To be sure, I said; yet I doubt whether we shall ever be able to discover their truth or falsehood; for they are a kind of riddle.
What makes you think so? he said.
Because, I said, he who uttered them seems to me to have meant one thing, and said another. Is the scribe, for example, to be regarded as doing nothing when he reads or writes?
I should rather think that he was doing something.
To be sure, I said; yet I doubt whether we shall ever be able to discover their truth or falsehood; for they are a kind of riddle.
“to be sure, but...”で「なるほど、しかし……」とよく使われる。yet は今回、but と同じ働きをする〔接続詞〕として使われていると考えると、これが適用できる。
whether... は〔間接疑問〕。
「なるほど、しかし、我々は今までにそのことが真実か偽りか発見できたかどうか疑問に思っている。というのは、それらは一種の謎だからだ」
What makes you think so? he said.
What が〔主語〕、makes が〔動詞〕、you が〔目的語〕、think so が〔目的格補語〕。〔使役〕の文。“S+make+O+動詞の原形(原形不定詞)”。「SはOに原形動詞させる」。
「何があなたにそう考えさせる」→「どうしてあなたはそう思うのですか」
Because, I said, he who uttered them seems to me to have meant one thing, and said another.
who uttered them の部分は、he を修飾する〔関係節〕なので、文の構造を見極めるため、Because や I said とともに除外して書き直してみると、
He seems to me to have meant one thing, and (to have) said another.
“seem to O to不定詞”は、第41回のテーマの“appear to O to be C”と親戚関係にある表現。「Oにはto不定詞しているように見える」
「なぜならば、それらを主張した彼は、私にはひとつのことを意味している一方で、別のことを言ったようにみえる」
Is the scribe, for example, to be regarded as doing nothing when he reads or writes?
これも構文を明らかにするため、for example を省略して、平叙文の順に書き直してみる。
The scribe is to be regarded as doing nothing when he reads or writes.
when 以後は〔副詞節〕だから除くと、さらに分かりやすい。
“S regard O as C”で、「SはOをCと見なしている」。受動態をこの記号のまま書くと“O is regard as C (by S)”。「OはCと見なされている」。
この文は、is to be... となっているので“be+to不定詞”の文だ。〔予定〕は違う。〔義務・必要〕の可能性はある。〔可能〕、これが一番怪しい。〔運命〕は違う。〔意図・意志〕、これも違う。やっぱり〔可能〕が一番よさそう。
印刷が発明されるまでは、書物はすべて書き写してコピーした。この書き写す役目を果たすのが scribe。「写本筆記者」は、自分が考えた文章を書いているのではなく、ただ書き写しているだけ。
「書記」という使い方もある。後を見てみると、こちらの方がよさそうな気がしてきたので、「書記」にする。
「例えば、書記官は、読んだり書いたりしているとき、何もしていないとみられることも可能かい」
I should rather think that he was doing something.
“should rather...”は“would rather...”と同じ。「むしろ〜したい」。that節中は、〔仮定法過去〕か〔仮定法過去完了〕が好まれる。なので、was doing となっているが、〔過去〕には訳さない。
「私は、むしろ書記官は何かをしていると考えたいと思います」
ソクラテス:
なるほど、しかし、「節制とは自分の職分を守ること」という定義は、我々の間で、真実だとも違うとも証明されていないように思うんだ。それは何かしら謎の部分があるからね」
カルミデス:
どうして、そうお思いになるのですか。
ソクラテス:
そう主張する者は、自分が思っていることと、別のことを言っているように思えるからだよ。例えば、書記官が、読んだり書いたりしている動作は、何もしていないのと同じなのだろうか。
カルミデス:
むしろ、書記官は、何かをしているんだ思います。
ソクラテスが何を言おうとしているのか、今のところ、私には不明。