霞みがかった視界。
白い――霧。
そこに浮かんでくる。ぼやけた
映像。
これ――は……?
……の――てき……
音がした。
いや、それは声だったのかもしれない。
いずれにしても――
なにも――見えない――
ただ――奇妙な浮遊感が自分を包むのみ。
……てき――
音はやまない。
断続的に、さながら水に浮かんでは消えて行く泡のように。
何度も何度も、あたしの耳に音は届いた。
――うるさい――
自分も言の葉を紡ごうと、あたしは口を開く。
ごぽりッ――
そこであたしは気づいた。
自分が――水の中にいることに。
そして白い霧と思っていたのが、無数の小さな泡だったと言うことに。
――あたしは浮かびあがろうと、激しくもがいた。
……せかい、の、……
声は鳴り止むことなく、――水の中なのに、――あたしの耳に届いていた。
そして――
獣王様の暇潰し
視界は唐突に開けた。
「っとと!」
あたしは二、三歩たたらを踏み、なんとか転ばず立ち止まる。
ここは――?
思ったが早いか。
目の前に――土の地面が見えた。
「――ぐべっ!」
激しく地面と激突して、あたしはヘンな声を上げた。
……どうやらまだ寝ぼけていたようである。
寝ぼけて?
あたしはいきなり出てきた単語に、きょとんっ、とした顔をする。
――それならば、今のは白昼夢だろうか。
あたしは地に手をついて起きあがりぶんぶんと顔を振った。
立ちあがって周りを見ると、目の前に噴水があった。
視線を転じれば、まばらに木々が立っている。
公園――だろうか――
空を見ると、どんよりと曇っていた。
辺りは――今度は間違いなく霧がかかっていて、白く薄暗い。
「――これが――異界とやらなわけね」
あたしは呟いた。
そうだ。
やっと思い出した。あのゼロスの話を。
獣王の『ひまつぶし』の方法を探しに、あたしはゼロスにくっついてむりやり異世界に連れてきてもらったのである。
「――で、その肝心のゼロスはどこなわけ?
ゼロス? ガウリイッ! ――ええと、エイプリルッ! 返事しなさい!」
…………………………
「ちょっと! 本気で誰もいないわけッ?!」
あたしの問いに、無人の公園は沈黙をもって答えた。
「……どう言うこと――もしかしてまたあのゼロスに担がれた……?」
呟いてみて、あたしは自分でその考えを否定する。
ゼロスは嘘だけは絶対につかない。彼は『獣王のひまつぶしの方法を探しに異界にいく。それ以外に目的は全くないし企んでもいない』ときっぱり言ったのである。
「だったら――ここは……どこ?」
「ここは世界と世界の狭間だよ」
「――!?」
唐突に響き渡った、聞いたことのない声に、あたしは辺りを見回した。
あたしの声に答えてくれた、通りすがりの親切な人、というわけでもないらしいが……
「……誰――?」
「僕は――まぁ死神、とでも名乗っておけばいいのかな」
すぐ隣で聞こえた芝居がかった口調に、あたしは顔をしかめた。
視線を転ずると、黒ずくめに黒い円筒形の帽子をかぶった、顔の位置はあたしと同じぐらいの、人間の形をした
存在が立っていた。
「死神?」
「噂では――そう言うことになっている。普通の人はそう思っている。
それなら僕は死神だ――違うかい?」
中性的な、芝居がかった声。
――あたしは、だんだんいらいらしてきた。この喋り方が癪に障る、と言うのもあるが、ガウリイたちの姿が見えないことがなにより気にかかった。
とりあえずあたしは、この芝居がかった『それ』の話に乗ってやることにした。
「あんたがどう思ってるのかが重要なんじゃないの?」
「――そうかもしれないね――
だったら僕は――自動的に浮かびあがっては消えてゆく――泡――だ」
その黒ずくめの言葉に、あたしは顔をしかめた。
――さっきの夢を、思い出したのである。
「君はどうやらまだすることがあるらしいね。僕はここで出番を待っているんだが――
――ああほら。君を呼んでいる声がするよ。早く行かないと――ここから出られなくなってしまう」
言って、『それ』は空を振り仰いだ。あたしもつられて――空を見る。
――な。りな――リナ――
声がする。
声が――
「あんたは……?」
あたしはふりかえり、『それ』に向かって問いかけた。
聞いておかなければ。
覚えておかなければならないような気がした。
この黒ずくめの名と姿を。
「あんたの名前は――?」
問われて『それ』は、なんとも――よくわからない表情をした。
笑っているような、悲しんでいるような――そんな――顔を。
「――僕は――ブギー・ポップだ」
「
不気味な泡……?」
「そう、僕は――ブギー・ポップだ」
あたしがその『世界と世界の狭間』で耳にした言葉は――
それが最後となった。
「リナッ! 起きろよッ!」
――っ!
