今日はやっと西安から抜け出せる。荷物をホテルに預けて、街に出た。ウィンドウショッピングと食事。昨日買ったマラドーナのTシャツを、サッカー好きの友達にも買っていこうと思ったが、あいにく売切れだった。サッカーワールドカップのTシャツで我慢してもらおう。それを1着。ベルトも買った。
昨日見つけることができなかったシャブシャブの店「清雅斉」を見つける。しかし、結婚式の披露宴で貸し切りらしく、食事できずじまい。とことん嫌われたものだ。
羊肉の餃子店に入る。ここ西安は、回教(イスラム教)徒が多いので、羊肉店が多い。前回、餃子を食べたときに、やや物足りなかったので、今回は、2人で3元(120円)分頼んだ。とても食べ切れなかった。水餃子であった。羊の肉は、思ったほどクセがなく、食べやすかった。
今日は、街に人があふれている。「五一」という休日なのだ。労働者の日、メーデーだ。忘れてはいけない、ここは社会主義の国、共産党が統治する国なのだ。
ホテルに荷物を取りに戻る。少々時間があるので、本館の方のロビーで休んでいると、無線を持ったSPのような人がいる。従業員もネクタイを締めなおし、玄関の外に出て並んでいる。PRESSと書かれたバスが止まっていたり、テレビカメラを抱えた白人がいた。どこかの国の要人が来ているのかと思ったが、結局、どこかの国の報道取材班が、大勢で来ていて、帰るところだった。並んだホテル従業員が拍手で送り出していた。
ソファでウトウトしてから、バスでCAAC(中国民航)のオフィスまで。混んだバスを2つ見送ったら、空いていた。CAACのオフィスから、CAACのバスで空港まで。しっかりとバス代は取られた。空港はそれほど立派ではなかった。日本人のツアー客たちが、ホテルへ向かうバスが到着するのを待っていた。
私は今日、初めて空を飛んだ。海外も初めてで、中国には船で入ったので、飛行機に乗ったことがなかったのだ。“Y7”という名のプロペラ機だ。30人も乗れば満席の小さい飛行機で、音もうるさかった。急に下がったりして、ジェットコースターに乗っている気分。2時間弱であったが、ちゃんとジュースもお菓子も出た。
D07 地球の歩き方 西安・敦煌・ウルムチ シルクロードと中国西北部 2009~2010
成都(Chengdu)到着は、夜になった。大通りは、街灯がきれいに並んでおり、驚くことに、車はヘッドライトを点けずに、車幅灯だけで走っている。対向車を認識すると、パッシングをする。バッテリーの消耗を気にしているのだろうか。事故が多いとも聞いていないので、これでいいんだろう。
成都は、四川料理で知られている四川盆地にある。四川は「天府の国」と呼ばれる豊かな地方で、お米もたくさんとれる。古くから錦織りも盛んで、成都は、「錦城(Jincheng)」「錦官城(Jinguancheng)」と呼ばれることもある。また、後蜀の王が、成都城内に芙蓉の花を植えさせたことにより、「芙城(Fucheng)」「芙蓉城(Furongcheng)」という別名もある。そんな成都も、大きなビルの建設ラッシュのようだ。
錦江賓館(Jinjiang binguan)は立派なホテルだ。道路から数十段の階段を上り、ロービーに入るのだが、階段のところで、日本語で「泊まるのか」とたずねられた。「そうだ」と答えると、「わかりました。ついて来てください」と言われた。ロビーは豪華過ぎて、気後れがした。外国人観光客でいっぱいである。フロントには行かず、客室の方へ連れて行かれた。結局ホテル内に事務所を構えるCITS(中国国際旅行社)で宿泊手続きをさせられた。2泊分で1人132元(約5300円)。結構な値段である。直接フロントで交渉した方が、安かったか。
ロビーに溢れかえる宿泊客を見ると、成都を脱出する切符が手に入るのか、少々不安になる。
「四川省は山だらけだ」と地図を見て思っていたが、その省都の成都からは、遠くに、低くかすんだ山が見えるだけだ。中国の広さは、並大抵ではない。
街に出る。女性のスカート姿が格段に目につく。上海などは、3日いて5人も見ていない。どちらが流行の先を走っているのだろうか。観光ガイドブックに、「成都の人々はキップが良くて、喧嘩っ早い」と書かれていたが、そういわれると、「しゃきしゃき」というか「きびきび」というか、元気が良さそう。歩道で本を売る人や、服をつるして並べている人たちが、大声を張り上げている。私たちも地図を買った。
成都の市街地は、展覧館という建物や体育場を中心に、東西南北に広がっている。私たちのホテルは、そのやや南にある。火車北站(これが通常成都火車駅といわれている)は、市街地の北のはずれにある。もちろん、そこまで切符を買いに行く覚悟はあったが、ホテルから歩いていける場所に、火車售票処(4月25日のところで書いた「火車票預售処」と同じ)がある。西安では断られたが、ダメモトで行ってみる。昆明(Kunming)行きの硬座の切符が、あっさり買えて、拍子抜けした。しかも、ローカルプライス(中国人民価格)で。丸一日乗車で、21.7元(約800円)である。
西安のときのように、満席ばかりで、何日か足止めされることは覚悟していた。まさか、明日の列車の切符が買えるなんて、思ってもいなかった。急きょ、ほぼ半日で市内観光をすることに決め、バスに乗り込んだ。
市街の南西、中心部からもそう遠くないところに、武候祠(Wuhouci)がある。三国時代に成都を都とした蜀(Shu)の劉備玄徳(LiuBei Xuande)と、その軍師諸葛亮孔明(ZhugeLiang Kongming)が祭られている。
