拾う神


捨てる神あれば、拾う神あり。人生、誰にでも応援団はある。要は、そのための努力をし続けることである。

「人間万事塞翁が馬」とか「禍福は糾(あざな)える縄のごとし」とかいった諺(ことわざ)があるように「人の一生は差し引きゼロである」と、私は考えている。「楽あれば苦あり。苦あれば楽あり」といったところである。この考えが正しければ、これまでの人生で辛酸をなめ続けて来た私にも、そろそろ幸福が訪れていい頃ではないだろうか?

思えば、ずっと不器用な生き方をして来た。例えば、大学院生時代に所属していた研究室の後輩のひとりは、指導教官である教授に巧みに取り入り、ほとんど研究らしき研究もせず、その教授の秘書代わりの仕事を引き受けて、毎日を暮らしていた。その見返りに、彼が研究職の世話をしてもらう光景を目の当たりにしたときでも、決して「うらやましい」とは感じなかった。逆に「こんな実力もない奴が研究職に就いても、これから先、研究者としては絶対にやっていけないぞ」と思っていた。でも、未だに研究職に就けないでいる我が身を振り返り「違った意味での努力も必要なのかな?」と、ちょっと考え込むこともある。

私は、その教授からは見捨てられ、退官記念パーティーにも呼ばれず[1]、完全に排除されてしまったわけだが、そんな私でも「見ている人は見ている(1)」ようである。釧路湿原の調査で複数の助成金を獲得し、私を拾ってくれた露崎史朗さんや神田房行さんには感謝しているし、私自身「それなりの仕事は出来ている」と思う。露崎さんの場合は、身近にいた研究者だったから、私に声を掛けてくれたことの理由は分かるが、今回、全く見ず知らずの研究者から声が掛かるとは、夢想だにしなかった(2)。それもこれも、私がホームページを維持する努力を怠らなかったおかげである。「ホームページの威力は素晴らしい。ホームページは作って正解だった」と、切に思う。

私は、私のことを認め、重用してくれる人のためなら死ぬ気で働くし、私をプロジェクトチームの仲間に加えたことで、決して損はさせないつもりである。ということで、7月14〜28日は、モンゴル・ダルハディン湿地でキタサンショウウオの調査である。

しかし、それにしても、観光で行くのと違って「これまで自動車に積んでいた調査道具一式を、海外学術調査のために持っていく」というのは、大変なことなんだねえ......。

[脚注]
(1) この言い方は、トートロジーのようで好きではないのだが、他に言い様もないので、ここでは余り、私の言葉尻を捉えないようにして欲しい。
(2) あるプロジェクトが進行しているとき、それに参加要請されるのは、ほとんどが仲間内だけである。例えば、新潟大学だったら新潟大学の教員だけでプロジェクトチームを組み、研究生である私には何の声も掛からないのが普通である。その教員にプロジェクトを遂行するだけの実力が伴うかどうかは、全く、お構いなしである。でも、そんな柵(しがらみ)のない外部の研究者は「このプロジェクトに最適な人材は誰か?」といった観点で、研究者を選んでいく。それが、本来のプロジェクト研究の在り方ではないのだろうか?

[補足]
[1] 誤解が在るようなので、その詳細を書いておくことにする。一般的な話として、講座の教授が退官(退職)するときは、同じ講座に所属する助教授(准教授)が退官記念パーティーを企画し、退官の時期と前後して、または退官の時期から間を置かずに、退官記念パーティーを開催するものである。ところが、問題の教授は、その先生にもそっぽを向かれていて、彼の退官記念パーティーが開かれることは、ついぞ無かったのである。「これに業を煮やし、退官から一年以上経って、自らの手で退官記念パーティーを主催した」というのが、事の真相である。出席者から後で聞いた話では「教授が嫌いな人間には、退官記念パーティーへの招待状を送らなかった」ということである。この教授が周りの人間から、どれだけ嫌われていたのかを物語る、格好のエピソードである。


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