2005年のモンゴル・ダルハディン湿地調査は8月2日(火曜日)から4週間弱の予定だそうであるが、モンゴル教育大学の共同研究者であるズラさんからは、それが始まる前の7月15〜25日にセレンゲ県シャーマルでおこなうキタサンショウウオ調査への参加要請を受けていた。そのため、私だけ一足先にモンゴルに飛び、現地に滞在しなければならなかった。普段は自分でモンゴル大使館にビザを申請しているのだが、30日間を超える滞在を申請するためには特別な許可が必要で、その交渉役を○○さんが買って出たわけである(2)。
今回のシャーマルでのキタサンショウウオ調査は、ズラさんがモンゴルの文部省から得た「200万Tg」のファンドである。日本円にすれば20万円そこそこでしかないが、モンゴルの貨幣価値からすれば、200万円以上のものがある。申請内容は、2004年の夏にダルハディン湿地でおこなった調査をそっくりそのまま踏襲したもののようであった。ズラさんが申請したことは、2005年1月にウランバートルで開催されたシンポジウムのときに聞かされて知っていたが、まさか当たるとは思っていなかったので、正直、びっくりしている。「ダルハディン湿地のキタサンショウウオは特殊な生息環境に暮らしており、同じ調査方法がシャーマルの個体群に適用できるかどうかは、現地を見てみないと何とも言えない」というのが、私の認識だったからである。
[脚注]
[脚注の脚注]
(1) クロネコヤマトのメール便は「時間指定が出来ない」と注意され、普通の宅急便で送らざるを得なかったのだが、新潟大学理学部の建物から徒歩10〜15分間のところにある新潟大学前営業所への持ち込みで、640円の出費であった。
(2) モンゴルでは、30日間を超える滞在の場合、他に「外国人登録が必要だ」という話も聞いている。これはいいとして「いつ出発するのか分からない。どこに宿泊するのかも分からない(1)」という状況も手伝って、空白欄の多いビザの申請書を、いったい○○さんはどうするつもりなんだろう?
(1) そうこうするうちに何となく渡航日程も決まり、6月9日(木曜日)になって漸く往復航空チケット(成田〜ウランバートル)の予約が取れたのだが、それから間もなくして関西空港到着の帰国便に強制変更されてしまった。なんでも「機内に預ける荷物(たぶんパラグライダー)の関係で、頭数が必要」ということで、他のメンバーと一緒の便になったようである(相変わらず、どこに宿泊するのかは不明。この分だと、現地に到着するまで、情報が来ないんだろうなあ......)。6月14日(火曜日)、山形の実家から電話があって出てみると「金沢の○○さんという方から書留が届いている」というので、中を開けて確認してもらった。案の定、私のパスポートであった。今回、○○さんの尽力で長期滞在ビザが取れたのはいいとして、なぜ○○さんは、パスポート(とビザ)を私の実家宛てに送ってしまったのだろう? 6月30日(木曜日)、○○さんから珍しく「航空券が送れませんので、至急、貴君の現住所およびTELを知らせて下さい」というメールが届いた(私は普段、携帯電話を持ち歩かないので、毎回の留守電メッセージに業を煮やしたらしい)。「メールには大学の住所を署名で載せているし、携帯電話に掛けて来るくらいだから、電話番号だって分かっているはずだがなあ......」と思って、○○さんに電話で連絡を取ってみると、どうも私の下宿宛てに、書留で航空チケットを送ろうとしているようであった。そうか、分かったぞ。所属する私立大学の理事長とトラブルを抱えている○○さんは「大学宛てに書留を送ると、本人に届かない可能性がある。かといって、下宿の住所は分からない」と思って、住所の分かる私の実家宛てにパスポート(とビザ)を送ってしまったんだ。納得、納得。でも、○○さんと違って、私の場合、大学宛てに送ってもらったほうが、手間が省けて助かるんだがなあ......。