エイプリルははっきり言ってこの異界の旅に飽きてきていた。
 なぜか――は、彼女にはわかりきっていた。
 すなわち――
 謎がないッ! と、ゆーことである。
 というか前回の世界で、歴史の話とゼロスの思わせぶりな発言で、絶対今回はまともにスリリングな事件が起こるッ!
 ――と、そう期待していたのにも関わらず、結局なにも起きなかったことが彼女は癪だった。
 それタチの悪い野次馬のセリフじゃねーか、とかゆーまともな意見は少なくとも彼女の頭の中には存在しない。
「……まちがっている――まちがっているぞ……」
 彼女は誰ともなしに呟き続ける。これでもじゅーぶんアブない人間に見えるが、それも置いておく。彼女は気にするよーな人間ではない。
 ちなみに、今回は彼女はいつもどおりの探偵ルックだった。リナたちは前々回の世界で着ていたような服を着ている。ゼロスは背広ではなく手品師のような格好をしていたが。
「むぅ――今回は私の知的探求心を刺激するよーな事件は起こってくれるのだろうか……?」
 簡単に言うと『私の野次馬心を満たすよーな面白いことは起こらないだろーか』とゆー意味ではあるのだが、それに彼女は気づいていない。
「今回もおいしーもの食べられるといいわね♪ ガウリイ」
 リナはうきうきしながら言った。ガウリイはきょろきょろと辺りに視線を動かすと、
「飯屋とかあるのかなー……」
 と呟いた。
「んー……たしかにここらヘンは人気ないけど――ま、いちおー探してみましょーか。
 ――ゼロス。あんたはどーする?」
「ご一緒します」
「あ、そ」
 リナは言ってすたすたと歩いていった。他の三人もそれに続く。
 やたらとのぼりにくい坂を登り、着いたのはのれんがかかった小さな屋だった。
「――そば屋」
「そばってなによ」
 ゼロスの呟きにリナが問う。
「この国の料理です。つゆに入った麺――ですね。おおむねは」
「麺、ね。じゃあここ入ってみましょうか!」




獣王様の暇潰し




 っ――くっ、ここがっ――くそっ……
「あぁぁぁもぉ! 食べにくいったらありゃしないっ!」
 あたしは初めて扱う『ハシ』なるものに混乱していた。
 この二本の棒でどーやって食えとゆーのだっ!
 とゆーよりゼロスはともかくとしてガウリイがハシを扱えたのは驚きである。
 エイプリルはあたしと同じで苦戦していたが。
 食べ終わったのはあたしが一番最後だった。
 ――食もあまり進まず、五人前ほどしか食べられなかったことにあたしは後悔した。




 蕎麦屋の隣りは古本屋だった。
「きょう――ごくどう――京極堂です」
 ゼロスが通訳した。この国の言語はリナたちのそれとずれている。前回も前々回もそうではあったのだが、あの時は文字を読む機会など無かったのだ。
 言葉が通じたのは――ゼロスに説明してもらったはもらったのだが良くわからない理由だった。
 ゼロスが言うには、
精神世界面アストラル・サイドは『イメージ』で成り立っています。その存在の心、精神――などですね。で、話は変わりますが世界を移行することによって世界の『ズレ』が生じます。世界は少しでも『ズレ』を元に戻そうとあなたたちを一時的に世界の『存在』として『容認』するわけです。
 それで、真っ先に影響を受けるのが『言語』というものだった――つまりあなたたちはこの世界のどの国の人間のどの国の言葉とも言葉が通じる――という理屈になりますね」
 ――と言うことだった。
 彼女は魔道士ではあるのだが、はっきり言ってそう言った風な理屈はよくわからない。リナ辺りなら大雑把どころか正確に理解できているのかもしれないが。
「――なんの店?」
「古本屋です」
 リナの言葉にゼロスは即答した。ちなみにガウリイはといえば、『キョウゴクドウ』という単語を繰り返し口の中で呟いている。
 ところで――彼女は、と言うよりは彼女たちの世界の人間は、古本屋というものが少ない。
 文献を扱うところ、と言うのはむろんあるが、そういう『ところ』というのはほとんど図書館である。普通の民間人が読むような『本』と言うのは英雄伝ヒロイック・サーガや『おとぎ話』がほとんどだし、彼女とて魔道士になる前はそういうものしか読んだことが無かった。
 そう言ったものは普通本屋、と言うものではなく行商や露店で手に入れるし、読まなくなれば他人にあげたり捨てたり、それとも本棚でほこりをかぶっていたり――少なくとも『売ろう』と思う人間はいないだろう。
「面白そうね――入ってみましょうか。通訳お願いねv ゼロス」
「――いちいち音読してたら僕の声枯れますよ……?」
「魔族が声枯れるわけないでしょーが」
 そんなことを、前方を歩く二人が言い合いながら、エイプリルたちは古本屋――『京極堂』に足を踏み入れた。




