And which is better, to call to mind, and to remember, quickly and readily, or quietly and slowly?
The former.
And is not shrewdness a quickness or cleverness of the soul, and not a quietness?
True.
And is it not best to understand what is said, whether at the writing-master's or the music-master's, or anywhere else, not as quietly as possible, but as quickly as possible?
Yes.
And which is better, to call to mind, and to remember, quickly and readily, or quietly and slowly?
〔to不定詞〕は、〔副詞的用法〕の〔目的〕であろう。
と思って、後ろの or の前後を見たら、quickly, readily, quietly, slowly と、どう見ても〔副詞〕。これらは〔主語〕にはならない。ということは、この〔to不定詞〕は〔名詞的用法〕。そして〔主語〕でなければならない。もちろん形の上では、which が〔代名詞〕で〔主語〕になるのだが、which の部分は、本当は、
To call to mind and to remember quickly and readily or (to call to mind and to remember quickly and readily) quietly and slowly
省略を復活させて、is better も書いてありえないが分かりやすい疑問文にすると、
To call to mind and to remember quickly and readily is better?
or
to call to mind and to remember quietly and slowly is better?
と、上下二文の選択疑問。
to call to mind and to remember は、(1) to call (to mind) + to remember なのか、それとも、(2) to call to mind + (to call) to remember なのであろうか。mind に〔名詞〕と〔動詞〕の両方の使い方があるため、ややこしい。〔名詞〕ならば to mind の to は〔前置詞〕。〔動詞〕ならば、to mind は〔to不定詞〕。
“bring O to mind”“call O to mind”で、「Oを思い出す」「Oを思い出させる」という意味がある。多分これ。to call to mind と to remember は、同じようなことを別の表現で書く一種の文章技法。よく見かける。
「それでは、即座にすばやく、記憶をたぐったり、思い出すことと、静かでゆっくりと記憶をたぐったり、思い出すのと、どっちがいいですか」
The former.
「前者です」
And is not shrewdness a quickness or cleverness of the soul, and not a quietness?
語の並びから考えると、コンマまでは、shrewdness is not a quickness or cleverness of the soul. が疑問文になったものであろうか。「抜け目がないというのは、魂のすばやさとか賢さではないですか」。
これはそう訳しても不自然ではない。その次の、and not a quietness が難しい。これは、同じような疑問文、Is not shrewdness a quietness of the soul? の消えている部分の省略と考えられる。そうであるならば、「抜け目がないというのは、魂の静かさということではないですか」となる。そう訳してしまうと、quickness と quietness を同時に推薦することになるし。否定されれば、同時に否定さえることになる。これはおかしい。
話の流れから、ソクラテスは、「すばやい>静か」ということを示そうとしている。となれば、quickness に「優」を与え、quietness に「劣」を与える意見でなくてはならない。
苦しいが、次のように考えることとした。shrewdness の前の is not は「〜ではないですか」という〔否定疑問〕で、a quietness の前の not は、「〜ではないね」という〔否定〕の気持ちを表すものだ。
「そして、抜け目のないということは、魂のすばやさや賢さを表すことだね。魂が静かだということではないね」
True.
「ええ、おっしゃるとおりです」
And is it not best to understand what is said, whether at the writing-master's or the music-master's, or anywhere else, not as quietly as possible, but as quickly as possible?
〔否定疑問文〕には、2種類の作り方がある。
(1) Is not it...? / Isn't it...? / Do not you...? / Don't you ...? など。
(2) Is it not...? / Do you not...? など。
この文は(2)型で、もう1つ前の文は(1)型。
この文は、“it...to...”の構文。本当の〔主語〕は to understand what...。whether at...else に部分は、割り込んでいるので、この部分を除いて書いてみると、
Is it not best to understand what is said, not as quietly as possible, but as quickly as possible?
what is said は、understand の〔目的語〕。分かりやすくするために、これも除いて、Is it not best を消してみると、
to understand not as quietly as possible but as quickly as possible
さらに、“as...as possible”「できるだけ……」=as...as one can が邪魔なので、これも除くと、
to understand not quietly but quickly
“not...but...”の構文だ。「静かにではなく、すばやく理解すること」。これが骨組みとなっている。肉が付きすぎて、どういう骨格なのか見つけにくい。
「そして、作家のところだろうと、音楽家のところだろうと、他のどんなところでも、言われたことを、できるだけ静かではなく、できるだけすばやく理解した方が一番なのではないかい?」
Yes.
「そうですね」
ソクラテス:
記憶をたぐったり、思い出したりするときに、すばやく簡単にやるのと、静かにゆっくりやるのと、どっちがいいかい。
カルミデス:
すばやく簡単にやるほうです。
ソクラテス:
そして、抜かりがないというのは、魂が機敏だとか賢いということだね。魂が静かな状態にあるということではないね。
カルミデス:
おっしゃるとおりです。
ソクラテス:
さらに、作家のところだろうと音楽家のところだろうと、他のどんなところでもいいけれど、言われたことを理解する時のことを考えてくれ。その時に、できるだけ静かに理解するということではなくて、できるだけすばやく理解する方が最善なのではないかい。
カルミデス:
そうですね。
即座に思い出すことについて。確かにすばやく思い出したほうが、クイズの早押し問題には好都合。そのほかの点でも大筋認める。
「魂が機敏で賢い方……」の「機敏」は当然だが、「賢い(賢さ)」を出してきたところがずるい。
言われたことを理解するのは、同じ理解度ならば、はやい方がいいだろう。