Then temperance is not quietness, nor is the temperate life quiet,--certainly not upon this view; for the life which is temperate is supposed to be the good. And of two things, one is true,--either never, or very seldom, do the quiet actions in life appear to be better than the quick and energetic ones; or supposing that of the nobler actions, there are as many quiet, as quick and vehement: still, even if we grant this, temperance will not be acting quietly any more than acting quickly and energetically, either in walking or talking or in anything else; nor will the quiet life be more temperate than the unquiet, seeing that temperance is admitted by us to be a good and noble thing, and the quick have been shown to be as good as the quiet.
I think, he said, Socrates, that you are right.
Then temperance is not quietness, nor is the temperate life quiet,
nor is the temperate life quiet は、〔否定語〕nor が前に出たために起こった〔倒置〕。nor=not+or なので、下のようにも書ける。
or the temperate life is not quiet
「それでは、節制は平静ではない。また、節度のある生活は、静かなものでもない」
--certainly not upon this view; for the life which is temperate is supposed to be the good.
英文を読んでいると、“―”(ダッシュ;dash;このテキストデーターでは“--”)が出てきて、私たちを惑わせる。説明されることは、あまりないが、ダッシュの理解は英文解釈上、必要不可欠である。といっても使われる状況は限られている。少し列記してみる。
(1) 文中に他の語句を挿入する。
(2) 「つまり」という意味を表す。
(3) 訂正して言い直す。
(4) いろいろ並べてきたことをまとめる。
(5) 前言の補足説明。文法的につなぐことが難しい語句などを置く。
この他にもあるようだが、このくらいにしておく。
upon this view は、「この見方に基づいて」くらいだろうか。「この見方」とはどんな見方だろう。this は後ろに続く〔節〕の内容も表すことができる。certainly not upon this view は「確かに、この見方に基づいていない」というような内容ならば、ダッシュ(--)の前の意見と、this view は「相容れない関係」、言い切ってしまうと「反対の見方」と考えられる。
そう考えてセミコロン(;)以後を見てみると、for the life which is temperate is supposed to be the good「(というのは)節制的な生活は善であると考えられる」。for を除いて〔能動態〕にすると
We suppose the life which is temperate to be the good. We が〔主語〕、suppose が〔動詞〕、the life which is temperate が〔目的語〕、to be the good が〔目的格補語〕。「SはOをCとVする」。
「節制的な生活は静かなものではない」と「節制的な生活は善である」という意見は矛盾するであろうか。今までの流れから言えば、「精神活動でも身体活動でも、静かにやるより速くやる方が良い」という結論が導き出される。「静かではない方が善に近いのである」そうなれば、前出二言は矛盾しない。
今までは、not が upon this view にかかり「この見方に基づいていない」と解釈していたが、not が〔前置詞句(副詞句)〕を否定することは、特殊な例であろう。となると、not と upon this view が切り離されていて、 certainly not と upon this view に分けられるのだろうか。そう考えると「確かに違う、この見方に基づけば」と考えられる。この「違う」とは、ダッシュの前の2文(2節)の not を言い直しているのではないか。前2節の内容を肯定しているということだ。
「この見方に基づけば、確かに違う。節度のある生活は善とみなされている」。この「見方」が、後ろの文ならば、「節度のある生活は善とみなされているという見方に基づけば、確かに違う」となる。
何とか、つじつまは合うが、別の面からも考えてみる。
“.(ピリオド)”“;(セミコロン)”“:(コロン)”“,(コンマ)”の4つの句読点は、前ほど区切りが強くなる。
Then temperance is not quietness, nor is the temperate life quiet,--certainly not upon this view; for the life which is temperate is supposed to be the good.
