窓を開けよ!!


このパキスタン人は、いったい何なのだろう。私に英語で難癖をつけるのが、日本での生き甲斐にでもなっているかのようである(彼のために余計な時間を費やさねばならず、非常に迷惑している)

2003年9月8日(月曜日)のこと、その日は午前11時ちょっと過ぎに大学に来て、5階にある部屋に入ると、廊下や外よりも室内のほうが、明らかに暑かった。部屋の窓やドア、更には換気窓まで閉め切って冷房をかけているのだが、その設定温度が、ご丁寧にも27℃になっていたのである。

日本政府によって奨励されている、28℃という冷房の設定温度を守ろうとする意気込みは結構だが、外気温より高い設定温度で冷房を使うとは、よくもまあ、無駄なエネルギーを使っているものである(これでは冷房でなく暖房である)部屋には誰もいないし、即刻、冷房のスイッチを切ってから、窓・ドア・換気窓を全開にし、外からの涼しい風を室内に取り入れて、部屋の温度を下げることにした(1)。

正午近くになって、パキスタン人留学生が部屋に入ってきて「冷房を切ったのは、おまえか?」と問うので「そうだ」と答えた。「なぜ冷房を切ったんだ?」と問うので「この部屋よりも外の気温のほうが低かったからだ」と答えると、また例のごとく「俺は、そうは思わない」と言い出した。彼が、私に難癖をつけるときのパターンである。その彼が主張する点は、次のようなものであった(彼の主張には矛盾点が多い)

俺は(この部屋より)外の気温のほうが高いと感じる。今、外から来たばかりだが、外は暑かった。「外の気温のほうが低い」と言っているのは、おまえだけだ。冷房を勝手に切るという、おまえの行為には、他の人たちへの「敬意(respect)」が感じられない(2)。いったい何のために、冷房があると思っているんだ。夏に使うためだろう。このことを、おまえは理解すべきである。

「民主主義とか、他の人たちの意見を尊重せよとか、数の論理で間違った行為を擁護するやり方は好きじゃないな」と思い、すぐさま反論を試みた。だが彼は、幾ら私が「心地よい風も吹いているし、外の気温のほうが低かったんだよ」と言っても、敵意むき出しの「俺は、そうは思わない」の一点張りで、彼を論理的に説得しようとする試み自体、全く埒(らち)の明かないものであった(このとき「暑いと感じるのは、あなたが太っているからだろう(3)」という言葉を飲み込んだのは、おそらく正解だったと思う)

これとは別に、窓もドアも換気窓も全開の状態で冷房をかけている場面に、今年に入ってから、少なくとも6回は遭遇した。これこそ「究極の無駄遣い」と言ってもよい。部屋は現在、15人の大所帯である。これは私の推測だが、部屋に入った誰かが室内を暑いと感じ、冷房が入っていることに気付かないで、窓・ドア・換気窓を開けてしまったものと思われる。その後、何人も部屋に出入りしているのに、冷房が入っていることに気付くのは、私だけという状況のようである。

ここで、もう一度だけ言おう。春から夏、または夏から秋への季節の変わり目は、冷房が必要か、判断に迷うときが多いと思う。殊勝にも冷房の設定温度(この場合は27℃)を守るつもりがあるのなら、部屋の温度より外気温のほうが低いときは、冷房を切り、窓を開けて、室内に風を入れるべきである(無風状態のときは仕方がないと思うが......)。夏に、外気温より高い設定温度で冷房を使う必然性が、いったいどこにあるというのだろう?

[脚注]
(1) この日、外の陽射しは強かったけれど、風が冷たくて心地よかった。5階にある、この部屋の窓は北側に面しているので、直射日光は差し込まず、佐渡に沈む夕日だけが僅かに照らす構造になっている。窓を開ければ、海から吹く涼しい風が部屋を通り抜け、快適なこと、このうえない。もちろん、夏を軽装で過ごすことが前提である。また「この部屋には冷房が苦手な女性陣も3人いる」という事実を無視してはいけないと思う。
(2) このパキスタン人は、いつも自分のことを「他の人たち」と、さも大勢の意見ででもあるかのように表現し、自分は決して当事者になろうとしない。自分の意見を多数意見にすり替えることで、自分を正当化しようとする姑息な戦術である。
(3) If you feel outside hot, that is just you are fat!......このパキスタン人は、暇があると甘いお菓子を口にしている。彼の体重は、100kg近くあるだろう。もしかしたら、100kgを越えているかもしれない。幾ら「イスラム教徒は酒を飲まない」と言っても、こんなにカロリーの高いものばかり取っていたんじゃ、彼が太るのも無理はない。


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