ごち。
――今の音は、がばりっ! と勢いよく起きあがったあたしの額と、あたしの顔を覗き込むようにして叫んでいたガウリイの顎が激突した音である。
…………あー痛。
白い壁が見えた。天井も白い。あたしの寝ているベッドの横にもう一つベッドがあって、どうやら宿屋のようなところらしい。少し豪華だが。
「リナ――起きたのか」
ほっとしたように。
優しい笑みを浮かべて、ガウリイが言う。
――ほっとしたのは――あたしの方も同じだった。
「ガウリイ……」
「ああ、リナさん、起きたんですか」
「リナくん、この私さえ大丈夫だったと言うのに、気絶するとはどういうことだね?」
呟きに、間髪いれず聞こえたゼロスとエイプリルの声に、あたしはむらむらと怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「――出てけえぇぇぇぇぇぇぇえッ!」
立ちあがりざまにあたしの放った蹴りに、見事にゼロスとエイプリルは沈黙した。
世界を移動する、と行っても、自分たち魔族にとっては、感覚は空間を渡るそれとほとんど同等のものだった。
だから、完全な人間であるはずのガウリイやエイプリルが何ともなかったのにも関わらず、意思力の
操作にも長け、今、恐らく最も魔力の高い人間であり、さらに『あのお方』に接触した唯一の人間でもあるリナ=インバースがショックで気絶した時には――かなり驚いた。
……いや、逆に『だからこそ』とも言えるのかもしれない。
魔力と繋がりの大きい彼女であるからこそ、初めての感覚に敏感に反応してしまった――と言うのはあるかもしれないのだ。
にしても――
彼女が目を覚ました気配を察してきてみれば――叫びとともに蹴られる始末である。
「これじゃ――酷い仕打ちですよ……」
「確かにそうだねゼロスくん」
ゼロスのぼやきに反応して、エイプリルはこくんっ、と頷いた。
ここはとあるホテルの廊下である。
彼らはリナに追い出され、ここでぼーっとつったっているのだ。
部屋の割り当てはリナとエイプリル、ガウリイとゼロスが、それぞれ同室になっている。
この世界の通貨は、世界に来たと同時に手元にあった袋に入っていた。その他にも色々――歯ブラシセットやその世界に関する事典など――が入っていたりしたが。
「にしても――よくわからない世界だね。ここは」
エイプリルが呟いた。
「文明は相当に進んでいるようだが、魔道がない――君の話だと、
精神世界面は私たちの世界とほぼ同質のようじゃないか」
「ええ。確かに――」
彼女の言葉に中途半端に同意して、ゼロスは鞄にしまってあった事典を取り出した。
「……この世界では――神が魔を滅ぼしてしまったんです。人間が――いえ、神と魔以外のすべての生物が生まれる前に」
事典はすべて白紙である――ただ、彼の望んだ知識が
精神世界面を介して流れ込んでくるのだ。
――神もまた、やがて自ら混沌の海に還っていった。魔を滅ぼしたならば、神の存在意義はなくなる。
ゆえに。
神は滅んだのだ。
