自分の頭で考えなさい


人が生きていく上で、好むと好まざるとにかかわらず、善悪あわせた様々な場面に遭遇することだろう。そうしたとき、その場面、場面をどう捉え、判断していくのか、難しいところではある。

「あの人が、こう言ったから、そうなんだ」という、その道の権威と称される人、または集団(マスメディアなど)への盲信は、私が最も恐れる所業である。他人(ひと)の意見に惑わされず、自分の頭で考え、考え抜いて、それでもなお、その物事や言っていることが正しいと評価できたときに初めて、その人なり集団なりを信用すべきである。

その人が好きだとか、嫌いだとか、本当は好きな相手が自分に関心を持ってくれないとかいった、自らの感情に流されてはいけない。好きな人でも間違うし、嘘をつくことだってあるだろう(1)。嫌いな人でも、正論を述べていることは少なくないかもしれない。また、本当は好きな相手が自分に関心を持ってくれないのは、それなりの理由があるからに違いない。

努々(ゆめゆめ)「手の届かない葡萄(ぶどう)は酸っぱい」などと、周りに吹聴してはいけないし、その相手を貶(おとし)めるようなことをしてもいけない。理性を持って、自分が何をしているのか、よく考え、おのれを見つめ直すことが肝心である。

しっかりと自分の頭で考えるためには「自らの判断能力をいかに養っていくか(2)」が、重要なポイントとなってくる。いつも偽物とばかり接していては、本物を見極める目は絶対に養えない。偽物を見分けるためには、本物を知ろうと努力することが大切である。

どんな物事も、自分の頭で考えなさい。そのための、判断能力を養いなさい(3)。そうすれば、きっと道は開けてくるはずである。

[脚注]
(1) 言ったことを何でも鵜呑みにし、すぐに信じ切ってしまう人には、正直、恐怖感がある。それが恋人ともなれば、蜜月のうちは「信じたい」と思う気持ちが先に立ち、冷静な判断が下せないことにもなる。
(2) 判断能力を養うという観点では、メディアリテラシーもまた然りである。
(3) 判断能力の欠如している少なからざる人々が、そのことを自覚せずに自らの感情だけでおこなう行為ほど、危険きわまりないものはない。
「百鬼夜行」と評される前に、自らの姿勢を正す必要があるのではないか?


Copyright 2003 Masato Hasumi, Dr. Sci. All rights reserved.
| Top Page |