学会講演


知り合いに「お金がなくて、学会に行くのが大変だ」という研究者がいる。でも、私のように「本当にお金のない人は、学会に行くこと自体、全く考えていない(1)」というのが、世の中の「理(ことわり)」といったところであろう。

私は、ここ10年以上、どの学会(または研究会の年次大会)にも顔を出していない。大学院生の頃は、年に3回くらい、口頭発表やポスター発表といった形式で、学会講演するのが常であった(2)。

学会に参加した当初は、他の人の研究発表もそれなりに面白く、ためになるものであった。学会から帰った後は、自分の知識の量が増え、なんとなく自分が一回り大きくなったような気がしたものであった。でも、いつの頃からか、そのような感覚に違和感を覚えるようになり(それは錯覚である、と......)、更に「自分の研究に役立つ発表が、ほとんどない」という現状を悟ってからは、学会に行く理由を見出すのが困難になってしまった。

その一番の原因は、お金のないことはともかくとして「学会講演の要旨やプロシーディングが、研究業績として扱われない(3)」ことに、私が気付いてしまったことだろうと思う。つまり、学会に入って学会講演をしても、自分の研究業績を増やす手段には成り得ないということである。お金のない研究者が、自分の研究成果を発表する手だてとして、業績に数えられない途中の学会講演をすっ飛ばし、直接的に学術論文を書く道を選んだのである(ちなみに、学会という組織はお友達の集まりで、学会の仕事はお友達の持ち回りで割り振られるため、何のコネもない私のような研究者が学会に入っていても、何の仕事も出来ないという現状を理解できていない無知なネットストーカーが「私が学会の仕事をしない」といったような私の悪評を垂れ流して、情報操作をしているという悲しい現実がある)。

学会に参加することは、研究者間の旧交を温めるのに重要かもしれないし、有意義な情報が得られる機会を増やすかもしれない。なかには、旅行気分で学会に行く人もいることだろう。しかし、それらは「日々の暮らしに余裕があってこそ」の話である(出張旅費の出る研究者なら、なおさら余裕で学会に行けることだろう)

私は「研究職に就けたら、学会に顔を出そう」と考えている。でも、その日がいつやってくるのか分からずに、自分だけを信じて学術論文を書く日々が続いている。

[脚注]
(1) 学会に行くだけの余分なお金があったら、そのお金は真っ先に「生活費・研究費」に回るだろうし、それで余ったときに初めて、新しいPCや書籍の購入費に充てることが出来るのである。
(2) その頃、私が所属する研究室では、学会に行く条件として「本人の講演申し込み」が義務付けられていた。つまり「他の人の発表を、ただ聞きに行くだけの大会参加は認めない」という、教授からの無言の(?)圧力があった。
(3) 年に何度も学会に顔を出していると、面白いことに気付く。関連学会ということもあって、参加する顔ぶれが決まってくるのだが「異なったタイトルで、同じ内容の研究発表をする人」に出くわすことがある。当人は「聞いている人が別だから構わないんだよ」と言っていたが、どうも無駄なことをしているような気がしてならない。ある方に尋ねたら「それは業績稼ぎだよ」という言葉が返ってきたことがあった。しかし「文部科学省、及びその外郭団体は、講演要旨やプロシーディングを研究業績として認めていない」という事実があるのなら、わざわざ高いお金を使って別の学会に行ってまで、同じものを発表する必然性はないものと思われる。


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