自ら――望んで。
そして、虫が生まれ獣が生まれ――人間が生まれた。
神と魔が滅んだゆえに、人間は魔を知らず――魔と異なった文明を築いた。
それが――その結果が――この世界、というわけだった。
「まぁこんなところですね。
でも人間、自分より大きな存在――自分たちより偉い存在がないと不安になってしまうもんです。
だから――自分たちで『神』を作り上げた。自分たちが崇め、奉るためにね」
しかしそれは人間の作った
存在。虚構のもの。
だから『神』はたくさん生まれた。
そしてやはり、『神』が強く自分たちを庇護する存在であるためには――
「それに敵対するもの――魔族が必要だった、というわけだね?」
実は死ヌほど珍しいと思われる、エイプリルのなかなか的を得た言葉に、ゼロスはこくりっ、と頷いた。
「そうです。
――まぁ、地方によって妖怪とか悪魔とか――色々呼び名が違うようですけどね。
あ、でもときどき、異界から混沌の海を介してひょっこり伝わってくる映像と、実在の人物を結び付けたりして、
吸血鬼やらの伝承ができたりするみたいですけど」
ゼロスはぱたんっ、と事典を閉じた。
「興味深いのは――ずいぶん前に起こったことですが――『魔女狩り』ですね」
「魔女狩り?」
「ええ。異界を介し伝わってくるのは映像だけではありませんから。
それでやはり、魔に気づき魔道を扱い始めた女たちは――魔族や悪魔の使いとして徹底的に狩られた。こいつは魔女だ、そいつも魔女だって言ったらすぐその人が魔女だ、ってことになって、とばっちりくって死んだひともたくさんいるみたいですけどね」
ゼロスは壁に寄りかかり、ぺたんっ、と床に腰を下ろした。
人間という生き物はどこまで愚かなのだろう。彼はくつくつと笑う。
エイプリルの『好奇心』、という感情が伝わってきた。
「……そーゆー歴史を持った世界に、いいひまつぶしの方法があるのかはわかりませんけど――ま、気楽にやりましょうか」
なんだかまぬけなセリフをゼロスは呟いた。
――『ひまつぶし』という単語は、かくもシリアスをぶち壊しにする代物なのである。
……?
あたしは顔をしかめた。
――部屋の端に位置する、黒い箱。
黒いつるつるとした表面を別の素材が縁取りしていて、右下の辺りにくぼみがついている。
「なに? これ」
「俺にわかるわけないじゃないか」
そーいえばそうだ。
あたしはとりあえず、そこのくぼみをぽちぃっ、とおして……
……ざーっ。
白と黒の砂嵐が突然つるつるとした部分に浮かぶ!
『うををををををっ!?』
あたしとガウリイは思わずハモって叫び声を上げた。
「どうしたんです?」
あたしの怒りがまだ収まっていないと思ったか、ゼロスがそろそろとおそるおそる扉の間から顔を出した。
「ゼロスっ! なにこれ!?」
「――あー……
それ、テレビですよ」
「って、なんだっ?!」
ガウリイが目をきらきらとさせてゼロスに問いかけた。ゼロスはぽりょぽりょと頬を掻くと、別のくぼみをぽちっと押す。
ぱっ。
ををっ!?
