新聞の閲覧と携帯メール


やめて欲しいことがある。新聞の閲覧コーナーで、数ある新聞のひとつを読んでいる学生が、その場で始める「携帯メール」である。

新潟大学中央図書館内にある新聞の閲覧コーナーには、地方紙はともかくとして、ありとあらゆる種類の新聞が揃っている。現在、私が平日に利用している理学部内の新聞閲覧室にも、朝日新聞、新潟日報、日刊スポーツ、日本経済新聞の4紙(五十音順)が置かれている。

ところが、それまで新聞のひとつを読んでいた学生が携帯電話を取り出し、いきなりメールを始めるのには、かなり閉口している。何も私は「メールそのものが悪い」と言っているわけではない。「周りには、その学生が読んでいる新聞が空くのを、今か今かと待っている他人がいる。それなのに、携帯メールを始めて新聞を占拠するのは、これらの人々への配慮が足りない」と言っているのである。

思い余って「その新聞、読んでないんだったら、空けてくれないか?」と頼んでみても、判で押したように「読んでる」という言葉が返って来るのが、関の山である。「読んでる」と言った手前、一旦は新聞に目を移すのだが、すぐにまた携帯メールを始めてしまう。本当に読んでいるんだったら、携帯メールなんか始めないで、目の前の新聞を読むことに集中し、読み終わったら、さっさと新聞を空けるべきである(1)。

新潟大学の学生には、ほんの一部に過ぎないのかもしれないが「新聞の閲覧コーナーは公共の場である」という意識が、欠落しているように思えてならない。

[脚注]
(1) 中央図書館の新聞閲覧コーナーでは、携帯メールをしていなくても、同じ新聞を何度も何度も読み返し、一時間近くも席を離れない輩がいる。その新聞が空くのを、他の新聞を読みながら待っていた人たちも、閉館時間が迫るに連れ、次第に諦めて帰ってしまう(土曜日は午後5時で閉館)。私も何度か、そういった経験をさせられたことがあり、いつも苦々しく思っている(1)。

[脚注の脚注]
(1) 「新聞くらい、自分で取ればいいのに......」と、まことしやかに言う人がいる。でも、私が一日に読む新聞の数は、1紙ではない。少なくとも3紙は読んでいる。そんな余分な金があったら、きっと生活費に回すだろうね。まあ、これは「何事も自分の基準で他人を批判してはいけない」という教訓でもある。


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