ハードコピー


パルプの原材料となる木材を得るために、地球規模での森林破壊が繰り返されている。地球環境問題が声高に議論されるようになった昨今、森林破壊を食い止めようとする試みのひとつとして、紙の無駄遣いをなくそうとする動きがある。大学や学会などのアカデミックなところでも、そういった動きが広がっている。印刷された用紙の裏をメモ代わりに使うのは当然のことだし、封筒の再利用も、その一環である。

私は、学術論文の投稿原稿や研究職への応募書類を作成するとき以外は、用紙への印刷をおこなわないように心掛けている。また、私の共同研究者である北海道教育大学の神田房行教授は、使用済みカレンダーの裏紙を使った名刺作りをしている(1)。

そんな中、私には到底、承服できない、時代を逆行する考えの持ち主が、未だに大学構内を闊歩していることを知り、愕然としてしまった。その人物が、わざわざ大学にある私の部屋を訪ねて来てまで、くどくどと主張する点は、以下のようなものである。

現在、自分が使用しているPCは、いつ壊れるか分からない。壊れてからでは遅いから、(研究の)データや(論文の)原稿が入ったファイルは、その都度(更新する度に)、プリンターで印刷することにしている(いわゆる「ハードコピー」のこと)。羽角さんも、そうしたほうがいい(2)。

私が「そんなのは、紙の無駄遣い。わざわざ印刷しなくても、更新したファイルのバックアップを取っておけば、済むことじゃないか!!」と言うと、彼が「バックアップを、何で取るのですか?」と聞くから「何だって取れるだろう。USBメモリーだって、CD-RWだって、MOだって、フロッピーディスクだって......。それに現在は、インターネット上にもファイルを預けることが出来るんだから......(いわゆる「オンラインストレージ」や「クラウド」のこと)」と、うんざりして答えると、今度は「印刷しておかないと、羽角さんが使ってるPCのファイルが、将来、読み込めなくなる可能性がありますよ」と、全く関係ない話に問題をすり替えて、私が「紙の無駄遣い」と指摘したことへの正当性ばかり、主張しようとするのであった。

はあ〜、疲れる男だねえ。いい加減、帰ってくれないかなあ〜。こんな無駄話に付き合ってるほど、私は暇ではない。そのため「◯◯さん。そんなのは、◯◯さんが心配することじゃないんだよ」と、やんわりと諭すのだが、どうも彼には、この手の遠回しの言葉は通じないようである(この言葉は、もう何10回となく、彼に言ってるのだが......)

私が「データなんてのは、論文にしてしまえば、用済みだろう。それに、その頃には、必要なデータは全部はけてるよ」と言うと、彼は「細かいデータは、将来、使うかもしれませんし......」と、一向に譲ろうとしない(話の流れからすると「だから、いつPCが壊れてもいいように、また、いつPCのファイルが読み込めなくなってもいいように、紙に印刷することにしているんだ」と、主張したいらしい)。これに対し、私は「5年経っても、10年経っても使わないデータは、本当に必要なデータじゃないんだよ」と、なんとかして彼の紙の無駄遣いを戒めようとするのだが、彼の凝り固まった信念を変えるのは、一筋縄ではいかないようである(3)。

[脚注]
(1) これは、10年くらい前に環境庁(当時)の職員から差し出された名刺が、カレンダーの裏紙を使用したものであったことに感銘を受けた神田さんが、それ以来、真似をするようになったものである。
(2) 彼は「いつ壊れるか分からない」と言うが、彼が使用しているPCは、現在、私が使用しているPCより新しいものである。それなのに、壊れることを心配して、ファイルを更新する度に印刷するのは、私の感覚では明らかな紙の無駄遣いであり、彼の杞憂に過ぎないと思うのだが、こういう人間に限って、PCが壊れると「それ、みたことか!!」と、まるで鬼の首でも取ったかのように勝ち誇るから、始末が悪い。
(3) 朝日新聞の2004年3月17日(水曜日)付朝刊に「見えない障害」という記事がある。「高機能自閉症」とか「アスペルガー症候群」とか称される障害を取り扱った記事で、典型的な症状として「悪気はないのだが、相手の気持ちを汲み取ることが出来ない」とある。「こんな人は、いっぱいいるよなあ」と思いつつ、その内容に興味が湧いて詳しく読んでみると、私には色々と思い当たる節があった(ここでも、私の動物行動学者としての目が役立っている)。例えば、彼は、どこへ行くにも一年中、ジャージーを着ている。最初は「個性のひとつか?」と微笑ましく思っていたのだが、どうもそうではないらしい。その一方で、履き物には異常なまでにこだわり「新潟には良い靴がない」と言っては、わざわざ東京まで靴を探しに行く。彼の靴のひとつを下宿の誰かが間違えて履いてしまっただけで、パニックを起こして「もう履けない」と言っては、それを捨ててしまう。下宿の脱衣所も含めた風呂場の一画で、2台の洗濯機が設置してある場所の窓枠のところに、誰かが洗剤の箱をちょっと置きっ放しにしただけで、それをすぐに撤去しようとする(下宿の他の住人は、私も含め誰ひとりとして、窓枠のところに洗剤の箱を置いてはいけない理由が分からず、困惑している)。いつぞやは、洗濯機の横に備え付けてあるゴミ箱に私が捨てた「洗剤の箱や袋」をめぐって、言い争いになったことがある。彼の信念では「そういうものは、自分の部屋のゴミ箱に捨てろ」ということらしい(じゃ、このゴミ箱には何を捨てるんだ?)。このときは、単に「思い込みの激しいやつだなあ」といった程度にしか思わなかったのだが、これまでの色々な出来事を加味すると、まさに彼は、この障害ではないのか?少なくとも、そう考えれば、これまでの彼の行動の説明が付くことになる(1)。

[脚注の脚注]
(1) 聞くところによると、彼は「他でも質問を繰り返して、けむたがられている」という話である。彼の質問には「ちょっと考えれば、すぐに分かることではないのか?」と思えるものが少なくない。最も印象に残っているのは、投稿原稿の図の描き方に関する質問である。一般に、投稿原稿の図はA4(または、レターサイズ)の用紙に納まるように作成するものだが、投稿先の雑誌のレフェリーのひとりから「2つの図をまとめて1つにせよ」という指示があったそうで、彼が心配しているのは「そうすると、図が縦長になってしまう」ということであった。彼の話を聞いて、メモ用紙に図を描きながら「◯◯さんが言ってるのは、2つ横に並べると縦長になる、こういった図だよね?でも、用紙を横にして並べれば、縦長にならないでしょ!!」と説明すると、彼は「それだと、ファイルを別に作らなければならなくなる」と渋るので、半ば呆れながら「じゃ、別にすればいいでしょ!!」と、私としては、これ以上は突き放すしかなかったのである。このときは「どうして、柔軟な発想が出来ないかなあ?」と思ったのだが、これも障害のひとつと考えれば、納得が行く。ただ、この障害は本人が自覚できないことが多いらしく、ここで私がその可能性に触れることは、彼の人権との絡みで微妙な問題を含んでいることは確かである。そのことを承知した上で、あえて述べていることを、お断りしておく。


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