 ――後で聞いたことなのだが、この店が開いている、と言うのはめったには無いことらしい。
 別に主人が怠け者、と言うわけではない。
 彼は、ただ本を読むのが好きなだけだったのである。
「――本だらけね」
 店の中に入った最初の感想はそれだった。
 本で溢れているが、整理整頓されていない、と言うことも無く、本棚は整っている。
「すごいな……」
 エイプリルも少しキツめの目を見開いて言う。
 そして。
 少々陰気なその『古本屋』の奥の方に座って――本を読んでいたのは、世界が滅んだかのごとき仏頂面の男だった。
 陰気な古本屋の仏頂面の店主。
 彼は夜道で会ったら全速力で逃げ出したくなることうけあいの、丹精ではあるがかなり凶悪な顔をしていた。黒い髪は少し、伸びている。
 ――ちなみに、断っておくが『彼』はどちらかと言えば魔道士系の、おおよそ肉体労働などには向いていない類の男だった。怖い、と言う種類は――例えるなら怪談やら幽霊やらのそれである。
 あたしたちが入ってきたことに気づかないでもあるまいに、彼は顔も上げずに本を読んでいた。
 ――無愛想な店主。
 しょうがないので、あたしたちは勝手に本を見ることにした。
 ――と言っても、ゼロスに小声で訳してもらう、ということがあちこちで行われていたから、本が読みにくい状況ではあっただろうが。
 そして。
「おおっ! 客だぞ客ッ! 古本屋に客がいる!」
 ――聞くからに傍若無人なその声は、それほど広くもない古本屋に響き渡った。
 店主はそこでようやっと顔を上げる。仏頂面は変わってはいないが、多分――彼は嫌そうな顔をしたのだろう。
「榎さんか――」
 そこで彼ははぁっ、とため息をつくと、
「すいませんがね、お客さん。こちらは知り合いがきたもので、店を閉めなければならない」
「いいじゃないか京極堂ッ! 珍しい客を追い払うこともあるまいに! なんなら僕も客になって本を立ち読みしていこうか?」
 さっきの声である。
 そちらの方を見ると、茶髪に茶色の瞳の、色白の男が立っていた。あたしは変人など見飽きているから、彼がとりわけへんな男だとも思えなかったが。
 常識で考えれば――かなりの変人である。知人の店に来た途端、この騒ぎである。
 にしても、京極堂って――店と同じ苗字か?
「それは遠慮してもらいます――あんたが本を読むと、本が破かれそうだ」
 店主――京極堂は、嫌そうに言う。不機嫌と言うことでもないのだろうから、別に嫌、と言うわけでもないのだろうが、表情は仏頂面のままだった。
「それより今回は何か用ですか?」
「亀だ!」
 エノさん――とか呼ばれていたか? その男が京極堂に答えて叫んだ。
「亀だ亀。千姫がいなくなったんダッ! あの馬鹿親父はまた亀をなくしたのだ!」
「千姫が? またですか?」
 また、と言うと前回もいなくなって――探し当てた、と言うことだろうか? それはかなりの名探偵ぶりだが。
 ――探偵。
 あたしは少し嫌な予感がしてエイプリルを見た。
 偶然入った店で事件の知らせ――そんなに大した事件でもないのだが――を聞いて、運命的なことを感じたと思われる。彼女はものすごく嬉しそうな顔をした。
「事件だ! 事件だよリナ君! これは紫の脳細胞たるこの私に事件を解明しろと――そういうわけだと思わないかい!?」
 と、先ほどのエノさんにも勝るとも劣らず大きな声で言った。
「良ければ話をお聞かせ願いませんかお二方!」
 ――ああああ。まあぁぁぁぁた面倒なことになりそうである。
 あたしは頭を抱えた。
 ゼロスはいつのまにかどこかへ消えていた。
 ――関わって仕事が遂行できなくなるのはごめんだ――と言うことか。
「あたしだってそんなのは同じだってのっ! 連れてくんならあたしも連れて行けえぇぇぇぇっ!」
 今現在あたしの精一杯の絶叫は――
 エイプリルやエノさんの耳には届かなかったらしい。
 唯一声が届いたと思われる店主は、うるさい、とばかりに顔をかすかにしかめたのだった。




