2005年1月4日(火曜日)の正午から午後3時半まで、モンゴル教育大学生物学部の一室で、サンショウウオ・チームのメンバーであるズラ(講師)とタイワン(マスターコースの大学院生)に、ダルハディン湿地に生息するキタサンショウウオ個体群の年齢構成を調べるための、骨年代法の講義と実習をおこなった。講義用には、パワーポイントのファイルが入ったCD-Rを準備した。これは、シンポジウム発表用のファイルとの兼用である。ところが、そのファイルを読み込めるPCが、ズラのラボにはない。そのため、読み込み可能な2台のPCを所有するモンゴ(講師)のラボに行き、学生が使用中のPC1台を強制的に空けさせて使うことになった(1)。
講義は英語でしても良かったのだが、何しろ英語は通じない。モンゴルでは「私は英語が得意だ」と自信を持って言う人でも、日本の中学生以下のレベルである。そこで、英語で書かれたパワーポイントのファイルを見せながら、日本語で説明することになった。それをズラが通訳し、タイワンがモンゴル語でノートをとるというやり方で、講義が進んで行った。特に、骨年代法の理論と組織標本の具体的な作製方法を中心とした講義であった。
講義が終わると、今度は実習である。趾骨の組織標本を作製するには、前処理の水酸化カリウムを用いた筋組織の除去から始まって、ギ酸(または硝酸)による脱灰、硫酸ナトリウムによる中和だけで、丸一日を要する。更に一連の脱水・包埋を経て、ミクロトームで横断切片を作製し、ヘマトキシリン染色をおこなえば、試薬の作製を含めた所要時間は、50ブロック程度で少なくとも2週間を要することになる。たった数時間では、とてもとても教えられるものではない。それにも増して、モンゴル教育大学には、組織標本作製のための設備が何もない。でも、幾ら何でも顕微鏡くらいは在るだろう。そう考えて、既に作製してあったプレパラート標本を何枚か持参し「教えた通りにやれば、こういうものが出来るんだよ」と言って、彼女らに検鏡させるつもりでいた。
「顕微鏡は、どこ?」と尋ねると、ズラが、モンゴのラボの棚の上で埃(ほこり)をかぶっていた、まるで玩具(おもちゃ)みたいな光学顕微鏡を出してくれたのだが、これじゃ使いようがない。まず、顕微鏡を掃除することにした。70%のエタノールを用意させ、それを含ませたティッシュペーパーで丹念に埃を取り除いた。それから漸く、検鏡である。ところが、この顕微鏡、光源は反射式の鏡によるものであった。コンデンサーもいい加減な造りで、室内の蛍光灯や外の太陽光だけでは、暗すぎて検鏡どころの騒ぎではない。このタイプの顕微鏡にお目にかかったのは、いったい何年ぶりだろう。目が、おかしくなりそうである。「もっと強い光源は、ないの?」と言うと、ズラが連れて行ってくれたのは、学生の実習室であった。
そこには学生が20人くらい顕微鏡を覗いていて、大型テーブルの中央に据えられた2本の蛍光灯が、顕微鏡の光源であった。ここでもズラが学生に無理やり場所を空けさせ、持って来た顕微鏡を光源に近づけて、検鏡することになった。この顕微鏡は小さいなりに双眼で、接眼レンズは×10である。そのため「この倍率だと、対物レンズ×40くらいで検鏡するのがベストだろう」と判断した。ところが、対物レンズは×8、×40、×90の3種類しか無かった。しかも、順番がバラバラである。私が普段、新潟大学の研究室で使用している光学顕微鏡の対物レンズの倍率は、反時計周りに×4、×10、×20、×40、×100である。低倍率から高倍率に順序よくレボルバーを回して行けば、ピントはスムーズに合わせることが出来る。しかし、モンゴル教育大学にある顕微鏡では、8倍で合わせたピントが、30分間以上の試行錯誤を繰り返しても、40倍では全く合わなかった(2)。
こんな経験は初めてである。どう仕様も無くなって「20倍の対物って、ないの?」とズラに聞いてみると、実習中の学生の顕微鏡を20台ほど調べて、漸く1個だけ見つけることが出来た。これで何とか、ピントが合わせられそうである。ところが、ところがである。レボルバーを回して、対物レンズを8倍から20倍にした途端にピントがぼやけ、20倍でピントを合わせるだけで5分間も掛かってしまった。しかも、その後40倍で合わそうとすると、にっちもさっちも行かなかったのである。これは「私の合わせ方が下手だから」という問題ではなく、ズラもタイワンも合わせることが出来なかったので、どうも顕微鏡の構造上の問題であるらしかった。これは他の顕微鏡に替えても同様で「いったい、ここの学生は何を観ているんだろう?(3)」と、つい考え込んでしまった。仕方がないので、なんとかピントを合わせることの出来る20倍に戻し、お茶を濁すことにした。以上の操作で精根尽きてしまった私は、もはや持参した他のプレパラートを観る気力さえ起こらず、本日の実習は終了と相成った次第である。
たったひとつの組織切片を観察するのに、これだけの労力を注ぎ込んだのは、今回が初めてである。これを「貴重な経験をした」と見るべきかどうかは意見の別れるところであるが、モンゴル最高学府の実態=設備の貧困さを身をもって知ることが出来ただけでも「収穫はあった」と言えよう(4)。
[脚注]
(1) モンゴルでは、たとえ他のラボでも、学生は教員に対して絶対服従である。
(2) 対物レンズの×40は、下手に微量調整すると、プレパラートを割ってしまう。ピントが合わないからといって、つまみを大きく動かすことが出来ない代物である。ちなみに、対物レンズが×90くらいになると油浸する必要が出て来るのだが、この光源の暗さでは意味をなさず、無用の長物と化しているようであった(というより、油浸の知識がない?)。
(3) 聞くところによると、モンゴルの大学では正月休みというものがなく、まだ夜が明け切らない午前8時から授業を開始するそうである(1月の夜明けは午前8時半頃)。また、モンゴル教育大学生物学部の一学年の定員は100名だそうである(学部生だけで400名というのは随分と多いような気がする)。このときの学生実習は、既存の(市販の?)プレパラートを光学顕微鏡で観察するだけのもので、しかも20台ある顕微鏡の約半数は、接眼部が単眼であった。何か日本の旧制高校時代の遺物をみているような錯覚に襲われ、妙に物哀しくなってしまった。
(4) モンゴル教育大学生物学部には満足の行く設備がなく、ドラフトさえ存在しない。「ドラフトを使う実験の場合は、どうするの?」と尋ねると「そのときは、近くにあるモンゴル科学技術大学に行く(ドラフトがひとつある)」という答えであった。