研究の原点


トウホクサンショウウオの幼生と出会った、山形市立金井中学校2年生(1974年、当時13歳)のときが、これまで連綿と続く私の研究の原点であることは、疑いようのない事実である。

当時、自転車で遠くに出掛けることの多かった私は、あるとき中学校科学部の親友O君に教えられ、家から12〜13km離れた丘陵地(山形市高原町)にある湧水池で、トウホクサンショウウオの幼生を採集した(1)。これが、彼らとの初めての出会いであった。一期一会(いちごいちえ)という言葉があるが「この出会いがなければ、今日の私はない」と言っても、過言ではないだろう(2)。

私がサンショウウオに魅了されるのに、それほど時間は必要なかったはずである。なにしろ幾ら調べようとしても、1974年当時、家にある百科事典や図書館にある図鑑類などの書籍には、私がサンショウウオについて知りたいと思う肝心なことは、何も載っていなかったからである(3)。

「これって変だよね。なんで載ってないんだろう。こうなったら自分で調べるしかないよなあ」という強い思いが、このとき私に芽生えたことを覚えている。この思いを、私の研究の原点と呼んでも、間違いではないのかもしれない。しかし、この原点の奥には、もっと何か他にあるんじゃないだろうか?こう考えていくと、私には思い当たる節があった。

確か小学校の3年生か、4年生の頃だったと思う。ある日の理科のテストで、設問を一箇所だけ間違えて、満点を逃したことがある。「菌類」と書けば正解だったのだが、この「菌」という漢字を、草冠ではなく竹冠にしてしまったのである(まったくの「うろ覚え」であった)。

その当時、小学校学習指導要領では、まだ「菌」という漢字を習っていなかったので、私以外のクラスメートは、ひらがなで「きん類」と書いて丸をもらっていた。「あれれ!?」である。そのとき担任の教諭が言った「皆みたいに、ひらがなで書いていれば、丸をもらえたのにね!!」という心無い言葉は、現在でも私の脳裡に焼き付いている。

思い起こせば、この子供心にも「おかしな」出来事が、私の研究の原点の、更に奥にある原点と呼べるものなのかもしれない。

また、もっと深奥にあるものを突き詰めていくと、私の記憶が曖昧で、両親や親戚から聞かされたことになってしまうのだが、私に研究の衝動を引き起こす深層心理といったようなものは、どうも幼児期の行動に存在するようである。

「幼稚園に上がるよりも、だいぶ前」というから、4歳か5歳の頃だったと思う。その頃の私は「家中の動くものを壊し回っていた」という話しである。もちろん壊すといっても、それらをハンマーの類でたたいたり、投げつけたりして壊すわけではない。ドライバーでネジをはずして機械を分解するだけなのだが、バラバラになった部品を組み立てることが出来ないので、結果的に破壊したことになってしまったようである。「この子供は、動いている機械が、不思議で不思議でたまらないのだろう」というふうに、周りの大人は観ていたらしい(4)。

[脚注]
(1) この湧水池は、道路建設に伴う開発の影響を受け、現在は消滅してしまった。
(2) 大学に入学し、夏休みに帰省して真っ先にしたことは、この中学時代の親友O君を街に連れ出し、ごちそうすることであった。高校に進学してからは、お互いに違う道を歩むことになってしまったが、研究の「きっかけ」をくれた彼には現在でも感謝している。
(3) 現在こうして、インターネットで何でも調べられることを「当たり前だ」と思うことなく、そんな時代が到来したことに、利用者は誰でも感謝すべきである。
(4) 親友のひとりは、私のことを「普通の人が、疑問に思わないことを疑問に思う」と評している。これは私への誉め言葉だと、素直に受け取っておこう。この視点があるから、長く研究者を続けていられるんだと思う。


[追記(2014年11月3日)] 「菌類」という漢字のことが少し気になったので、ちょっと調べてみた。「ひらがなで『きん類』と書いて丸をもらっていた」という私の記憶が正しければ、小学校学習指導要領で「類」という漢字を習うのが4年生なので、この出来事は、私が小学校4年生のときのものである。しかし「菌類」の「菌」という漢字は、小学校学習指導要領では出て来ず、中学校以降の学習指導要領で習う「常用漢字」のひとつであった。しかも「菌」という漢字が常用漢字になったのは、1981年(私が21歳のとき)であった。ちなみに、私は、小中高を通して、進学塾を含め、塾や教室と名の付くものに通ったことはない(受験テクニックを磨いて、大学に進学したわけではなく、地頭の良さだけで生きている。(自慢するようで言いたくはなかったのだが)一例として、中学校3年生の1学期だったか2学期だったか、中間テストだったか期末テストだったかの記憶も定かではないのだが、学年全体で私だけが技術のテストで100点満点を取ったことがある。技術の教諭が言うには「96点満点のつもりで(全員に4点分の下駄を履かせるつもりで)、1問だけ高校2年生で習う数学の図形問題を出したので、誰も解けないはずだった(おかげで、技術の平均点が下がってしまった)」とのことで、随分と驚かれたことがある)。
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