当時、自転車で遠くに出掛けることの多かった私は、あるとき中学校科学部の親友O君に教えられ、家から12〜13km離れた丘陵地(山形市高原町)にある湧水池で、トウホクサンショウウオの幼生を採集した(1)。これが、彼らとの初めての出会いであった。一期一会(いちごいちえ)という言葉があるが「この出会いがなければ、今日の私はない」と言っても、過言ではないだろう(2)。
私がサンショウウオに魅了されるのに、それほど時間は必要なかったはずである。なにしろ幾ら調べようとしても、1974年当時、家にある百科事典や図書館にある図鑑類などの書籍には、私がサンショウウオについて知りたいと思う肝心なことは、何も載っていなかったからである(3)。
「これって変だよね。なんで載ってないんだろう。こうなったら自分で調べるしかないよなあ」という強い思いが、このとき私に芽生えたことを覚えている。この思いを、私の研究の原点と呼んでも、間違いではないのかもしれない。しかし、この原点の奥には、もっと何か他にあるんじゃないだろうか?こう考えていくと、私には思い当たる節があった。
確か小学校の3年生か、4年生の頃だったと思う。ある日の理科のテストで、設問を一箇所だけ間違えて、満点を逃したことがある。「菌類」と書けば正解だったのだが、この「菌」という漢字を、草冠ではなく竹冠にしてしまったのである(まったくの「うろ覚え」であった)。
その当時、小学校学習指導要領では、まだ「菌」という漢字を習っていなかったので、私以外のクラスメートは、ひらがなで「きん類」と書いて丸をもらっていた。「あれれ!?」である。そのとき担任の教諭が言った「皆みたいに、ひらがなで書いていれば、丸をもらえたのにね!!」という心無い言葉は、現在でも私の脳裡に焼き付いている。
思い起こせば、この子供心にも「おかしな」出来事が、私の研究の原点の、更に奥にある原点と呼べるものなのかもしれない。
また、もっと深奥にあるものを突き詰めていくと、私の記憶が曖昧で、両親や親戚から聞かされたことになってしまうのだが、私に研究の衝動を引き起こす深層心理といったようなものは、どうも幼児期の行動に存在するようである。
「幼稚園に上がるよりも、だいぶ前」というから、4歳か5歳の頃だったと思う。その頃の私は「家中の動くものを壊し回っていた」という話しである。もちろん壊すといっても、それらをハンマーの類でたたいたり、投げつけたりして壊すわけではない。ドライバーでネジをはずして機械を分解するだけなのだが、バラバラになった部品を組み立てることが出来ないので、結果的に破壊したことになってしまったようである。「この子供は、動いている機械が、不思議で不思議でたまらないのだろう」というふうに、周りの大人は観ていたらしい(4)。
[脚注]
(1) この湧水池は、道路建設に伴う開発の影響を受け、現在は消滅してしまった。
(2) 大学に入学し、夏休みに帰省して真っ先にしたことは、この中学時代の親友O君を街に連れ出し、ごちそうすることであった。高校に進学してからは、お互いに違う道を歩むことになってしまったが、研究の「きっかけ」をくれた彼には現在でも感謝している。
(3) 現在こうして、インターネットで何でも調べられることを「当たり前だ」と思うことなく、そんな時代が到来したことに、利用者は誰でも感謝すべきである。
(4) 親友のひとりは、私のことを「普通の人が、疑問に思わないことを疑問に思う」と評している。これは私への誉め言葉だと、素直に受け取っておこう。この視点があるから、長く研究者を続けていられるんだと思う。