大阪府有形文化財 (平成2年3月指定) 非公開 建築年代: 天明2−3年 (1782−3年) (重要文化財級の価値があり, 早期指定が望まれる建造物です。) ■天誅組 中村徳治郎■ |
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所在: 富筋・林町 (じないまち散策地図) |
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由来: 富田林寺内町のほぼ南端に位置する旧家で、かつては屋号を「佐渡屋」と称し、享保19年(1734年)以降は徳兵衛を名乗ってきました。初代徳右エ門は富田林八人衆の子孫に当たると伝えられる。旧来の家業は明らかではありませんが、正徳5年(1785年)に酒造株を取得後は、造り酒屋として著しい発展を遂げ、天明5年(1785)の酒造米高は河内国で最高の2135石に達した。寛政4年(1792)には江戸市場を対象とした酒造業の理事長に当たる「河内一国江戸積大行司」となった。江戸・徳川家にも献上された。松尾大社(京都嵐山)の参道両脇に並び 立つ石灯籠の中にも、和泉国・仲村家(佐渡屋)の名前が刻まれた石灯篭が献上されています。寛政4年の古図によると、広大な敷地に母屋をはじめ、酒蔵、土蔵など数多くの建物があったことが描かれており、往時の繁栄ぶりを窺うことができます。しかし、明治初年に酒造業を廃したため、諸施設は次第に取り壊され、現在では母屋と一部の付属屋を残すのみとなっています。 |
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建物の特徴: 屋敷地は一区画を占める。母屋は表屋(おもてや)造りで、 北側に、土蔵、乾蔵(道具蔵)、米蔵、中蔵、醤油漬物蔵などが残る。出格子に竹格子入り丸窓など凝った建築様式。 母屋の建築年代は普請入用帳から天明2−3年(1782−83)であることがわかっており、母屋西側の店部分や南に続く3室の別屋敷も同時期のものである。 座敷の屋根の作りは大変立派で、棟を3つも4つも組み合わせて作られており、「八つ棟づくり」と呼ばれています。この屋敷には文人墨客が数多く訪れ、長州藩士の吉田松陰や、頼山陽も訪れたと言われています。 母屋の屋根切妻部分には仲村家の家紋である「三階菱」(表紋、左側)と「蔓柏」(裏紋、右側)をそれぞれ意匠に取り入れた通気口があります。(写真左下)「三階菱」の家紋は、屋根の丸瓦の文様にも施されています。 また、通りを挟んだ向かい側の上野家住宅は、元々仲村家別宅であったもので、屋根丸瓦には仲村家の家紋「三階菱」が入っています。 |
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富田林と吉田松陰 (嘉永6年2月・3月) (「石上露子を語る集い」 2004年5月9日 第6回定時総会講演録より引用) 富田林寺内町と天誅組の変 (「石上露子を語る集い」 2004年9月12日9月例会講演録より引用) |
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板塀と母屋
座敷の屋根の作りは大変立派で、棟を3つも4つも組み合わせて作られており、「八棟づくり」と呼ばれています。 |
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母屋南妻の家紋 | |
屋根の修理にために設けられた杉皮柵 母屋の表側に小さな棟がもう一つ付いてあり、「表屋(おもてや)づくり」といい、江戸時代の豪商に多く見られます。 |
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厨子二階と虫籠窓 | |
厨子二階と虫籠窓 | |
じないまちフェスタ で玄関先に屋号(佐渡屋)と家紋(三階菱)が入った暖簾が掛けられました。 (2004年10月10・11日) |
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仲村家の全景 | |
仲村家の全景 | |
仲村家の家紋「三階菱(左)」と「蔓柏(右)」が意匠として取り入れられた母屋の切妻 (通気口) | |
寺内町煎餅の図柄にも取り入れられている。 | |
煙だし(母屋西側) | |
煙だし(母屋東側) |
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鬼瓦(母屋東側) | |
特別公開の準備のために一部の柵が取り外された駒寄せ (2002年5月3日) |
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特別公開された仲村家住宅 (2002年5月4日) |
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特別公開された玄関 (2002年5月4日) 通常の民家には玄関がなく、当時は武士階級にのみ許されていた。 |
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竹格子の円窓 | |
駒寄せ 町屋の道路に接する面に寄せて設けた牛馬を繋ぐための柵。駒繋ぎ、牛繋ぎなどともいう。後に、人や動物から建物の外壁や建具を保護するための柵に変化した。これを犬垣、犬防ぎ、犬矢来ともいう。 |
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駒つなぎ |
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板塀と格子窓 | |
仲村家の家紋「蔓柏」が刻まれた丸瓦 | |
仲村家住宅全景(裏手、東側から撮影) | |
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