砂嵐が森にかわる。
「これは――まぁようするに、僕らの世界の
隔幻話みたいなものです。それを映し出す魔道士はいませんけどね」
「ほほぉぉぉう」
エイプリルが興味深そうにずいっと『てれび』の前にくる。
ぽち。
ぱっ。
画面は切り替わって、今度はよくわからん鉄の棒の前で漫才やってるおっちゃん二人。
ぷつぅっ。
最初にあたしが押したスイッチを押すと、画面はまた黒く染まった。
「すごいなー。この『テレビ』って」
「こっちの世界ってよっぽど頭いー人がいんのねー。こんなもん考えつくなんて」
「そうでもないと思いますけどね……」
ゼロスが意味ありげに言った。
「どういうことよ?」
「いやまぁ――それはともかく、そろそろ外に出ませんか? 外はまだ昼です」
あ。たしかに。
あたしは窓の外を見て空の色を確認した。
っていうか高いぞ――建物――人、豆粒みたいだし。
ゼロスを振り返り、あたしは頷いた。
「そーね。
じゃ、さっそく出発しましょーかっ!」
「ああちょっと待ってください。忘れてました」
あたしは勢いあまってコケた。床は絨毯だったのでそんなに痛くなかったが。
「ッ――なによ」
「リナさんや僕らの格好はこの世界じゃヘンなので、着替えてください」
「あ、そーなの? わかったわ」
ゼロスがごそごそと鞄の中から服を二着取り出してあたしとエイプリルに手渡した。
あたしの服は絵の具をぶちまけたような絵が描いてあるの半袖のシャツと、蒼いGパン。
エイプリルの方は――あえて言うなら蒼いタキシード、と言ったところだろう。
「じゃあ僕たちはあちらの部屋で着替えてきますので」
言ってゼロスはすたすたと部屋から出て言った。
…………………
「ガウリイ」
「ん?」
「……『ん?』じゃなくて――
あんたも出てかんかあぁぁぁぁぁぁあいッ!」
どかっ!
あたしの鉄拳はガウリイの鳩尾にヒットした。
「――うーん、アトラスシティに増して人がいるわね……」
「だなぁ――」
リナの言葉に、ガウリイがなにも考えていないような相づちを返した。
――そう、確かに人は多かった。
どこから沸いてくるのやら、わらわらと、やたらと人間は昼の町を闊歩していた。
ちなみにゼロスの服は背広、ガウリイの服は蒼いトレーナーとカーキ色の綿パンである。
「やはり魔族や魔物がいないと人は増えるものなのだね。ゼロスくん」
エイプリルはこちらの世界にきてからやたらと自分に話しかけてくるようになった。
こちらの世界のことを一番よく知っているのが自分――ゼロスであることはは明白だったし、なによりリナとガウリイでコンビができあがっていた、と言うのは大きいだろう。
「まぁ、人口が爆発的に増えたのはここ五十年間、ってところですね。
それ以前はこの国も結構荒れてたようです」
彼の答えは彼女に聞こえたかどうか。
なにしろ見渡す限り人の海。
様々な感情が、魔族であるゼロスには感じられた。
――疲れている。
みな、とても疲れているような――そんな感情が流れてくる。
まあ――
「……こんな世界にいたら、疲れもするでしょうけどねぇ……」
自分ですら聞き取れない呟き。
それは――かすかな嘲りのこめられた――
「――っ!」
前方を歩くリナが、急に立ち止まった。
「あれは……」
一瞬、すべてが静寂に包まれたような気がした。
人の海にはあまりにも不似合いな、浮いている存在が――
そこにはいた。
黒い――黒ずくめの『それ』は、一瞬こちらに視線を向けた。
違う――
『こちらに』ではない。
あの黒ずくめは、確かに――リナを見ていた。
「ブギー・ポップ……!」
彼女は小さく呟く。
黒ずくめがふいっと視線を逸らし、己に集まる視線をものともせずに走り去った。
「――追うわよ!」
リナが短く叫び、答えを待たずに走り出す。他の皆もそれに続く。
「どういうことだッ!? リナッ!」
「知らないわよッ! あれは――でもあれは、夢に出てきた……っ!」
ガウリイの問いに、リナはそう返した。
「それは……夢ではないでしょうね――」
ゼロスは走りながら――恐らく誰にも聞こえなかったであろう呟きをもらした。
『君たちはこの世界にとって異物でしかない』
ブギー・ポップの言葉が、水の中を通したように不明瞭に、不鮮明に、それぞれの頭の中に――響いたような気がした。
どのくらい――走ったか。
いつの間に、人気のない場所に出た。
昼なのに――先ほどの人込みの中で感じた日の光は、確かに夏の暑さが感じられたのに――それなのに――なぜか寒気がした。
あたしはあの夢の中に――あの世界と世界の狭間に――また落ち込んでしまったのかと、後ろを振り返る。
「ずいぶん寒いな――夏じゃなかったのか?」
よかった。いる。
こちらを見返してくる青い瞳に、思わず安堵の息をつく。
「ガウリイ。さっきの奴の気配、探れない?」
あたしのことばに、ガウリイは首を横に振った。
「――見失った……?」
「そうでもないよ」
突然声が聞こえた。
――上から。
振り仰ぐまでもない。
声には聞き覚えがあった。
あたしは声を知覚した瞬間、瞬時に殺気を感じ取り、真上に向けてあたしは呪文を解き放つ!
