And yet if reading and writing are the same as doing, you were doing what was not your own business?
But they are the same as doing.
And the healing art, my friend, and building, and weaving, and doing anything whatever which is done by art,--these all clearly come under the head of doing?
Certainly.
And yet if reading and writing are the same as doing, you were doing what was not your own business?
yet が and とともに用いられると、but の意味になることがある。
“the same as...”で「……と同じ」。
reading and writing は、2つの〔動名詞〕を〔主語〕としたもの。
what は言わずと知れた〔先行詞〕を含む〔関係代名詞〕。「自分自身の仕事ではないこと」。
「だが、もし、読んだり書いたりすることが、何かをなすことと同じならば、君は君自身の仕事でないことをしていたことになる」
But they are the same as doing.
they とは、reading and writing であろう。
「しかし、読んだり書いたりすることは、なすことと同じです」
And the healing art, my friend, and building, and weaving, and doing anything whatever which is done by art,--these all clearly come under the head of doing?
whatever は〔関係代名詞〕であろうか、それとも〔関係形容詞〕であろうか。そうならば、他に〔関係詞〕が必要なはずはない。which がある以上、whatever は〔関係詞〕ではないだろう。
〔副詞〕で、「何でも」「何にせよ」という意味を表すことができる。
“come under the head of O”で、「Oの項目に入る」「Oの部類に入る」。
「そして、私の友人よ、治療の技術と建築、そして機織や、技術によってなされるあらゆることは何でも、これらはすべて明らかに、なすことの部類に入るのではないかね」
Certainly.
「確かに」
ソクラテス:
しかし、もし読んだり書いたりすることが、何かをすることになるのなら、君は自分の職分ではないことをやっていたことになるのではないかい?
カルミデス:
でも、読んだり書いたりすることは、確かに何かをすることです。
ソクラテス:
さらに、病気の治療や建築や機織(はたおり)など、技術を要するものは何でもみんな、何かをなすことの部類に入るのではないかね?
カルミデス:
ええ、確かに入ります。