ノルウッド手術

 次の日から、私は熱を出してしまいました。
はづちちは、毎日大阪の病院と奈良の病院の往復。はづちちが来ると、初寿紀の様子を聞いて過ごしました。
 8月6日に、初寿紀の検査があります。造影剤を入れての検査です。とりあえず、落ち着いてると言う事でしたが、
正直、安心は出来ませんでした。いつ何があるか分からない・・・そのことだけがずっと頭にありました。
私も大阪の病院に転院すると言う話もあったのですが、私の調子も悪かったので無理でした。
はづちちは、私も危ないと思ってたようで、「しっかり食べて、早く元気になり!」と毎日命令してました。
この頃、私は熱が続き食欲も無く、後産の痛みもあり、かなり大変でした。
手術後、私は大部屋に戻る予定でしたが、結局個室で過ごすことになりました。
毎日、下熱と痛み止めの座薬を入れて過ごしました。

 初寿紀は、大阪の病院でICUに入っています。はづちちの報告が唯一の楽しみでした。
「初寿紀の病院の先生はやさしい?看護婦さんは親切?」何回もはづちちに聞きました。
初寿紀の手術が決まりました。8月9日です。丁度、出産から1週間目です。
手術は朝の9時から15時間の予定です。
私はどうしても、前日に面会に行きたくて、産婦人科の先生に無理やり頼んでOKをもらいました。
実はまだ、無理と言う事だったんですが、助産婦さんが「私もついていくから、お願いします。」と先生に頼んでくれました。
そして、そこまで言うなら・・・と言うことで、車椅子での移動、薬を持ってと言う条件付で外出する事が出来ました。
 8月8日、夕方私ははづちちの車で大阪の病院にむかいました。大阪の病院では車椅子を用意して待っててくれました。
そして、ICUに。ICUにはいるには手洗いと消毒と着替えがあります。ICUに入ると、初寿紀の主治医の先生から話がありました。
私は、何よりも初寿紀に会いたくて先生の話もちゃんと聞いてませんでした。(なんて母親だろう・・・今思うと・・・)
先生もそれに気付いたらしく、(顔に出ていたのね、きっと・・・)話もそこそこにすぐに会わせてくれました。
点滴だらけの初寿紀は、プラスチックのケースをかぶり頑張っていました。初寿紀の手を握りながら、涙は止まりません。
この病院は子ども専用の病院です。ICUには何人かの赤ちゃんもいました。
初寿紀は注射の時間になり、先生が来ました。「ちょっと針刺すね〜。」と先生。
先生は私の様子も気になってるようで、声を掛けてくれてました。初寿紀は、私の指をしっかり握ってくれました。
私は、明日の手術は大丈夫!と確信しました。「初寿紀、がんばれ〜」何回も声を掛けて奈良の病院に戻りました。

 手術の当日、8時までに面会に行かなくてはなりません。また、また私は先生に無理を言って
「6時にここを出たい!」というと、先生は「(^^;)じゃ〜、明日は5時半に来ますわ〜」
はづちちは、病院に泊まってくれました。朝、いつもより目覚めよく5時過ぎには起きてました。
5時半先生が来て「どうですか〜」私「大丈夫です!」先生「じゃあ、13時に戻ってきてくださいね〜」ということで
6時前に外出。このときも大阪の病院で車椅子をお願いして、車椅子での面会。
大阪の病院に着くと、私の父と母が面会を済ませていました。すぐに私も面会に。
初寿紀の顔を見ると、どうしても涙が出てきます。「初寿紀、頑張ってや〜」その言葉しかありません。
準備があるとのことで一旦外で待ちます。その間にはづちちのお父さんとおばあちゃんが来てくれました。
そして、初寿紀に面会して、手術室に入るのを待ちます。
待合室で待ってる間、やっぱりはづちちのおばあちゃんとお父さんの顔は見れませんでした。
本当に申し訳ない気持ちで一杯で、どうしても顔を合わすことが出来なかったんです。
私の妹も来てくれました。
 そして、ICUの婦長さんが呼びに来てくれました。
ICUから手術室までのほんの数メートルの間の面会です。先生方は、廊下で少し止まってくれました。
「初寿紀〜がんばれ〜」そういったあと、私は大泣きしてしまいました。
その後、落ち着くまではづちちと2人でいました。少し落ち着いて、食堂へ行って朝ご飯だったんですが、
結局食べれずで、奈良の病院に帰りました。
大阪の病院には、私の母と私の妹と妹の子どもがずっとついていてくれてました。(かなり疲れたと、あとからブツブツ言われましたが・・・)
手術の終了予定は夜中の12時。消灯時間だけど電話してもらうように頼んでいました。
この日私は何をしていたか・・・全く思い出せません・・・消灯時間になっても、眠れず電話を待ってました。
夜中12時過ぎに、助産婦さんが呼びにきてくれました。待ち待った電話です。
「今、手術終って先生の話し聞いてきた。初寿紀、頑張ったで。成功したで。」
こんな嬉しい報告はありません。電話を持って、泣きながら一緒心配してくれてた奈良の病院の看護婦さんと助産婦さんに
御礼を言ってました。

 次の日、はづちちが来て、詳しい話をしてくれました。手術は成功したが、これからも大変な事。
傷口は閉じれなかったから開いたままで、近いうちにまた手術室で胸を閉じる手術をしないといけないこと。
 でもとりあえず、第一段階は乗り切ったと言う喜びで私の体調もみるみる回復!
ただ、貧血がひどかったので結局8月16日、(強制?)退院しました。

 
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はづにっき