「
魔風ッ!」
風を起こすこの魔法、傘を持った子どもが何とか飛ばされる程度のシロモノだが、落ちてきた人間の落下地点を変えるのには十分!
ひゅごぅっ!
とんっ。
空切る風の音に次ぎ、乾いた地面に軽い音が響いた。
「……あんた――」
「君の名を聞いてなかったと思ってね」
淡々とした口調。
夢の中と変わらない。男だか女だかわからない声音。
黒ずくめ――円筒形の帽子。
それはさながら、あたしの夢より現れた魔物のごとく。
なにひとつ。
夢と変わらない、その姿。
「……ブギー・ポップ……」
夢より
現に浮かび出た、それはまさしく
不気味な泡――
「――そうだね――」
『それ』はそう答えた。
「あたしは――リナよ。リナ=インバース」
胸に手を当て目を逸らさずに。
あたしは『それ』にきっぱりと名乗る。
彼――彼女かも知れないが――の表情は変わらない。
まるでよくできた人形ね……
あたしは眉をひそめながら心の中で呟いた。
「……君たちは――この世界の敵だ」
「……敵……?」
ブギー・ポップの言葉に、あたしは眉をひそめた。
――てき――
蘇る、声。
手でかいた、水の感覚さえもが、はっきりと蘇る。
『せかいのてき。』
そう、か――
あの声は――そう言っていたのか――
「そう――敵は――排除せねばならない」
ッ――!?
風を切る音。
『それ』の声に呼応するように、妙に静かな。
死を呼ぶ音。
「させません」
ばぢぃっ!
呟きの声が聞こえたその途端、耳障りな音とともに、風切る音が消え去った!
防御結界か!
さっきの声からして、どーやら結界を張ったのはゼロスらしい。
…………………って……忘れてた…………………
そーいやいたんだっけ……エイプリルとゼロス……
ちなみにエイプリルと言えば、いきなし襲ってきた『それ』に興味津々らしく、もしかしたら気づいてないのかもしんないが、『それ』の鋭い殺気をものともせず、じーっ、と黒ずくめくんを見つめている。
結界の外を見ると、はじかれたのは細くて金属の糸。魔力はこもっていないものの、人間の肉ぐらいあっさり切り裂くシロモノで、ゼロスが防御結界はっていなければ、そのゼロス以外は全員肉塊になっていたところである。
いや。あんまし想像したくないけど。
――とりあえず、感謝っ!
「サンキュー。ゼロス。
――で、そっちッ! あんた、なんのつもりよッ!」
「言ったとおり――の意味でしょうね。多分」
あたしの問いにゼロスは呟く。ををっ。もとの世界にいたときより当社比で二十倍ぐらい真面目だぞッ!
「ってどーいう意味よ。このゼロスはいざ知らず、あたしたちはなぁぁぁんにも企んじゃあいないわよ!
