石田家住宅(旧・万里春酒造)


金剛山を水源にした豊富な伏流水(硬水)に恵まれた富田林寺内町では井戸水を利用した酒造業が江戸時代から発達し、明治初期には石田家をはじめ、杉山家(重要文化財・旧杉山家住宅)、仲村家(大阪府有形文化財・仲村家住宅)、葛原家(葛原家住宅)など10軒の造り酒屋がありました。

絵図に描かれた石田家清酒醸造所(上)
絵図(左上)にも描かれた石田家は、杉山家や仲村家から酒造株を分与されて明治時代に近隣の東板持から富田林寺内町に移り住んだ造り酒屋です。杉山家から江戸時代の酒蔵が移築され、昭和51〜52年頃まで残っていたものの建物の傷みが激しくなり取り壊されています。

地元酒造業は、昭和初期の経済恐慌の前後に多くの蔵元が廃業していった中で、石田家は戦中・戦後も地元で唯一の造り酒屋でした。戦中期には軍需用貯蔵タンク工場として使用されたこともありました。

今も残る「万里春酒造株式會社」表札
甘口の地元銘酒として「万里春」(バンリノハル)を製造し、南河内一円を中心に大阪市内でも販売を続けてこられた蔵元でしたが、昭和57〜58年頃に残念ながら廃業されました。

当時の酒造では、「山田錦」など北陸産米や近江の「五百万石」をはじめとした全国の酒造米を原料として使用し、但馬地方出身の杜氏や蔵人が毎年11月から翌年4月始めまで冬場の期間に仕込みに携わったそうです。戦後の最盛期には年間生産量2千石(一升瓶換算で20万本相当)を数え、桶売りでは京・伏見の「月桂冠」などにタンクローリーで卸していたそうです
明治時代に築造された大きな酒蔵は、今も歴史的町並み風景に自然と溶け込み、当時の酒造業の繁栄が偲ばれます。
南会所町に面した酒蔵

堺筋に面した石田家住宅

石田家住宅の連子窓 (格子窓)

商標ラベル(1級酒、胴貼り)

商標ラベル(2級酒、胴貼り)

商標ラベル(特級酒、胴貼り、限定先販売用)

商標ラベル(特級酒、胴貼り、500ml瓶、限定先販売用)

商標ラベル(濁酒、胴貼り、限定先販売用)

堺筋に面した土蔵 (2階窓と漆喰持ち送り)

昔懐かしい「万里春」の琺瑯看板

近鉄河内長野駅ホームにある年代物の木製ベンチ

当時は近鉄長野線・富田林駅1番線ホームにも「万里春」「バンリノハル」の看板と茶色いペンキで厚塗りされた同型の木製ベンチが何台かありました。

近鉄長野線の終点・河内長野駅ホームに今も残る地元銘酒「天野酒」の看板と木製ベンチ (2004年5月7日撮影)


厨子二階と虫籠窓 (分家)

堺筋沿いの石田家住宅 (分家では醤油醸造をされていました。)

門前の守護神として軒下に置かれた魔よけ瓦の置物(鍾馗、しょうきさん)
魔除けの瓦人形(鍾馗、しょうきさん)

京都でもよく見かけますが、町家の屋根に載っている瓦人形の鐘馗(しょうき)さんは、通りを挟んでちょうど向かい側の家の鬼瓦に対面する位置に置かれています。富田林・寺内町にある城之門筋を挟んで、それぞれ向かい合う杉田家住宅と田守家住宅。渋谷家住宅と小田家住宅。いずれも魔除けの鐘馗(しょうき)さんが、それぞれ相手側の鬼瓦に向かって置かれています。鐘馗(しょうき)さんの由来についてはボランティアガイドのお一人からご説明をお伺いして、なるほどと納得しました。魔除けの置物という説明だけでは物足りず、由来まで調べてご説明をされています。

「石屋のないしょ話」(第19話)に詳しく由来が紹介されています。
「石屋のないしょ話」

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