セレンゲ県シャーマルでの調査(前哨戦)


2005年7月13日(水曜日)午後6時40分、私を乗せたモンゴル航空(MIAT)の旅客機は、ウランバートルのボヤントオハー国際空港に到着した。入国審査を終え、ベルトコンベアーに乗って出て来る「預ける荷物」を受け取ると、午後7時12分には待ち合い室へと出ることが出来た。今回のプロジェクトの共同研究者であるズラさんには、到着時刻をメールで知らせていたが、それに対する返事をもらっていなかったので、迎えに来てくれるかどうかは不安だった。待ち合い室にズラさんの姿を見つけたときは、正直、ホッとしたものである。他に通訳のオトゴンさんと、ズラさんの友だちのビャンバーさんが来ていて、合わせて3人の女性が出迎えてくれたことになる。

ビャンバーさん所有の自動車に乗り込み(彼女は運転手として連れて来られたようであった)、そこで私は衝撃の事実を知ることになる。なんと「私の泊まる場所が直前まで決まらず、当日になって、ズラさんがオトゴンさんに頼み込んだ」というのである。オトゴンさんには、ドルゴンという10歳の息子がいて、二人暮しだという話であった。プロジェクトの資金の関係で、ホテルに泊まることは難しいらしく「他に泊まるところがない」というのであれば、是非もない。結局、セレンゲ県シャーマルでの調査が始まる15日まで、オトゴンさんのアパートに2泊することになった。

7月14日(木曜日)午前10時44分、ズラさんが学生を連れて私を迎えに来た。学生は、昨夏のダルハディン湿地調査でサンショウウオ・チームのメンバーとして活躍してくれたフルッレ、今回の調査で料理を作る担当のムーギー、同じく植物の調査担当のオンノンの3人であった。これから皆でシャーマル調査用の買い物をする算段らしく、フルッレの自動車でパン屋やスーパーマーケットを何ケ所か梯子することになった。それが終わると、ダルハディン湿地プロジェクトの調査隊長である○○さんが借りているアパートで、羊肉(2,500Tg/kg)の塊を小分けして冷蔵庫へ入れる作業をおこなった。

午後1時14分、ズラさんと2人で繁華街に出て「レーニン・クラブ」という建物に入った。この建物には、今回のプロジェクトのもうひとりの共同研究者である、テルビシさんの会社が入っているという話であった。テルビシさんはモンゴル国立大学の教授(環境科学・両生類学)であるが、その一方で副業として旅行会社を経営している。モンゴルに7つある国立の大学は、いずれも給与システムが日本とは異なり「夏休みの3ケ月間(6〜8月)は給料が出ないので、他に仕事を持っている人が多い」という話であった(1)。

午後1時17分〜2時5分、テルビシさんからセレンゲ県シャーマルの調査地についての説明を受けた。

この場所はウランバートルから北に350kmくらい離れたところにあり、アスファルトの道がほとんどなので、5時間くらいで行ける(2)。舗装されていない道は、10kmくらい。途中、ダルハン(Darkhan)という大きい街を通り、ロシアとの国境近くにあるスフバートル(Sukhbaatar)という街の、ひとつ手前にあるのがシャーマル(Shaamar)。オルホン川(Orkhon gol)とセレンゲ川(Selenge gol)に挟まれた土地で、湿地帯が多い。雨が多く、草丈は高い。蚊も多い。両生類は4種類いる。池の周りにはヤナギが生えているだけで、倒木はほとんどない。

えっ、倒木がない???

寝耳に水。ここで初めて知る、衝撃の事実であった。日本で用意して来た調査計画書とデータシートが、早くも用済みとなってしまった。この瞬間から、急いで調査計画を立て直さなければならなかった。私が所有する調査道具で、果たして何が出来るのか? ここでもキタサンショウウオの調査が主体となるのだろうが、倒木がないようなところで、彼らは一体どこに隠れているのか? カエルが3種類いるという話だから、これを使って、他に何か出来ないだろうか? これまで私が培って来た知識を総動員し、プロジェクトとしての形を作り上げなければならなかった。

野外での調査・研究は、当初の計画の7割が達成できれば、御の字である。大成功と言ってもよい。その計画が、今回のように見事に水泡に帰すことも、よくある話(?)である。しかし、だからと言って、○○さんのように、最初から無計画で、野外での調査・研究に臨むようなことは絶対にしない。それがフィールドワーカーとしての誠意であり、誇りでもある。

[脚注]
(1) ここで私は「モンゴルの大学教員には、夏休みの間の給料が支払われない」という客観的事実を示した。しかし、そのことで、現在の私に何が出来るわけでもない。私は、事実は事実として、情報を正確に発信しているだけである。その後は、情報を受け取った側がよく考え、行動を起こしてくれることを期待してやまない。
(2) 実際のところは、途中途中の休憩時間と食事の時間を入れて、10時間近く掛かった。なにしろ、余りの暑さにジープがオーバーヒートし、その度にラジエーターから、お湯を抜いて水を入れる作業を繰り返していたのだから......。沿道の途中途中に、何台も自動車が停まっている様は壮観だった。全部が全部、ラジエーターを冷やしている、オーバーヒートの自動車であった。


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