「こちらが榎木津礼二郎で、僕は中禅寺秋彦、と言います」
 座敷に来て、彼らはとりあえずそう自己紹介した。
「じゃあ中禅寺さん。よくわかりませんけどあたしたちはこれで」
「ちょっと待ってください。僕に代わってこの馬鹿らしい失踪事件を解いてくれるんじゃあなかったんですか?」
 こら。さりげなしに足掴むな。中禅寺。
 あたしはジト目で彼を見ると、
「じゃあ中禅寺さんは見ず知らずの赤の他人に、そんな馬鹿らしい事件を押し付けるんですか?」
「ええ」
 即答である。
 何考えとんじゃ! この痩せぎすおやぢっ!
 あたしはそんな心中を極力押さえながら、にこやかな笑みを浮かべた。
「あはははは。でもあたしはヤなんで。
 任せるならこのエイプリルにしてください。まぁ彼女に任せたら一生事件は解決しないと思いますがその辺は自業自得ですよね」
「リナ君なにげにそれは失礼なんじゃあないのかな?」
 あたしのことばにエイプリルがさりげなくツッコんだ。
 やかましい。
 あたしははっきり言って町のどこぞに消えた亀探せ、とゆー気の遠くなるようなばかげたことをするのはごめんである。
 そんなわけで、あたしはエイプリルを無視して話を続ける。
「それに前回いなくなったときはあなたたちで見つかったんでしょう? それだったら今回も見つかるんじゃあありませんか?」
「前回はかなりの偶然で見つけましたからね」
 中禅寺は仏頂面でとぼけて言う。
 ――くっ! どーあってもややこしい仕事を自分がやるつもりなしか!
 それだったらあたしにも考えとゆーものがある!
「榎木津さんはどうなんです? やっぱり見ず知らずのあたしたちより中禅寺さんのほうが信用に足ると思いますよねぇ?」
 必殺! 相手をおだてて依頼人に納得させる作戦!
 面倒な仕事回避するときに役立つ技である。
 が――
 榎木津は、黙ってあたしをにらんでいた。
 いや――あたしの後ろを見ているのか。
「なんだ? その男は……」
 あたしは怪訝な顔をした。
 まさか幽霊がついているということもあるまいに、あたしの後ろになにが見えるとゆーのだ?
「なんだそれ? 仮面か?」
「亀ん?」
 中禅寺が妙なアクセントで発音した。
 仮面――の男。
 EDのことか?
 ちょっと待て! なぜこの男にはそれが『視える』のだ!?
 あたしは慌てた。
「ちょっと待ッ! なんで見え――」
「仮面の男!? EDくんのことかね? それは」
「ED? 誰だっけ、それ」
 あたしとエイプリルがまともに驚いた声を上げるのを後目に、ガウリイが間の抜けた声を上げる――のはいつものことだが。
「江戸?」
 今度は榎木津がへんな言葉を呟いた。
「なかなか珍客のようだな」
 中禅寺がぽつりっ、と呟いた。
「そう言えば、あなたたちの名を聞いていませんでしたね――それに、住んでいる国も」
 ――あ。
 あたしは今にいたって、そのことに気づいた。
「そーいえばそーね。
 あたしはリナよ。リナ=インバース。故郷くにはゼフィーリア――って言ってもわかんないか」