の部分では、view と for の間に強い区切りのセミコロンがある。ダッシュがどうかかわるかは不明だが、セミコロンまでで、1つの意味のまとまりがあり、訳が成り立つ可能性がある。
そう考えると、this view は、前回までの話で述べられた意見ではないのか。そうすると、
「それでは、節制は平静ではない。また、節度ある生活とは静かなものでもない。今までの見方に従えば、確かに静かなものではない。というのは、節度のある生活は善だと見なされているからだ」
これでいいのではないか。
検討の余地を残しながら次に行く。
And of two things, one is true,
And one of two things is true. とも書けるであろう。
「2つのこと」とは何だろう。ダッシュの後ろの either A or B の「AとB」のことだろうか。
「そして、2つのうちの1つは本当だ」
--either never, or very seldom, do the quiet actions in life appear to be better than the quick and energetic ones;
“either never or very seldom”は“either A or B”の形。「決してないか、きわめてまれ」。
never も seldom も〔否定語〕。〔否定語〕が前に来ると、文は倒置となる。〔疑問文〕をつくるつもりで。appear は〔一般動詞〕なので、助動詞do を〔主語〕の前に置く。〔主語〕は the actions in life。ones=actions。
「決してないか、または、きわめてわずかの頻度で、生活の中で静かな行動が、すばやくて活動的な行動より優れているように見える」
or supposing that of the nobler actions, there are as many quiet, as quick and vehement:
quiet と quick and vehement の後ろには、それぞれ actions が省略されているのではないか。
“supposing that節”は、「〜だとすると」「〜と仮定すると」という意味になる。〔独立分詞構文〕である。この文の that は、〔接続詞〕なのだろうか。もしそうならば、of the nobler actions, there are as many quiet, as quick qnd vehement: までは、少なくとも〔仮定〕の範囲内ということになる。that は〔節〕を導くので、there are... という〔主語〕〔動詞〕が必要になるからである。
「また、より高貴な行動の中に、すばやくて精力的なものと同じだけ、静かな行動があるとすれば、」
still, even if we grant this, temperance will not be acting quietly any more than acting quickly and energetically,
even if... は、「たとえ〜でも」。「たとえ私たちがこのことを認めるとしても」。this の指す「このこと」とは何だろう。一番自然なのは、supposing の後ろに示された内容。つまり「すばやくて精力的な動きと同じように静かな動きも、優れた行動の中にある」。
temperance will not be acting... の acting は〔現在分詞〕ではなく〔動名詞〕。「静かに行動すること」。than の後ろの acting も〔動名詞〕。「すばやく精力的に行動すること」。
“not A any more than B”は、言葉通りに考えれば、「BよりもAであることは全然ない」。“no more A than B”も同じような内容になる。
また、上記のBに否定的な気持ちが加われば、「Bは全然たいしたことはないのだが、それよりもAが勝っているということはないですよ」となり、「Bと同様Aも〜ない」という訳に発展するときもある。
今回は、それでやってみる。
「さらに、たとえ私たちがこのことを認めたとしても、節制がすばやく精力的に活動することでないと同様に、静かに活動することでもないだろう」
either in walking or talking or in anything else; nor will the quiet life be more temperate than the unquiet,
“either A or B”だ。「AだろうとBだろうと」。ほんとうは、セミコロンまでは、前の節にかかるはず。コンマよりセミコロンの方が、区切りが強いので。
nor will the quiet life be... も〔否定語〕nor が前に来たための〔倒置〕。
最後の the unquiet の後ろには、life が〔省略〕されている。
「歩いているときや話しているとき、他のどんなことをしているときにしてもそうだ。また、静かな生活は静かではない生活より節制的だ、ということにもならないだろう」
seeing that temperance is admitted by us to be a good and noble thing, and the quick have been shown to be as good as the quiet.
“Seeing that...”。これも〔独立分詞構文〕。「……であるところを見ると」。
temperance is admitted by us to be a good and noble thing の部分を〔能動態〕にすると、
We admit temperance to be a good and noble thing.
We が〔主語〕、admit が〔動詞〕、temperance が〔目的語〕、to be a good and noble thing が〔目的格補語〕。
この部分も、先ほどの「静かな生活は静かではない生活より節度のある生活ということにはならない」という意見の〔理由〕〔根拠〕を述べていると考えられる。
and the quick have been... も、同じように〔理由〕を述べていると考えられる。従って、and that the quick have been... と that を入れてくれると分かりやすかった。
the quick have と来ているので、the quick は〔複数扱い〕。一番に考えつくのは、the quick=quick people、the quiet=quiet people。でも、話の流れから、the quick things、the quiet things の things省略とも考えられる。the quick life はないだろう。でも、the quick lives はあるかも。the quick actions や the quiet actions の actions の省略も可能性がある。
今回は、敗戦である。分からないことが多すぎる。
「節制は私たちによって善で高貴なものであると認められていることを考えると。そして、すばやい人々は静かな人々と同じくらい良いと証明されたのを考えると」
I think, he said, Socrates, that you are right.
「私はあなたの言うとおりだと思います、ソクラテス」
ソクラテス:
それならば、節制とは平静のことではないね。また節度のある生活も静かな生活のことではないね。今まで述べてきた見方によれば、このことは明らかだ。節度のある生活は善であると見なされているからね。
次に述べる2つのうち、1つは当たっている。生活の中で、静かに行動することの方が、すばやくて精力的な行動よりも優れていると見られるケースは、全くないか、きわめてまれである。
また、より尊い行動の中に、すばやく精力的な行動と同じ数だけ静かな行動があると思ってくれ。そして、私たちがそのことを認めるとしよう。そして、歩いたり、話したり、その他のどんなことをするときでも、「節制は、すばやく精力的に行動することではなくて、静かに行動することだ」とは言えないはずだ。
また、節制は善で高貴なものと認められていることと、すばやいことは静かなことに劣っていないと考察してきたこととを考えるならば、「静かな生活は、そうではない生活よりも節制の徳がある」とも言えないだろう。
カルミデス:
あなたのおっしゃるとおりだと思います、ソクラテス。
哲学というより、英文自体が分からない。
私の訳は間違いを含んでいるかも知れないが、ソクラテスはカルミデスの意見「節制の徳とは、静かにしていること」を否定していることに変わりないと思う。