地面にたたきつけられた鈍い衝撃に、彼女は思わず声なき悲鳴を上げた。
 だが、クッションになった存在があったので、幾分は楽だった。
「何でッ……わざわざ空中に出るんだ……ッ!」
 命の恩人、とも言うべき人間――いや魔族をクッションにした上に、あろうことか『それ』に向かって悪態をつきながら、彼女は――ヴィリシルアはゆっくりと身を起こす。
 ――ずきり、と、額が痛んだ。
(痛っ……)
 もう血はどうにか止まったようだったが……どうにも痛みは治まりそうにない。
 と。
「ヴィリス――?」
 びくんっ――
 声に、彼女は身をすくませた。
 ――それが――
 先程まで聞いていた声だったからだ。それも、彼女の命を奪い去らんとしていたものの。
(……『リナ』――!?)
 ゆっくりと。
 彼女は顔を上げる。
 そこに――訝しげな顔のリナが立っていた。気配の違いもわからない。
(くそっ……眠い……)
 心の中で悪態をつきながら、
「――お前だよな?」
 不安げに。
 彼女は問うた。
「……お前だよな?
 ホントにお前なんだよな――? リナ……?」
「何言ってんの? ねぇ、ヴィリス……なんでグロゥが……?」
「……そっか――よかった……」
 リナの声も、もう聞こえない……頭がふらふらする。ひどく眠い。
 彼女はそれだけぼそぼそと呟くと、ぐらりっ、と身体が傾いだ。
「ごめん、説明したいけど――眠いんだよ――すげぇ……ごめん……」
「ちょっ……何言って……ねぇヴィリス!?」
 ――どうしようもなく眠かった。
 何か考えるのも億劫で。
 何かを思う前に意識が、ゆっくりと闇の中に落ちていった。




平和主義者の魔王様




「ヴィリス!? ちょっ……ヴィリス……
 ……完全に寝てる……駄目だわこりゃ」
 一体何があった……?
 あたしは首を傾げるしかなかった。  ていうか、何故グロゥと一緒に落ちてくるんだ?
「――姉さん!」
 我に返ったか、はじかれたようにエフエフがヴィリスに駆け寄った。
「寝てるだけよ。大丈夫――
 怪我って言えば――この額の傷しかないし」
「うぅぅう。何かある度に傷がふえてるような気がするよ姉さん……」
 ちょっと涙しつつ、何だかみょーに的を射た発言をしているエフエフ。
「……魔族の方はどうだ?」
 と。
 グロゥの名前を覚えてないのかどーかは知らんが。
 夜さんが、自らもすたすたと近寄りつつあたしに言った。
 言われてあたしはグロゥの方を見ると、
「こっちは本気でぼろぼろよ――意識――あるのかな?」
「なかったらこちらには具現化していない。こちらの声も聞こえているはずだ」
「――でも」
 先程から、がっくりと倒れたまま、一言も喋らない。
 血は当然出ていないが――人間の姿を保つのも難しくなってきているのか、身体の所々が薄れてきていた。
「――起きてる? ねぇちょっと?」
 がくがくと身体をフェリアさんが揺すってみるが、まったく持って反応なし。
「ねぇ、これ、この前の『道化師』だよね?」
『え?』
 少々的外れにも見えるフェリアさんの問いに、あたしとエフエフが眉をひそめ――夜さんがしばし考えて、合点がいった、という表情をした。
「――そうか。お前は前の一件のときこいつと会っていないのだったな」
 あ。そっか。
 ようやく解ったあたしも、彼に苦笑を向けながら、
「こいつはゼロスと――とりあえずは同格の魔族よ。覇王神官プリーストグロゥっていうの」
「同格……? それにしてはあっさりゼロスにやられてなかった?」
「魔族の中でも実力差ってもんがあるのよ」
 あたしはてきとーに説明した。
 その瞬間!
「あー。やっぱりここにいましたか」
「――覇王氷河陣ダイナスト・ブラスっ!」
崩霊裂ラ・ティルト!」
 ――
 あたしのとフェリアさんの放った呪文と、夜さんとフェイトが無言で放った暗虚吠ヴォイド・ブレスが、声の主に向かって炸裂する!
 ――が。
 直撃を受けたにも関わらず、声の主は涼しい顔ですたすたと、こちらに向かって歩み寄ってきた。
 獣神官プリースト――ゼロス。
「ぜぇろぉすぅうぅぅぅうううっ!」
 あたしは思わず立ち上がり、走ってゼロスの胸倉つかみあげ、がくがくがくと振りまくる。
「あんたねぇっ!
 よっくものこのことあたしの前に姿を現したわね! それは覚悟ができたと見ていいのねッ!?」
「彼を――」
 しかし彼は妙に真面目な顔で、あるのかどーかも解らん視線を倒れたグロゥに向けると、
「――引き取りにきました。
 一応、僕が彼をそそのかしちゃったんで――責任はとらないといけませんから」
「そそのかした――?」
 あたしは思わず手を放した。
「ええ、そういうわけで――」
 彼は無造作にグロゥに向かって歩み寄り、体格差があまりないように見える青年――に見える魔族を軽々と抱え上げ、こちらに向かってにっこりと笑う。
「また会うことになると思いますが――お体に気をつけて下さいね♪」
 止めるいとまもあらばこそ。
 ゼロスは魔族なかまを抱えて早々と、虚空を渡り消えうせた。
 ――えー……ッと……
「………………誰か状況説明できる人がいたら、頼むから連れてきてぷりぃず………………」
「無理だろうな。多分」
 あたしの小さな呟きに、夜さんは至極冷静に答えのだった。
 ま、確かにね……
 知っていたとしても『人』じゃあないだろう。
「だが、ヴィリシルアが目覚めれば、少しは何かがわかるだろう。
 セイルーンには魔法医の知り合いがいたな?」
「え、ええ」
 何であんたがンなこと知ってんだ。
 そんなツッコミは心の奥に静かにとどめ、あたしはこくりと頷く。
 前回の事件では災難だったシルフィール。彼女が身を寄せる親類の家は、神官と魔法医をかけもちでやっている。
 確かにそこならけっこー近いし、シルフィールの回復呪文は、あたし自身お世話になったことがあった――あんまし思い出したくない記憶ではあるが。
「なら、とりあえずそこに運ぼうか」
 夜さんはヴィリスを抱き上げて、あたしに案内するように言う。
 ――まぁ、とりあえず夜さんの言うことはもっともである。
 とにかく、彼女が目覚めるのを待たないことには、事態はどーも進展しそうにない。
 こーいうわけ解らん状況があたしをどうもイラつかせた――と同時に。
 なにやら、嫌な予感もするのだが……
 ――えぇいっ! 考えたってしょうがない!
 推理をするのは好きなほうだが、それだってしかるべき材料がそろってからのことである。
 あたしにそっくりな女性――というのもかなり気になるが――
 ……うう、とりあえず、さっさとヴィリスを運ぼう!
 あたしは先導をきって、足早に歩き出したのだった。
 ……あ。
 夕飯、食べ損ねた……




