調査・研究の基本姿勢


今回、2005年のモンゴル・ダルハディン湿地調査では「モンゴル人にとって、調査って何、研究って何?」と、考え込まざるを得ないような事態が多発した。

調査期間中の私の就寝時刻は、早いときで午後11時30分、遅いときで午前2時30分を回っていたが、何時に寝ても、私だけは午前7時には起床して「トイレ(1)」を済ませ、それから調査道具のメンテナンスをおこなうのを日課にしていた。ところが、サンショウウオ・チームの他のメンバーの起床時刻は全体的に遅く、一番早起きのムーギーでさえ、テントの外に出て来るのは午前8時30分を回った頃であった。朝食の準備は彼女が起きてから始めるわけだから、当然のことながら、朝食の時間は午前9時30分以降になることが多かった。毎日の調査開始時刻は、推して知るべしである。

8月10日(水曜日)午前10時35分、ズラ、タイワン、それと私の3人でゴムボートに乗って対岸に渡り、その日の調査が始まった。稼ぎ頭のフルッレは、ナイロンメッシュトラップに掛かった水棲動物の回収に専念し、それが終わってから、およそ1時間半遅れて合流である。水棲動物の回収には胴長が必須で、サンショウウオ・チームで所有しているのは私とフルッレしかいないので、彼が担当することは必然の成り行きであった(彼の胴長は、私がプレゼントしたものである)昨晩の宴会は雨の中でおこなわれ、それに雨具も着ないで参加したオーグナが「服が乾かない」という理由を付けて、結局、その日の調査には来なかった。おまけに午後3時25分頃、調査対象倒木のひとつの近くで、折れた木の上にタカの幼鳥が留まっているのを見つけたフルッレが、それを捕まえて対岸のキャンプ地にいるロシアのグループまで持って行ってしまった(このグループには鳥類の専門家が参加していた)。「持って行け」と(当然、モンゴル語で)指示したのは、ズラさんである。同じ持って行くにしても、その日の調査が終了してからなら何の問題もないのだが、この地点からキャンプ地までは往復で1時間半も掛かってしまう。案の定、彼が調査地に戻って来て私たちと合流できたのは、それから2時間後であった。その間、また3人で調査を続けるしかなかった。ズラさんもそうだが、サンショウウオの調査を優先しない彼ら2人の姿勢に半ば呆れ、疑問を呈しても、ズラさんは「仕様が無いでしょ?」と言うばかりであった。

11日(木曜日)は、サンショウウオ・チームの他のメンバーの準備もスムーズに進んでいるようで、いつもより30分間も早く、午前10時には対岸に渡れるものだとばかり思っていた。ところが「今日は10時から出来るね」とズラさんに念を押した矢先に、私たち以外のグループが他の調査地へ移動する準備を開始すると、それぞれのロシアンジープに荷物を積み込むのを皆で手伝い始めた。これで、また調査開始時刻が遅れることになり、漸く対岸へと渡れたのは、午前10時50分を回った頃であった。昨年の調査では、遅くとも午前9時20分には調査を開始できていたので、今年の弛み様は想定外であった。

12日(金曜日)午前9時45分、朝食の最中にズラさんが、私たちに残された1台のトラックのドライバー、フルッレ、オーグナの3人に命令し、10kmくらい離れた場所まで湧き水を汲みに行かせてしまった。「これから調査が始まる」というときに、である。ズラさんに「調査が終わってから、(彼らを)行かせてくれないか?」と頼んだのだが「水がないと、今日のお昼ご飯が作れないでしょ?」と言われ、唖然として彼らを見送るしかなかった。目の前を流れるシシヘデ川は増水で濁り、川から汲んだ水を調理に使用するのは、はばかられた。また、昼食はムーギーが配達する段取りになっていた。ズラさんの話では、今日は、彼らが戻って来てから調査を始めるそうである。やれやれ、一体、いつになるのやら......。気を取り直して「タンクに水がないことは昨日の段階で分かっているわけだから、どうして今頃になって汲みに行かなければならないの?」と疑問をぶつけてみたのだが、それには答えてくれなかった。都合が悪くなったときに黙りを決め込むのは、彼女の常套手段である。午前10時34分、ズラさんが急に「3人でやる」と言い出した。それから準備を始め、午前11時に漸く対岸へと渡ることが出来た。湧き水を汲みに行った彼ら2人が合流したのは、午後2時を回った頃であった。

私は「やることさえ、ちゃんとやっていれば、調査以外の時間帯は何をしていても良い」と思っている。しかし、その肝心の調査そのものが、ちゃんと出来ていないのが現状である。毎回、滞りなく調査に参加している人たちへの負担は、測りしれないものがある。こういったとき、普通の人なら本当は怒らなければならないのだが、私の場合、他人に対して頭ごなしに怒鳴ったり、命令口調で喋ったりすることが大の苦手である。だから、決められたことや、約束したことが守れない人に対しても「もう時間は過ぎてるよ。ちゃんと時間は守ろうね」とか「調査を始めるときは、全員が揃って行こうね」とか、優しい口調で注意を促すだけである。ところが、そういった人に限って、何を勘違いしているのか、何度、言っても「聞き入れてくれる」ということがない。そういうときは仕様が無いので、その人が言うことを聞きそうな第三者に、助けを求めることもある。それでも叶わないときは、今後の改善を願って、ネット上で情報を発信することもある(2)。

ダルハディン湿地調査で「私が果たす役割り」と「後進を育成する」ということを考えたとき「モンゴルで研究者と称される人たちの、調査・研究に対する意識改革を進める以外にない」というのが、大方の結論であった。まず、上の者(教員・研究者)が変わらなければ、下の者(学生・大学院生)は着いて来ない。「ああ、そんなんで良いんだ」と思われてしまっては、お仕舞いである。自らが率先して、行動規範を示すこと。そうすれば、学生は自然と着いて来る。これは、私の大学院研究生時代の恩師である渡辺勇一先生から、暗黙のうちに学んだことである。

[脚注]
(1) 汚い話で申し訳ないが、私は朝起きて、すぐに大便がスムーズに出る。テントから500mくらい離れた草原の窪地まで行き、まだ誰も起きていない中で出す大便は、快適そのものである。藤則雄さんのグループが8月15日(月曜日)の夕方に第1調査地に戻って来てから、そのグループの学生数名で屋外トイレを掘っていたが、窪地での大便の快適さに惚れ込んで、ついぞ利用することはなかった。
(2) 私のホームページは、言葉のひとつひとつに「こだわり」を持って、熟考に熟考を重ね、これで良しとなったときに初めてアップするものである。誰もが理解できる平易な文章表現を心掛けてはいるが、人間は十人十色、感じ方は人それぞれである。私の友人の言葉を借りれば「書くほうは一生懸命に書くが、読むほうは適当に読む」のだから、なかには書かれてある内容を変に曲解してしまう人も出て来るわけである。私は、正当な批判であれば、いつでも受け入れる用意がある。だが、そういった独善的で思い込みの激しい人に限って、理不尽な中傷を繰り返すのだから、こっちとしてはたまったものではない。


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