〜 富田林郡役所(跡)〜
(富田林市史第3巻四十四〜四十六)




「石上露子を語る集い」会報 第54号から

「石上露子を語る集い」 代表 芝昇一氏
                       


幕末の庄屋・仲村長右衛門の旧宅跡、
後の富田林郡役所跡
の石垣 (西林町)


明治11年(1878年)7月22日府県の下に郡・区を置き、郡・町・村の区域・名称は従来のままとし、郡には、郡長一人、区には区長一人を置くことになったが、小さい郡の場合は数郡に郡長一人を置くことができた。町村には戸長一人を置くのを原則としたが、数町村に一人の戸長を置くこともできた。

河内国には、古市・八尾・枚方の3郡に役所が置かれることになった。石川・古市・安宿部(やすかべ)・錦部・八上(やかみ)・丹南・志紀の七郡の郡役所は古市郡古市村(現羽曳野市)真蓮寺に置かれた。区長・郡長は官選で初代郡長には、稲垣謙蔵が任命された。明治14年2月、堺県は大阪府に合併されるが、そのころから石川・錦部両郡で郡役所を富田林に移転する運動が高まった。

古市は東北に偏し輻輳の地ともいえず、管内第一の市街地で交通の要所である富田林への移転は趨勢となっていた。 曲折を経て、16年1月20日郡役所は富田林に移転、しばらく富田林御坊(興正寺別院)に置かれていたが、富田林西林に土地を買収して新築した。

敷地面積は四百十七坪、庁舎は木造瓦葺平屋七棟で、建坪は百三十六・八坪で費用は総額で二千二百十三円三十銭、そのうち千四百円が地方税から支出され、残り八百十三円三十銭は寄付金で賄われた。工事は十八年八月九日始まり、十月三十日に竣工、十一月一日に竣工式を挙げた。 (芝昇一 記、敬称略)

(注記)
上記内容は「石上露子を語る集い」芝昇一代表が2004年10月10日(日)午後に富田林市立中央公民館講座室で開催された同会10月例会の席上で講演された講演録です。講演内容は「富田林市史」をはじめ各種資料などから引用・ご朗読されたものです。同会会報10月号「小板橋」(第五十四号)に収録されました文章をそのまま転載させて頂きました。(2004年11月6日、歴史散歩、同会会員・「富田林寺内町の探訪」管理人)


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