この世界の敵ってどう言うことよっ!?」
最初の一言以外はかなりの大声で『それ』に向ける。
「魔法のことじゃあないかな? あれが往来で使われたら、かなりの死者が出る」
「ンなのあたしたちの世界だって同じでしょ」
エイプリルのことばにあたしは即答した。
とはいえなぜ――
「古来より――異界より渡ってくるものなどあまりいません。
そして、稀に異界より来るものがあったとしても、その殆どは災いを運んできた……
リナさんたちがそのなによりの証人です。彼らは悪意を持っていなかったとしても、かなりの死者が出ました――」
ゼロスは、黒ずくめとはまた違った淡々さ――と言うのもおかしな表現かもしれないが――まぁそんな感じで説明した。
あたしの閉じたまぶたの裏に、とある事件の思い出が鮮明に蘇る。
闇を撒くもの――ダーク・スター。
そう。確かに彼らは――災いを運んできた。それが『仕方のなかった』ことだとしても。
ヘタをすれば世界すら滅びかねなかったのである。
「……なるほど――
あたしたちがもしかしたらそーゆーヤツかもしんないから、一応殺しとこうってことね……」
冗談ではない。
何年か前の、魔竜王の一件――その時感じた理不尽な怒りをぶり返したような気分にあたしはなった。
あたしは念のためで殺されたくなんぞない!
「っだぁぁぁぁもぉっ! 世界の敵ってなによッ!? 誰が決めたってのよッ!
あたしたちはンなモンに勝手に決定されたくなんぞないッ!
そんな汚名――問答無用で返品しちゃるわ!」
叫んで――あたしは走る。
『それ』に向かって。
べぢぃぃいっ!
「ぐぺっ!」
あたしはまともに鼻を『なにか』にぶつけ、そのままずるずると地面に倒れた。
…………………そ。
そぉぉおだったぁぁぁぁぁっ! 結界張られてたんだったぁぁぁぁぁッ!
ゼロスッ! どーしてくれる! 赤っ恥だろーがッ!?
あたしはゼロスを恨めしげに睨んだ。
彼はあたしの視線に気づいたか、にこっ、と笑う。
『気づかないあなたが悪いんでしょ?』と言っているようにあたしには感じられた。
いやっ!
あたしが感じなくとも絶対そぉ言っとるッ! あたしが決めた今決めた!
ぅおのれゼロスッ! もしかしたら命の恩人かもしれないが、感謝のことば述べたあたしが馬鹿だった!
あたしの怒りがようやく沈静化したころ、ゼロスがあたしのすぐ横に来た。
「合図して下さい。それと同時に結界解きますから」
呟きに、あたしは小さく頷いた。
「――リナ。剣、使っていいか?」
「いや――殺しちゃだめ。剣は――なるべく使わないで」
あたしはガウリイのことばに眉を寄せて呟く。
少なくとも黒ずくめのやろうとしていることは――あたしたちの抹殺だが、彼にも確固たる信念っぽいものがあるわけである。黙って殺されてやるつもりはないが、かといって相手を殺す必要性があるとは思えなかった。
「……エイプリル」
「え? ――なんだね? リナくん」
突然話を振られて驚いたのか、ぱちくりっ、と彼女は瞬きをする。
「あなた、
眠り使える?」
「ああ―― 一応は使えるが」
「ならあたしが合図したらそれ使って」
あたしは答えを待たずにゼロスに目配せした。
しゅぅ……ん。
かすかな音だったが、結界が解かれたのはわかる。
今度こそ、あたしは立ったまま動かない黒ずくめに向かい、走り出した。
ゅんっ!
金属の糸が動く。
触れるすべてを切り刻まんと、黒き死神の意思に従って。
しかし!
ネタがばれればただの動く糸! ならばそんなものは怖くない!
ばちぃっ!
うねり来る金属の糸は、すべて風の結界に阻まれた。
――もう、そろそろか。
たんっ!
