁぁぁぁ」
 ため息すらまともにつけない。起き上がるのが億劫だ。面倒くさい――それに、
「疲れた……」
 意識がぐらついている。眠気がどっと襲ってきたが、これはただの眠気ではない――今寝たら、次に目を覚ませるかどうかわからない。
 よろよろと起き上がると、あと百メートルを切った、町の外を睨みつけた。町の外に出ても、結界の外に出なければ無意味である。結界は、そこからさらに数メートル続いている。だが、たった数メートルだ。
(あと、少し……)
 身体が自分の物ではないかのように扱いづらいが、息は不思議と苦しくない。ただ体が動かない。意識は既に街の外に出ているような気がするのに……
 汗だくにはならない。ずっと走ってきたはずなのに、汗は一滴も出ず、ただ背筋に言いようのない寒気があった。
(気持ち悪い……)
 思いながら、彼女はよろよろと歩き出す。
 と。
 進行方向にいきなり現れた、空色の髪の青年に、ヴィリシルアは目を一瞬見開いた。
「――お前、この前の……ッ!」
 彼女は身体にわずかに残った気力を全て搾り出すかのように、苦しげな口調で呟いた。光を失いかけていた瞳に再度、輝きが取り戻される――憎悪、という名の光が。
「ヤァ――久しぶりだネェ」
 芝居がかった口調に腹が立つ。道化師の服装はしていなかったが、見間違えようもない軽薄な笑いは変わっていなかった。
「……ピエロ魔族……ッ!」
 何で、こんな時に出てくる……ッ!?
 ヴィリシルアはぎりッ、と歯軋りした。鋭い紅い瞳を細めて、魔族を睨みつける。
「今はピエロじゃないヨ――まぁ魔族ってのは合ってるけど」
「私の言葉を添削してる余裕があるなら、さっさと出てきた目的を言え」
「ただ出てきただけサ。邪魔しに来た、ってのもあるカナ」
「帰れ」
「ところがそうも……ッ!?」
 ヴィリシルアに服の端――実際には身体の一部だが――をつかまれ、力が抜ける感覚に、『ピエロ魔族』――グロゥは声なく叫んだ。つかまれた部分の精神体アストラルのみ切り離して空間移動すると、少し離れた家の屋根の上に現れる。
 掴んだ服の端は、生き物のようにのた打ち回ったあと、霧のように消え失せる。瞳に驚愕と憎悪の色を煌かせ、彼はヴィリシルアに視線を向けると、
「――まさか夢鬼『もどき』の行動に出るとは……」
「こっちはもうなりふりかまっちゃいられないんでね」
 グロゥから魔力を『吸った』ヴィリシルアは、多少だが顔色は良くなっていた。だが、多少戻ってきた体力は、汗を噴出すことに使われていた。心臓が止まったかのように今までなかった動悸が、今になって襲ってくる。死の可能性から一時救われた自分の体が、またそこに戻るまいと必死になっている――そうも感じられた。
「っ……ぅぁ……」
 思わず座り込むと、呻き声を抑え込み、ヴィリシルアは大きく息をついた。
「随分辛そうだネェ」
 もう、不用意に近づいて、魔力を吸われる失敗を犯すつもりはないらしく、グロゥは高見の見物、といった風情で屋根の上から呟いた。
 うるさい――そう言う気力もなく、ヴィリシルアはただただ、魔族を睨みつけるばかりである。
「…………」
 しばし考えて、彼女は立ち上がった。もうグロゥの方を見向きもしない――どうやら、無視を決め込んだらしい、今度は割としっかりと街の外に向かって歩き出す。
(なんだ。つまんないノ)
 『人形』がもう立ち直ったのを見て、グロゥは内心ため息をついた。ゼロスからはヴィリシルアを殺さないように言われている。彼女を殺せば獣王と覇王の仲ばかりか、主人とは違い比較的友好的な獣神官まで敵に回してしまう――それはなんとしてでも避けなければならない。
(……もう、行こうかナ……)
 それより今は、既に半分に減っている夢鬼の方に意識を向けなければ。
 彼は結界の外に出たところで倒れたヴィリシルアを視界の端に見ながら、小さく舌打ちしてその場から消えた。



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