11日(木曜日)の午前9時を回った頃、気が付くと、調査隊長の○○さんのグループのジープのドライバーが来ていた。彼の話によると「○○さんのグループは今日の調査が休みで、やることがないから遊びに来た」ということであった。これを聞いていた共同研究者のズラさんが、12日(金曜日)の調査中、急に「明日、休みましょう」と言い出した。この日は、湧き水を汲みに行く件で、私との間にトラブルが発生したばかりであった。ここで彼女の主張を認めると、昨年の調査の二の舞いになってしまう。それだけは避けたかった。彼女が「調査をしたくない」という気持ちも分からないわけではなかったが「定量調査の性格上、間を1日でも空けると、研究の価値が半減するからダメ」ということを説明し、何とかして理解してもらうように努めた。その代わりと言っては何だが「本調査が終了したら、後は旅行気分でいいから」と約束し、彼女をなだめることに成功した。
18日は、いよいよ他の調査地への移動の日である。第1調査地に早期帰還を果たした藤則雄さん(地球科学)のご好意で、彼のグループのロシアンジープを使わせてもらうことが出来た。サンショウウオ・チームに残された、大型のトラックとの交換である。途中途中でキタサンショウウオが生息できそうなポイントをチェックしながら、まずは「レンチェンフンベ村(1)」へと向かった。ジープでは、およそ2時間の道のりである。午後0時25分、村の中へ入って行くと、見覚えのあるジープが2台あった。ロシア隊とタミルさんのグループのものであった。そうこうしているうちに、今度は○○さんのグループのジープも到着した。ここで、彼から「今日からは皆で(とは言っても、藤さんのグループを除いて)、これから行く場所をベースキャンプにして調査をおこなう」という指示を受け、サンショウウオ・チームも計画の変更である。
私も、久しぶりに他の日本人のメンバーと会い、○○さん、森田孝さん、佐野智行さん、それと通訳のウンドラさんと一緒に、村の中のショップ街を歩いた。午後1時41分に○○さんのグループがホーショルの昼食を持って出発すると、残された私たちサンショウウオ・チームも同じ昼食を採り、午後2時20分には、準備が整ったサウナ小屋へと向かった。入って奥の左側がサウナ室、右側がシャワー室で、サウナ室は女性陣が、シャワー室は男性陣が使うことになった。使用料金は、それぞれ1,500Tg、1,000Tgであった(但し、○○さんは「(シャワーは)500Tgだった」と言っている)。他のグループでは、調査の合間合間にレンチェンフンベ村を訪れ、サウナを利用していたそうであるが、サンショウウオ・チームにとっては2週間ぶりのシャワーであった。皆に「今日は、ゆっくりしようね」と言って、これまでの労をねぎらうことにした。
午後3時44分、レンチェンフンベ村を出発し、午後4時22分にキャンプ地に到着すると、ジャムスランさん(植物分類学)のグループが、ちょうどゲルを建てていた。サンショウウオ・チームも、午後4時41分にはテント3基を設営した。その晩は、皆が1ケ所に集まったこともあり、当然のように宴会である。まずは、この場を楽しもう。このキャンプ地の周辺には水が豊富に湧き出す池が無数にあり、明日は、ここら一帯でのキタサンショウウオの捜索である。それから、ランドサットから撮影されたダルハディン湿地の衛星写真を検討し、水と森のありそうな場所への出向となる。結局、非繁殖期の夏の調査にもかかわらず、キタサンショウウオの新たな個体群が見つかったのだが、この調査の模様は別の機会に譲ることにする。
さて、今年はダルハディン湿地調査が終わってからが、大忙しであった。まず、ダルハディン湿地調査の中間報告書の〆切り日である10月末に、○○さんに中間報告書2編を提出した。また、ナイロンメッシュトラップで捕獲された水棲動物31種の同定をおこなった上で、11月末にはズラさんにシャーマル調査の英文報告書1編を提出した。これらの作業を全て終えてから、骨組織切片の作製に専念し、キタサンショウウオ個体群の2005年分の年齢査定データを加えて、成長曲線を描き直した。それから、シンポジウム発表用のパワーポイントのファイル2編を作成し、なんとか年内に仕上げることが出来た。ということで、2006年1月2日〜9日は、ウランバートルのモンゴル教育大学で開催されるシンポジウムのため、日本を離れることになる。それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい。
[脚注]
(1) この村の名前を色んな人々に尋ねてみたのだが「レンチェンスンベ」としか聞こえなかった。フブスグルの英語の地図には「Renchinlhumbe」と書かれてあるので、ここでは「レンチェンフンベ」と記述した。