ムルンでの宿泊


モンゴル・ダルハディン湿地からムルンまでの道のりは、起伏に富んでいる。道なき道を走破し、幾度となく川を渡らなければならない。途中、何が起こるか分からないので、キャンプを張って一泊するなど、余裕を持って日程を組む必要がある。

2005年8月23日(火曜日)の午後5時55分、ムルン市内のゲル・ホテル(ゴビ・ジョールチン)に到着し、そこで一泊することになった。ムルンからウランバートルへの搭乗便は月・水・金の週3便しか運行していないので、これは必然の結果であったが、もしかすると調査隊長の○○さん(金沢学院大学)から私たちモンゴルと日本の教員・研究者への、ご褒美であったのかもしれない。おかげで私たちは、ムルン市内を多少なりとも観光することが出来た。

宛てがわれたゲルにはベッドが3つあった。同宿メンバーは佐野智行さん(姫路獨協大学)、早坂英介さん(東北大学)、それと私の3人であった。午後8時43分、晩飯を食べた後の腹ごなしに、この3人に通訳のウンドラさんを加えた4人で、近くの寺院と公園を散歩することになった。ウランバートルには「ガンダン寺」という有名な寺院があるが、この寺院も同じ名前で、チベット仏教様式の古びた建物であった。門が閉まっていて中に入れなかったので、門の外側に建立された大きなマニ車を回し、お祈りをすることにした。それから隣にある公園を散策すると、十二支の動物をモチーフにした12体の像が設置されていたので、各自が自分の干支(えと)の像に登って、それぞれ写真撮影をおこなった。公園の敷地内には20頭ほどのヒツジが飼われていたが、なかでも感動ものだったのは、まるで玩具(おもちゃ)のような、小さな小さな観覧車であった。午後9時21分、帰り道の雑貨屋でミネラルウオーターを購入してから、ゲルに戻った。

午後9時50分、ゲルの前に腰を下ろして私が爪を切っていると、通訳のエンフバトさんが近寄って来て、自分の身の上話しを始めてしまった。どうも私は、彼から「こういった話をしても大丈夫な人」と見られているようであった。彼との話は、午後11時20分まで続いた。その間に陽は落ちて辺りは暗くなり、モンゴルの女性陣が宿泊するゲルでは恒例の宴会が始まっていた。彼との話が終わって、そのゲルに顔を出してみると、宴会も終わりかけであったが、白ワインとアルヒをゲットすることが出来た。こうして宴会に参加し、その日は午前0時50分の就寝と相成った。

24日(水曜日)、午前6時5分に目覚めると、雨が降っていた。「まだ起きるには早いかなあ」と思い、寝直して、午前8時5分に起床した。午前8時25分、ゲル・ホテルの女性ホスト(female host)がゲルの天窓に覆いを掛けに来てくれた。やや遅きに失した感があるが、これで雨は入り込まなくなった。午前8時56分、ズラさんがポットに入れたお湯を持って来てくれたので、これで漸くカップラーメンの朝食である。午前10時22分、森田孝さん(フリーの技術者)が私たちのゲルを訪ねて来た。彼の情報によると「チェックアウトの時間が迫っているが、お客さんが来なければ居てもよい」という話なので、皆でゴロゴロと、ゆったりとした時間を過ごしていた。

午前11時45分、ウンドラさんが来て「食事です」と言う。外を見ると、ゲル・ハウスの駐車場には数台のロシアンジープが集結していて、これに乗って全員でレストランに行き、昼食を採る段取りが既に付けられていた。午後0時44分、昼食が終了すると、そのままジープに乗って、ムルン郊外の発掘調査現場とかいうところに見学に行くことになった。午後1時4分に到着してみれば、そこは、昨年お邪魔した古代のシカの壁画(通称、シカ石)がある場所であった。「オラン・オーシグ(赤い山)」と呼ばれる、この世のものとも思えない風景が背後に広がる場所で、古墳の発掘がおこなわれていた。ストーンサークルと、その下に眠る石棺の発掘をしていて、人骨も出ていた(頭蓋骨の写真を撮らせてもらったが、約束なので公開は出来ない)。21基の馬の骨が伴葬されていて、年代は「6,000〜8,000B.C.」とのことであった。発掘調査隊のメンバーは、金沢大学、創価大学、モンゴル国立大学の研究者で構成されていた。聞けば、ここ数年ほど、発掘調査には来ていたそうである(1)。

その帰り道、午後3時7分、ムルン市内に入る直前で警察にジープを止められた。なんでも、鳥インフルエンザの検査とのことであった。なんとか無事に、これを切り抜け、ゲル・ホテルに戻った。ここを午後4時に出発し、6分後にはムルン空港へと到着した。ここで私たちを待っていたのは、またしても鳥インフルエンザの検査であった。搭乗する全員の検査が終わるまで、飛行機には乗れなかった。但し、検査といっても、体温計で熱を測るだけの簡単なものである。私は36.1℃で無事にクリアし、モンゴル語で書かれた証明書を発行してもらった(その証明書は、記念に取ってある)。こうして午後6時23分には、なんとか全員、搭乗することが出来た。午後6時39分の離陸であった。

これで昨年9月の最初の稿に戻り、2005年夏の調査の概要が漸く出揃ったことになる。しかし、それにしても、45日間(7月13日〜8月26日)のモンゴル滞在は、長かったなあ......。

[脚注]
(1) 昨年、私たちが古代のシカの壁画を見学したとき、近くにあるストーンサークルの存在に気付かなかったのは、時期がずれていたせいで、それらが埋め戻されていたからのようであった。そう言えば、小高い積み石の丘が幾つか周りに在ったようだが、そんなに大事なものだったとは......。


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