感染症?
私も退院して、とりあえず実家に帰ることにしました。初寿紀が入院している病院は、実家からの方が近いのです。
ただ、車の運転は禁止されてたので(貧血はひどかったし、術後無理をしてるし・・・)毎日、私の母に病院まで送ってもらってました。
毎日、昼から面会に行って、少しづつよくなる初寿紀を見ていました。
術後、一度閉胸手術をしましたが、調子が悪く、また開胸して手術から1週間後、無事、閉胸できました。
それからは、薬も減り、呼吸器もとれ、目を開けてることが多くなりました。
(手術後は薬で眠らせていました。)
この頃、初めて目を開けてる初寿紀に会う事が出来ました。お目眼の大きな父親似女の子です。
最初の頃は、ミルクも鼻からNGチューブで入れていたのですが、少しづつ哺乳瓶で飲めるようになり、泣き声も出るようになりました。
ただ、点滴のあとが腫れてしまい、そのうちそこが陥没してしまったらしく、整形外科の受診をと言うことになりましたが、
自然に閉じてしまいました。あとから分かった事ですが、これも、感染症の為だったようです。
9月に入り、私の一ヶ月検診の日。一ヶ月検診が終っていつものようにICUへ行くと「初寿紀ちゃん上に行ったよ」とのこと。
やっと念願の一般病棟に移れたのです。一般病棟では、面会時間も延び自由に会えるとのこと。
今までは、入る前にインターホンで連絡してからだったので、とても嬉しかったです。
看護婦さんに連れて行ってもらって一般病棟に。初めての一般病棟で、私も初寿紀も緊張でした。
オムツも、私が代えてあげる事が出来ることに感動!そして、お隣のベットとも近いのでお友達もできました。
今までしていた点滴も全て外れ、抱っこも自由です。
この日から、私は初寿紀にべったりとついていました。一般病棟に上がって、2〜3日後、
「ドア越しだったら、おばあちゃんと面会できるよ!」ということで、早速私の母に電話。
「今日は上まで上がってきてくれへん?」と、いつも玄関に迎えに来てもらってるのに、うえまで来てもらいました。
(この病院は、両親以外は病棟に入れず面会も出来ないシステムなんです。)
この日ははづちちも一緒だったので、私の母が来てるのを確認して、初めての散歩!(と言っても病棟内ですが・・・)
ドア越しに私の母が待っています。初寿紀を連れた私を見て、私の母はとても喜んでくれました。
私も、「やっと会わせてあげる事が出来た」喜びで涙が出てきました。
その週、私の妹と母、はづちちのお父さんとおばあちゃんが面会に来てくれました。
そして、そろそろカテーテルの検査して様子を確認しないと・・・と言うことに。
来週の木曜日カテーテル検査をしましょうと言う事に決まりました。
初寿紀がするカテーテル検査は、最初の手術で入れた人工の血管は、少し糸でくくって狭くしていたのですが、
体重が増加すれば広げないといけないので、カテーテルをいれてバルーンでそのくくっているところを広げてあげるのが目的と言う事。
カテーテルの検査自体、私も経験してるのでそんな心配は無かったです。
この頃、私は車も運転できるようになったしという事で、奈良の家に帰ってました。
週明け、初寿紀がとても熱い事に気付きました。熱を測ると38度!慌てて、先生に連絡してもらって点滴開始。
そして、先生に「しばらく様子を見ましょう。もしかしたら、感染症の疑いがあるかもしれません。もし感染症になっていれば
カテーテルとバルーンは出来ないので・・・」とのこと。
それから、熱は下がらず、炎症反応はひどくなるばかり・・・ミルクも飲めなくなりICUへ。
毎日毎日炎症反応の値を気にしながら面会してました。点滴の量も増え、むくみも出てきてます。
先生から話がありました。「このままでは、カテーテルは無理ですし、かなりきつい薬を入れています。
検査の結果、感染症です。前に、手の陥没を起こした時の菌が強くなって今までその菌を殺していた薬では
効かなくなっています。今は、一番よいとされる強い薬を入れてますが、それが確実に効くかどうかはわかりません。
それと、薬がきつい為に他の内臓が例えば肝臓や腎臓がやられるかもしれません。薬で菌が死ぬのが早いか、
内臓が悪くなるのが早いか・・・これは初寿紀ちゃんの体力勝負です。今の時点でもかなり危険です。」
この間まで、元気だったのに?と、私はかなりのショックでした。(私の心臓がどうにかなるかと思ったくらい・・・)
でも先生の「初寿紀ちゃんの心臓は強いから・・・」の一言で少し救われた気がしました。
ICUで呼吸器を入れられぐったりしている初寿紀に「頑張って!」と声を掛けるくらいしか私には出来ません。
この日から、病院のサポートハウスに泊り込むことにしました。
次の日、病院に行くと先生が「少し、炎症反応の値が落ちてますよ!多分、薬が聞いてるんだと思います。
でも肝臓がかなり悪くなってますが・・・」実際、この頃の初寿紀のうんちは真っ白でした。
何もしてやれない悔しさが一杯です。でも、この日から炎症反応は下がり始めました。
炎症反応の数字が下がるたびに薬の量も減り、肝臓の機能も上がり始め、先生の「もう大丈夫でしょう」の声を聞いたのは
ICUに入って2週間経ってからでした。 それからの初寿紀の回復力は早かったです。
先生が「これから、お腹もすいてくるんちゃうかな?」の声をきっかけに
「ミルクくれ〜!!!」と大泣きするし。初寿紀自身も楽になて来たようです。
そして、この頃、ニコッ〜と笑うようになりました。ICUの看護婦さんも集まってくるくらいよく笑ってました。
そして、ICUに入って1ヶ月ほど経った頃また一般病棟に戻りました。
一般病棟では、しばらく点滴はしていましたが、よく泣きよく笑う初寿紀でした。
そして、一ヶ月遅れでカテーテル検査バルーン検査をすることになりました。