メンタルヘルス対応は難しいと言われる。
誤解を恐れず言えば、「難しいこと」を「難しい方法」でやろうとするからである。
「難しいこと」とは「メンタルが悪く十分に働けない社員を配慮してでも働かせる」である
「難しい方法」とは「医療的健康管理」で行う事であり、それは「医療的な考え方に基づき
医療職が主体となって行う方法」の事である。
会社で大事なことは「メンタルが悪いかどうか」ではなく、「働けているかどうか」である
働けていればメンタルが悪くても、会社としては関係ない。
メンタルの判断は、医療職にしか出来ない、厳密には、精神科経験のある医師にしか出来な
い。「医療的」であり、会社で「医療的なこと」を試みる事は、人的・物的資源の制約を考慮
すれば、「難しい」事に決まっている。
雇用契約面からみると、民法の概念に基づく「雇用契約」では、「働けない」人を就業させ
る義務はないし、「働けない」なら契約も解除出来る。労働契約で合意した職務内容の半分し
か遂行出来ない社員を就業させる必要は無く、これを行う事が想定外の事をしようとしている
点で、やはり「難しい」のである。
ただ、一病的な使用者・労解関係を考慮し、「労働契約」では、労働者保護のため使用者側
に解雇制限など労働基準法上の様々な制約を課しているから、話しがさらにややこしくなる。
メンタル不調者の対応であったとしても、職場で適用すべきルールは、「医療的」な考え方
では無く、労働契約であろう。
労務提供とその対価である。
社員の私的な借金で、会社に給与差し押さえの連絡が来たとする。会社はどこまで面倒を見
ればよいのか?会社ごとに違いはあろうが、必ずある「一線」を設け、最終的に自己破産に至
る事があっても、まかり間違っても、倒産してでも社員を救おうと言う会社はまず無い筈であ
る。
これが「業務的」な考え方である。
一方、「医療的」な考え方ではどうか?メンタルが悪く業務遂行がままならない社員に対し
特に主治医は周囲の負担を考慮する事無く「特別扱い」を求めるケースが少なくない。
会社も「お医者さんの言うことだから(正しいに違いない)」とか、「やっぱり社員のメン
タルは大事だから」と、労働契約で事前に約東した範囲内かどうかを検討する事無く受け入れ
ている。
この場合「一線」は何処にあるのだろうか?どの社員にも適用される「一線」が明確に存在
するのなら、基準の厳しい・緩いは問題にならないが「医療的」な所に最後の判断を委ねてし
まうと、結局、「命は地球より重い」とまでは言わずとも、自己破産のように「割り切る」事
が出来ず、とことん面倒を見る事になってはしまっては、いないだろうか。
メンタルを考える上で「医療的」か「業務的」か、を思案することは重要だ。
(「健康管理は社員自身にやらせなさい」より出典)
著者:高尾総司(一部改変)
(社会保険労務士・後藤田慶子)