シャーマルの動物たち


モンゴル国セレンゲ県シャーマルで出会った動物たちの一部は、日本では見たことのないものであった。

2005年7月18日(月曜日)の午前9時頃、私のテント脇でヒキガエル(Bufo raddei)の幼体1匹を見つけた。この種は調査地の周辺には沢山いるが、まさかキャンプ地まで遠征して来るとは思わなかった。この幼体の移動分散距離は、少なく見積もっても300mはある。

7月19日(火曜日)の午前10時頃、フルッレとベルゴンがハリネズミを持って来た。野生のハリネズミは、初めて見た。キャンプ地にある木の洞(うろ)から捕らえたもので、このハリネズミは1時間以上も体を丸めた状態で、私たち人間に対する防御姿勢をとっていたが、いつの間にか逃げ出して居なくなっていた。

7月23日(土曜日)の午前10時44分には、どう見てもコアジサシと思われる鳥1羽が、ナイロンメッシュトラップの調査中に池の上空を旋回し、どこかへと飛んで行った。また、午後0時46分には、調査地にあるカワヤナギの木の枝に、本来なら森の奥にいるはずのシマリス1頭を認めた。

7月24日(日曜日)の午後7時23分には、モンゴル国立大学の学生であるラウガが、キタサンショウウオの調査中に、土の中から尾の短いヤチネズミの仔と思われる個体を掘り出した(尾長は2cmくらい)

これら以外にも、調査期間中は毎朝、目覚めると遠くでカッコウの鳴き声がしていた。キャンプ地の周辺では、日本では見たことのない鳥が、常に4〜5羽ほど群れていた。キジバトより2回り以上も大きく、ずんぐりむっくりしていて、黒と白のツートンカラーの体色で、翼の先端は白かった。オナガのような鳴き声で、いつもカラス(ハシボソガラス?)と喧嘩していた(1)。

近くを流れるオルホン川(Orkhon gol)には、ハヤとかカジカに似た魚がいて、小さいコイくらいの大きさのものもいた。これらの魚をフルッレ、ラウガ、ベルゴンといった若い男性陣が朝夕に釣り上げて来るので、しばしば食膳に上っていた。料理はフリッターの類いで、ズラさんが魚をぶつ切りにして油で揚げていたので、3枚に下ろすやり方を教え、骨はカリカリに揚げて骨せんべいにして供したら、これがバカ受けであった(2)。

キャンプ地にはカとブユが多く、身体中にまとい着くような感覚で、私なんかは腕を10数カ所も喰われてしまった。これには良い対策法があって、からからに乾燥したウシの糞を燃やすと、その煙りで虫が逃げて行くのであった。大気中の湿度の低いモンゴルならではの虫除け対策であり、妙に感心してしまった。

ちなみに乾燥したウシの糞は、キャンプ地で薪がないときの燃料として使われているが、火力が弱いのが難点であるらしい。

[脚注]
(1) 2005年11月3日〜6日は、長野県北安曇郡白馬村で、秋の両生類生息状況調査をして来た。私が定宿にしているヒュッテ「星と嵐」のオーナー岸冨士夫さんに、この鳥の特徴を伝えたところ「カササギじゃないか?」と即答していただいた。この宿にある数多の図鑑類で調べると、カササギそのものであった。日本では佐賀平野の周辺にだけ生息するが、どうも自然分布する鳥ではなく、朝鮮出兵のときにユーラシア大陸から連れて来られた、現在で言う移入種の類いのようであった。岸さんは登山家で、自然観察指導員の資格も持っており、科学全般に対する雑学の知識は半端ではない。その知識の量たるや、私が一目も二目も置く存在であり、お会いして話をする度に圧倒される存在でもある。
(2) 誰かが「モンゴル人は魚を食べない」と言っていたが、意外と普通に食べているようであった。ジープの運転手が「ウランバートルに用事がある」とかでキャンプ地を3日間ばかり離れ、なぜか自分の幼い娘(5〜6歳くらい?)を連れて戻って来たのだが、その娘もズラの息子のベルゴンも、当たり前のように魚の鱗をナイフで削いでから、内臓を取り除いていた。フルッレやオンノンといったモンゴル教育大学の学生たちも普通に魚をさばいていたし、そんじょそこらの日本人よりも魚の扱いには慣れているようであった。


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