プロフェッサー・ドクター


研究者の世界では、取り合えず「ドクター○○」と敬称をつけて相手を呼ぶのが、その人を知らないときの常識とされている(1)。

私は1993年3月に博士号を取得した。それ以前は、欧米の国際専門誌に論文の原稿を投稿する度に「Dear Dr. Hasumi」と手紙に書かれるのが、歯がゆくてならなかった。また論文の別刷り請求のハガキが届く度に、当然のように書かれている「Dear Dr. Hasumi」の文字をみるのも辛かった。向こうにしてみれば、日本人の大学院生が「責任著者(corresponding author)」として投稿し、原著論文を公表しているとは、夢にも思わなかったに違いない(2)。

一方、相手が米国人の研究者のときは、ちょっと知り合いになっただけで「Hi Masato」という風に、お互いにファーストネームや通称名で呼び合うのが一般的である。これは年齢と関係なく、またメールのやりとりだけの間柄でも、そうである(3)。

ところが先日は、この常識が通用せず、手痛いしっぺ返しを喰らってしまった。米国で発行する某国際専門誌の主編集者(Editor-in-Chief)に「Hello ○○」とファーストネームで呼びかけたところ、これが彼の気に障ったらしく、返信メールで「Mr. Hasumi」と書かれてしまったのである(文末に「Masato」と署名を入れているにもかかわらず、である)。彼は、その雑誌の副編集者(Associate Editor)の時代から、私が博士号を持っていることを知っているから、こう書かれるのは本当に始末が悪い。でも、これは米国の研究者の場合、例外中の例外と言ってもよい。

これに対しドイツでは、ドクターという敬称を外すのは御法度(ごはっと)である。それどころか、教授に対しては「ドクター○○」と呼んだだけでは、絶対に返事をしてもらえない。ドイツでは、講座を運営する教授の力は絶大だからである。教授には、最大限の敬意を払って「プロフェッサー・ドクター(Professor Doctor)○○」と、呼びかける必要がある(4)。

[脚注]
(1) 日本では、ドクターをつけずに「○○さん」と呼ぶだけでいいから、気楽である。でも、なかには「○○先生」と呼ばないと返事もしない人がいるから、これもまた別の意味で困り者である。
(2) 私は、原著論文を全て「第一著者(first author)」として公表してきた。と同時に、いわゆる「責任著者(corresponding author)」として、国際専門誌の編集者や論文のレフェリーとの交渉に当たってきた。指導教官の助けを借りずに、これらをひとりでおこなってきたのである。これに対し、プロジェクトチームを組み、大人数で共同研究を進めるのが、現代の流行りなのかもしれない。このような場合、必然的に論文の共著者数が多くなるので、そのチームのリーダーが著者名の最後尾に名を連ね、特に日本ではチームリーダーが責任著者となる傾向がある。
(3) 某国際専門誌の副編集者のファーストネームは「Deanna」だが、彼女は通常「Dede」と呼ばれている。また、その雑誌の主編集者のファーストネームである「Robert」は、米国では「Bob」という通称名を使うのが一般的で、彼は自分からメールの署名に「Bob」と書いて来るくらいである。
(4) 過日、有尾両生類の研究では世界的に有名なドイツの研究者から「あなたの写真を私の著作物で使用したい」という手紙をいただき、そのときのメールのやりとりでは、教授である彼に失礼のないように、随分と気をつかってしまった。


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