「……グロゥ……大丈夫なのかなぁ?」
 眉を寄せながら、緑の髪の少年が言った。
 ――何か、どうしようもなく腹が立つ。
「大丈夫だろう」
 相手を視線だけで威圧するような鋭い瞳をした黒い髪の女性は、落ち着きなさげにがりがりと頭をかき回しながら言った。
「ゼロスは私たちが二人がかりでかかったとて、きっちり返り討ちできるような実力を持っている。
 グロゥがどうしてあの人形ヴィリシルアを助けたのかは解らないが……ちゃんと回復するだろうさ。
 私たちは命令をこなしていればいい」
 言っていることは正論だが、口調には怒りのようなものがにじみ出ている。
 緑色の髪の少年は、覇王神官プリーストディノ。
 漆黒の髪の女性は、覇王将軍ジェネラルノーストといった。
 覇王配下の将軍・神官で、『パワー』と呼ばれる二人組だ。グロゥと、既に滅んだ覇王将軍ジェネラルの『頭脳ブレイン』コンビと違い、力押し専門の二人である。一説で言えば、全く何もこれっぽっちも考えていないコンビということだ。
「そーいうことじゃなくって……
 ……ノースト、何か怖いよ」
「そうか?」
「怒ってるでしょ」
「……そんなことはない」
「うんにゃ。絶対怒ってる。
 ゼロスにグロゥが持ってかれると思ってるでしょ! ノーストッ!」
 ――は?
「ゼロスに? グロゥが?」
 虚を突かれたようにノーストが呟いて、それから苦笑した。
「……いや、ゼロスはそういうことは――しないだろうな。
 グロゥを持っていくとしたら――」
「したら?」
「…………………」
 ――沈黙。
 彼女がものすごい顔をして押し黙るのを見て、ディノは少々引きながら、
「……ノースト、やっぱり怒ってるでしょ」
「怒ってない」
「怒ってるよ」
 …………
 なんとも――
 高位魔族の会話にしては、幼稚じみているとしか言いようがなかったが――
 とにかく……
 グロゥは、大丈夫なのか?
 それは『パワー』の二人だけではなく、覇王と、その配下の魔族全員に共通する不安だった。
 グロゥがいなくなったら、ディノとノーストが配下の魔族の統率をするわけで――
 まぁ、絶対にンなことができるわけがないとゆーのが、実際のところだった。
 ……死ぬなグロゥ。覇王たちの運命は、きっちり君が握っている。
 それはともかく。
「絶対怒ってるッ!」
「怒ってないッ!」
 ディノとノーストの、よく解らん叫びあいは、まだまだ続くようだった。




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