あたしは軽くステップして黒ずくめの真横に回る。
同時に『それ』の視線もあたしに移る。
淡々とした、黒い瞳があたしを映す。
そして。
「エイプリルッ!」
「――
眠り!」
あたしの合図とともに。
お約束と言うかなんと言うか、エイプリルの眠りの呪文はあたしまでも眠りにつかせたのだった。
馬鹿らしすぎて抗う気も起きずに。
あたしは、かすかに笑って睡魔に身を委ねた。
どこかで、金属の糸が地に落ちる音が聞こえたような気がした。
あたしが起きてまず目に映ったのは、あまり心配そうでないガウリイの顔だった。
たぶん、寝てるだけだとわかっているからだろう。
それはそうと――
「エイプリルー♪
よくもあたしもいっしょくたに眠らせてくれたわねーv」
「う゛っ! お、起きたのかリナくん!」
エイプリルの声。起きあがって周りを見ると、先ほどと場所は変わっておらず、あたしはガウリイの腕の中にいた。
そして彼女は、あたしのすぐ真横に立っていた。
「とーぜんでしょーが!
――まぁそれは置いといて、あの黒ずくめは?」
あたしの問いにエイプリルは視線を移す。
そこには。
やっぱりと言うかなんと言うか、ぐるぐるぽてりと縛り倒され、黒いマントを取られた、あたしと同じぐらいの少女の姿があった。
「――あたしが起きたってことは、そろそろ起きるころね。
ゼロスは?」
「この場はリナくんに任せるそうだ。彼はどーやら聞き込みに行ったようだね」
「ひまつぶしのこと聞きに?」
あたしの問いに、黙ってエイプリルは頷いた。
「……ひまつぶし?」
きょとんっ、としたような声。
黒ずくめ――いや、少女の声である。
「そ。ひまつぶし、よ。
――くだらないでしょ? これがあたしたちの――というよりあのゼロスの目的よ。あたしたちはその連れ」
「なんだ――それならそうと早く言ってくれれば――」
「問答無用で攻撃しかけてきたのはどこの誰よッ!」
「――そんなことは問題じゃない」
あたしの言葉にひるまず、少女は言った。
「……その前に、この縄をほどいてくれないかな?」
あたしは彼女を蹴り飛ばした。
「休日? うーん、まぁ色々あるけど、ほとんどはドライブしに行ってるよ」
――二十代、男性。
「え? ヒマな時なにしてるかってぇー? 爪のお手入れとかぁ、それから――(以下かなり長く続くのでカット)」
――十代、女性。
「ヒマな時ですか? もちろんヒマさえあればあの人のところに行って、いつも遠くから見守ってますよ……ふふふふふ」
――三十代、男性。
――最後のはなんと言うか――俗に言うストーカーという奴ではないだろうか。
いや、むろん彼に他人のことがとやかく言えるはずもないのだが、最近はそういったものを規制する法律もできたわけだし、自粛してほしいものである。
ともあれ――彼の王が気に召すようなモノが――かれこれ百人程度に聞いたが――このリストの中にあるとは思えなかった。
(リナさんたちは――上手く彼女に説明できてますかねぇ……)
人ごみの中、ゼロスは先を思いやり、はぁぁっと深くため息をついた。
「……じゃあ僕はこれでもう行くよ。世界の敵が君たちじゃないことがわかったからね」
白い顔面に足跡をつけた彼女は、黒いマントを羽織って言った。
「え? あたしたちじゃない――って、他にもいるの?」
あたしはきょとんっ、と呟いた。
てっきりあたしたちだけだと思っていたのだが。
「誰だって世界の敵になりうる可能性はある。
――それに、僕は滅多に外に出ないからね。なにか――世界の敵が出てくるようなことがなければね。
それじゃ」
「あ。ああっ! ちょっと待って!」
あたしは彼女を引きとめる。
――たまには、ゼロスの仕事を手伝ってやってもいいかもしれない。
「あなた、ヒマな時なにしてる?」
問いに、彼女はしばし考えて、
「……口笛の練習を」
と言った。
そして去った。
あたしは――
あの堅苦しそうな獣王が、必死に口笛の練習している様を思い浮かべて。
思いっきり笑ったのだった。
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