中学生のとき、伯父が吉川英治の『三国志演義』文庫本、全8冊を買ってくれた。登場人物の多さにびっくりした。とてもじゃないが把握しきれなかった。はじめは、そんなに面白いと思わずに、我慢して読んでいた。途中から、劉備や関羽・張飛の活躍を心待ちにするようになっていた。他の登場人物たちの話しも並行してすすめられるので、じらされるのだ。しかし、この物語、「脾肉を嘆」じたり「白眉」が登場したり、「三顧の礼」で「水魚の交わり」があったり、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬っ」たり、おしまいには、「死せる孔明、生ける仲達をはしら」せるのだ。途中「関羽のばか!」「愚か者の張飛め!」と心の中で叫んでいた。劉備の時には、あきれてしまった。愛すべき敗者たちであった。「絶望は愚か者の結論である」とラジオの人生相談で言っていたが、あの状況で、孔明は、絶望しなかったのだろうか。最後まで努力し続ける姿に、いい知れぬ感動が走った。最後の1冊は、涙なしでは読めなかった。
『三国志演義』を読んでない人は、上の段落の内容は、チンプンカンプンだと思うが、私が、武候祠に思い入れがあることは、感じてもらえたと思う。そんな思い入れがあるにもかかわらず、特に感想はないのだ。強いてあげると、玄徳の墓は、小さな丘になっていた。今まで見てきたきちんとした墓とは違い、草木が雑然と茂っていて、さみしかった。
成都市は甲府市と姉妹都市なのだそうだ。確かに・・・、言われてみれば・・・。
杜甫草堂(DuFucaotang)は、武候祠のやや北西、成都市街の西のはずれにある。唐の時代の詩人杜甫(Du Fu)が、安史の乱を逃れて移り住んだところである。かなり立派で、竹林に趣が感じられる。広いのだが、あとの時代になって拡張工事を数度やったからだそうだ。漢文の授業で出てきた「国敗れて山河あり、城春にして草木深し、・・・」という、おなじみの漢詩のしおりも売られていた。この敷地内にも、写真屋と本屋・みやげ物屋・お菓子屋があった。
杜甫草堂の入り口 看板を指差す人は、隣で写真をとっていた人のモデル |
門前のバスが止まる通りの両側には、屋台が並び、トカゲの干したのやら薬草とおぼしきものなどをつるしている。そういえば、このようにして売られていた動物の骨に、文字のようなものが刻まれていたのを、偶然見つけたことが、殷王朝の遺跡発見につながったのだった。確か、そんな話しだったと思う。
バスを2路線乗り継いで、王建墓(WangJianmu)へ。杜甫草堂のやや北東、成都の中心より少し北西の市街地にある。王建(Wang Jian)は、五代十国の時代に、成都を都として前蜀(Qianshu)をつくった王だ。この人も人望が厚かったということだ。
15mほどの高さに形を整えて盛られた墓で、長さ25mほどの墓室におりて行ける。立派な墓だ。それより、この墓を中心にして庭園となっているのだが、この庭内の木陰の椅子に座り、本とノートを広げ、熱心に勉強している若者の姿が目についた。1人や2人ではない。中国の一般家庭の家は狭く、勉強する場を求めてきているようなのだ。10億以上の国民が、みんなやる気を出したら、日本の経済力も危うくなるのでは・・・。共に栄えることができれば、一番いいのだが・・・。眠れる獅子でいてくれた方が・・・。
行き帰りに使った公共汽車(バス)は、他の都市に比べ空いていて、たまたま行き帰りとも、同じ車掌さんに当たったのだが、このお姉さんは、親切で好感が持てた。
明日は午後から丸1日かかって、昆明へ行かなければならない。硬座なので、眠れるかどうか。今晩は、ゆっくり休んでおこう。
倦 夜 Juan Ye | 杜 甫 Du Fu |
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竹涼侵臥内 | Zhu liang qin wo nei. |
野月満庭隅 | Ye yue man ting yu. |
重露成涓滴 | Zhong lu cheng juan di. |
稀星乍有無 | Xi xing zha you wu. |
暗飛蛍自照 | An fei ying zi zhao. |
水宿鳥相呼 | Shui su niao xiang hu. |
万事干戈裏 | Wan shi gan ge li. |
空悲清夜徂 | Kong bei qing ye cu. |
私が中学のとき、すでに三国志演義のコミック本が出版され始めていて、友達も何巻か持っていた。チラッと見せてもらったが、絵で見てしまうと、頭で描いていたものがそちらに修正されてしまう。中学生ながら、これはいけないと思って、借りて読んだりはしなかった。読解力は、こうしてついていくもんだと思う。安易に、絵に頼るのは想像力を減退させる。
というわけで、やはり吉川英治先生の『三国志演義』をどうぞ。日記中にも述べたが、1巻目は我慢が必要。
最近では、宮城谷昌光先生が『三国志』を書き始めている。2004年の12月の段階で、3巻まで出ている。
『三国志演義』は、やっぱり最期は悲しい。「滅びの美学」がきれいに描かれている。これはこれでいいんだが、スカッと気分爽快。劉備ファンや孔明ファンも大満足。そんなエンディングもあっていい。
実はそんな本があるのだ。周大荒先生著・渡辺精一先生訳の『反三国志』。『三国志演義』を読んで悲しい思いをした方は、『反三国志』を読んで溜飲(りゅういん)を下(さ)げてくれ。ちょっとでき過ぎの感があるが、ストレスが吹き飛ぶ爽快感が得られる。もちろん、『三国志演義』を読んでないとダメ。
文庫本は『上・下』2巻で千五百円くらい。でも、ハードカバーの1巻物をすすめる。値段は二千七百円を越えるが、家で読むなら読みやすい。中古本の紹介もあるので、クリックして、アマゾンを訪問してみてください。
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