プロペラ機


2004年7月16日(金曜日)、ウランバートルからムルンに向けて、モンゴル航空(MIAT)国内線の便に搭乗した。50人乗りのプロペラ機(アントノフ)である。ウランバートル14:40発の予定であったが、20分遅れて15:00発となり、ムルン16:30着であった。当初は、ウランバートル7:00発の便に搭乗する予定であったが、何かの手違いでチケットが取れず、午後の便に変更になったそうである(1)。

この国内線の便には、日本隊のメンバー17名とモンゴル隊の教員8名を合わせた総勢25名が搭乗した。ウランバートル(ボヤント・オハ−)国際空港で14日の午後7時30分頃、調査道具とモンゴル教育大学の学生10数名(他に日本隊から2名)を積んだ2台のトラック部隊は、陸路で、既にムルンに向けて出発していた。およそ2日間の道のりである。これら2台のトラック部隊とは、16日の午後4時30分過ぎにムルン空港で合流し、ムルンでチャーターしたロシアンジープ6台に分乗して、午後5時に漸くダルハディン湿地へ向けての旅が始まったのであった(2)。

今回のモンゴル・ダルハディン湿地の調査のため、国際線のジェット機に乗るのも初めてなら、国内線のプロペラ機に乗るのも初めてであった。なにしろ、これまで飛行機と名の付く物には乗ったことがなかったのである。こうして乗ってみると、プロペラ機は思ったより揺れが少なく、ジェット機のほうが揺れが大きいように思われた。また、ジェット機では一般的な「離陸のときの圧迫感(3)」をプロペラ機では全く感じず、ふわっと飛び上がるような感覚であった。但し、このプロペラ機にはクーラーが設置されていないので、高度が上昇するまでの間、機内が蒸し暑かった。それに「機内サービス」と言えば、缶ジュースとキャンディーが配られただけであった(4)。

ムルンの市街地が一望できるまでプロペラ機が近づいて来ると、ここは囲いの街、碁盤の目のような囲いが縦横無尽に張り巡らされている街であることが分かった。街の外れにあるムルン空港にプロペラ機が到着してタラップを降りたとき、真っ先に目に飛び込んで来たのは、空港周辺の異様な光景であった。こんな景色は、現在まで見たことがない。感覚が、おかしくなりそうである。何もない草原と、木も生えていない丘陵地が、ただ広がっているだけであった。

[脚注]
(1) その日の朝は、ゆっくりと午前7時に起床し、8時からホテルのレストランで朝食を採った後、10時から宿泊している日本隊全員でウランバートルの繁華街に出て、ミネラルウオーターなどの必要な物資の買い出しをおこなった。その後、ホテルに戻って昼食を採り、午後0時30分に自動車に分乗してウランバートル国際空港へと向かった次第である。
(2) 当初の予定より半日遅れの出発となったため、途中のキャンプ地に到着したのは翌日の午前0時過ぎで、暗い中でのテント張りと食事を余儀なくされた。その結果「午前3時に就寝し、午前7時30分に起床する」という、ハードスケジュールになってしまった。
(3) ジェット機が離着陸するとき、ちょっとした圧迫感はあったが、耳が痛くなるようなことはなかった。耳が痛くなるのは「航空性中耳炎」という症状である。離着陸時の機内の気圧変化で鼓膜内外に圧力差を生じ、気圧の低いほうへと鼓膜が引っ張られて振動し難くなるので、耳が詰まったようになったり、痛みを感じたりする。鼓膜の内側にある鼓室が耳管を通じて鼻の奥にある咽頭と繋がっているため、鼻の悪い人や耳管の働きに異常のある人がなりやすい。
(4) ウランバートル―ムルン間の往復航空運賃(普通)は、外国人料金が「US$143.00」に設定されているのに対し、モンゴル人料金は、その半分以下の「日本円で約7,000円」であった。


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