 かすかに苦笑する。ここは別の世界だ。わかるはずもない。
「ゼフィーリア?」
 思ったとおり、中禅寺が眉の皺を増やした。
「あははは。気にしないで」
「私はエイプリル=ランドマークだ」
 エイプリルがあたしの話をごまかすように自己紹介をした。中禅寺が一瞬そちらに気をそらす。
 今だッ!
「――で、このにーちゃんがガウリイ=ガブリエフ。のーみそなし骨だらけ記憶力皆無のひとよ。思う存分哀れんで」
 あたしの言葉にガウリイがコケて畳に頭をぶつけた。
 まぁ――ここまでぼろくそいわれては無理もないだろうが。
「あ、あのなぁっ!」
 思ったとおり、起き上がったとたん不機嫌な声を上げる彼に、
「本当のことでしょ」
 とあたしは冷たい言葉を返した。
「で、カメ――」
「あははははは。じゃあお互いの紹介も済んだことですし、あたしたちはこれで」
 立ち上がりかけた瞬間、中禅寺の奥さんと思われる女性が、
「お茶菓子、いりませんか?」
『いります!』
 あたしとガウリイはハモって言った。
 助かった♪ このお茶は少し渋くて口になれぬ味で戸惑っていたのである。甘いお菓子は大歓迎だった。
「じゃあカメの件はどうします?」
 はっ!
 ――しまった! 煙に巻いて去るつもりが……
 慌てて奥さんの方を見やると、奥さんはただにこにことあたしとガウリイの皿に茶菓子を配っていた。
 ――はめられた。
 あたしは確信した――面倒なことになった――
 そうあたしが思った時。
「ん?」
 鈴の音?
 いや、それにしてはちょっと大きい。
「電話だ」
 中禅寺が立って、部屋の外に消えた。
 しばらくたって、中禅寺が戻ってくると、ちょっとつまらなそうな顔を彼はしていた。
「――千姫が見つかったそうだよ。家にいたらしいね」
「なんだそうか! やはりあの馬鹿親父は早とちりでボーっとしているからそういう勘違いをするんだな! 全く!」
 榎木津が笑った。
 あたしは――はっきり言ってほっとしていた。ガウリイは顔色を変えずに、エイプリルはあからさまに残念そうな顔をしていた。
「じゃ、お茶飲み直しましょうか」
「帰るんじゃなかったんですか?」
 ――理由わかってるくせに、いやはや、果てしなくいやみな店主である。
 あたしはぴっ、と指を一つ立て、
「気が変わったのよ」
 といった。




 そのあとリナたちはいろんなことを話し合った。
 中禅寺のうんちくを聞き流しながら。
 ゼロスはどうしたのだろうか、と思う。
 しかし、それよりも。
「次の世界では――なにか事件があるだろうか……」
 多分、無いと思う。
 エイプリルはため息をついた。
 ゼロスは――どうしただろうか?




 ――ちなみに、その頃ゼロスは。
 比較的人通りの多い駅前で聞き込みをして、あまりに話を聞いてくれる人が少ないため途方にくれていたという。
「ああ――帰りたくないです――」




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