現在のところ新聞などの、どのメディアの文章をみても「じゅうぶん」は「十分」と書かれているようである。たぶん、それで何の問題もないのだろうとは思う。でも私は、意識的に「充分」という漢字を使用することにしている。それは何故かと言えば、もうお分かりかと思うが、時間を表す「十分(じっぷん)」との混同を避けるためである。
もしメディアに「十という漢数字(和数字)を使わずに、10というアラビア数字(算用数字)を使う」という取り決めが存在するのであれば、それ以外の意味での「十分」は「じゅうぶん」としか読みようがなく、前述の私の配慮は杞憂に終わることになる。
これに類したもので、湿原に湧き出る水を英語でどう表現したらいいのか分からずに、悩んでいる。「湧き水」に相当する一般的な用語は「spring(2)」だが、これだと「春」という意味にも取れ、混同する読者がいると思う。例えば「サンショウウオは春に湧き水に産卵する」という英語を想定したとき、次に示す文章で、誤解を招くことはないのだろうか?
A salamander breeds in a spring in the spring.
日本人の感覚(というより私の感覚?)では、この文章で「湧き水」と「春」を区別するのは困難である(文章中の「春に」に相当する英語を「during the spring」とすれば済むような話ではないと思う)。そのため、私は普段「湧き水」に相当する英語として「fountain」を使用している。ところが、米国で発行する爬虫両生類学某国際専門誌のレフェリーの一人に言わせると「私は30年以上、サンショウウオを研究してきたけれど、そんな用語は聞いたこともない」のだそうである(3)。
さて、この問題に国語学者(4)や湿原の生態学者がどう答えているのか、気になるところではある。
[脚注]
(1) この辞典は「芋辞書」として有名である。前書きの「新たなるものを目指して」には、以下の文章が見受けられる。いわく「思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない」と......。
(2) 一般に「温泉」は、英語で「hot spring」と言う。道路の行き先表示板では「spa」と書いてあることが多い。しかし私の経験では、これで理解できる外国人は、それほど多いわけではない。
(3) このレフェリーは「私は『fen』という用語も聞いたことがない」とコメントしている。でも、これは「bog」に対応する言葉で、立派な湿原用語である。ただ問題があるとすれば、欧州と米国で湿原用語が統一されていない(統一されていなかった?)ことで、日本の研究者は一般に欧州の湿原用語を踏襲しているため、サンショウウオを30年以上も研究しているという年配の米国の研究者が、この用語を知らないのも無理はないのかもしれない。
(4) 去年だったか、今年に入ってからだったか、確か「国語学会」が「日本語学会」へと名称を変更したような記憶がある。そうすると、これも「日本語学者」と書かなければならないのだろうか?
(補足): 何か誤解している人が多いようだが、私は、十分と充分のどちらが正しいとか、どちらが主流だとかを論じているわけではない。十二分とは書けても、充二分とは書けないことも知っている。それでも、充分という漢字のほうを使うのは、この漢字が「じゅうぶん」としか読みようが無いからである。十分では「じゅうぶん」とも「じっぷん」とも読めてしまう。