[ 770] This is My life! 記入日時 2004年11月21日 (日) AM7:45 2003

金曜日の夕方、ANGIからメアド変更の知らせがきた。
何か訳あり。
そこで8月以来(
日記668)、会って話を聞いた。
波瀾万丈の人生。自分で人生を演出してるのかも知れない。
それでも一度きりの人生だ。見ていて清々しい。

そして昨日は、社員二人と飲みながらじっくり話をした。
会社の財務から始まり人事、そしてドラッカーの話もした。
そして、やる事を2つに絞った。一つ一つやる。

写真は渋谷のマークシティにあるX'masツリー。
去年と比べたら、色が違うんだね(^_^)(
日記431

さて、今日は事務仕事がたっぷりある。
街はあわただしいし、やる事もいっぱいある。一つ一つ。


[ 769] テニスボーイの死 記入日時 2004年11月20日 (土) AM6:50 2003

昨日の朝、日記を書き終えたころ、家の電話が鳴った。
普段家にいる時には電話は取らないが、早朝の電話には訳があると思い取った。
知らない人が何か用件を話し出した。
なんと、テニボが死んだというのだ。それも11月16日に。
通夜がすでに終わり、電話のあったその日に告別式だという。

ハンドルネーム=テニスボーイ。テニボ。
アスキーネットの実験時代からのネットワーカーで、早稲田を出てから故郷の勝田(水戸の先、ひたちなか市)で、雑貨屋をやっていた。勝田と遠く滅多に会えなかった。写真は1998年5月31日、船橋市馬込沢のコートがこの日を最後に使えなくなると言うので、来てくれた時のものだ。

写真で見て分かるように、肥満で苦しんでいた。
減量しても100キロを越えていたはずだ。

しかし、ネットワーカーの死はつらい。
本人同士は毎日のようにネットで読み書きしていても、本人が死んでしまっては、それを知るすべがない‥‥

昨日は弔電だけ打った。「ご逝去の知らせ受け、ただただ驚いております。ITNのみんなテニボの事を忘れません。
心からご冥福をお祈りいたします。 ITNを代表して、いであ」 本当にご冥福をお祈りいたします。さらば、テニボ!


[ 768] 今年はカラフルです! 記入日時 2004年11月19日 (金) AM6:30 2003

今年は3本を飲み比べてみました。写真左から、
ボージョレー・ヴィラージュ ブシャール・エイネ
ボージョレー・ヴィラージュ アルベール・ビジョー
ボージョレー ジョルジュ・デュブッフ

もちろんどれも美味しいかったです。
ボージョレーはヴィラージュを含めて、どれも明るいルビー色が色鮮やか、そしてフルーティーです。(
ワインの説明

今年は、2003年(
日記419)、2002年(日記105)と比べると、ボトルがより鮮やかです。
特にビジョー社のラベルはジミー大西が書いてます。素敵!

今晩もまた一杯、また一杯・・・
ヌーヴォに乾杯! フランスに乾杯!(^_^)


[ 767] 獅子座流星群 ― 星に願いを ― 記入日時 2004年11月18日 (木) AM6:10 2003

1つ、見えた気がしたんだけど…

写真は今朝5時の東の空。
もちろん写真には写ってませんが、僕は見えた気がしました。

1998年11月17日。それは沢山の流れ星を見ました。
それ以来毎年、この時期になると空を見ます。
でも、あの1998年の流れ星よりすごいのは見てないです。

しかし寒くなりましたね。
さっきはずいぶん着込んで、屋根に登ってました。

皆さんも、風邪など引かないようにして下さいねー(^_^)


[ 766] 北斗(Charles's Wain) 記入日時 2004年11月17日 (水) AM6:00 2003

それは1990年9月8日(土)の夜だった。

僕らは前日金曜日の夜、ITNのACE、ピエロン夫婦を調布でピックアップし姫木平の
ペンションレンガ屋に向かった。
同じITNのYさん、カナイさん夫婦とともにアルペンカップというテニスの草トーナメントに出場するためだ。

北斗は小学校の低学年から新幹線に一人で乗り、広島県の福山のおばあちゃんのところまで出かける子だったので、僕らと別に土曜の午後学校を終えてから一人で列車に乗り、中央本線の茅野からバスで
白樺湖まで来る事になっていた。
思えばこの茅野から白樺湖を通り、大門峠を越える道こそが国道152号線だったのだ。

さて土曜日の一日、テニスの予選を終えすでにお風呂も入り、夕方の5時前だったと思う、北斗を迎えに白樺湖に向かった。

夕方5時とはいえ、山はすでに暗くなり始めていた。僕は白樺湖畔のバス停で20分は待っていた思う。バスが2台行き過ぎても北斗の姿は見えない。僕は何かあったのかと思ったが、ここにいるよりはペンションに戻って、連絡を待った方がいいと思い、まずはペンションに引き返した。

時間は6時を過ぎても何の連絡もない。回りはすでに真っ暗。心配性のYさんなどはずいぶん心配していたと思う。
しかし僕は確信を持って心配はしていなかった。と言うのも、彼は普通の子と違っていたからだ。

それは幼稚園の頃、彼から聞いて知った話なのだが、友だちと自転車(子供用の補助輪がやっと外れたような)で
池上本門寺まで冒険旅行に出かけたのだ。しかし彼らは道に迷ってしまったのだ。
ところが、どこをどう走ったか大きい道路に出た彼らは、行き先に「大森駅」とあるバスを発見し、この道を行けば家に戻れると、必死に自転車をこいでバスを追いかけたのだ。案の定バスには追いつけなかったが、見慣れた道路に出てきた彼らは、夕方近く家に帰ってきたのだ。彼が幼稚園の話だ。

彼はこの時すでに小学校6年生だった。そんな話をしながらペンションで待っていたが、さすがに心配になってきた。
すると、なんと北斗がペンションに来たのだ!(実はこれには驚いた。)僕はただ連絡を待っていたのに。

彼は僕と会えないと知ると、ペンションは何回か行った事があると一人歩き出したのだ。白樺湖からペンションまで6キロくらいか。しかし大門峠は標高1500mはある。白樺湖から峠を登り国道152号線を歩き出したのだ。
(国道152号線は、今年の夏に北斗が写真の自転車旅行で通る事になる。)

大門峠を越えるとつづら折りの下り坂になる。あたりは森林地帯。当時は街路灯はなく、本当に真っ暗だっと思う。しかし運良く、彼はペンションに向かう自動車に拾われペンションまで来たのだ。それはそうだろう。真っ暗な山道を子供がとぼとぼ歩いていたら、何だと思うだろう。運が良かったのだと思う。

運が良かったで思い出した。彼は一度死にかけている。
幼稚園の年少の頃、膵臓にウィルスが入り低血糖になり、意識がなくなったのだ。救急で日赤に行ったがここでは処置できないと、東邦医大に回され、あと数時間遅かったら危なかったと言われた。
(実はその時も僕は仕事でいなく、父が彼を運んだ。いつも大事な時にいないと、それからずっと言われている。)

彼はその時1ヶ月間、一人部屋に隔離され入院させられた。忘れもしない暮れの12月24日から1月いっぱいだ。
そして、その病気が元でその後10年間ほど、彼は年に数回通院する事になる。低血糖で脳に障害が残るのではと心配させられたが、いま東工大にいるのだから低血糖でなければ今ころは天才か?(あはは)

親ばかついで書くと、彼はこのペンション一人行き事件の2年後の中学2年で、
世界チャンピオンになっている。
こうやって思い出すと、あっという間の事のようだ。彼はこれを読むとまた怒るんだろな。(^_^)


Copyright (C) 1988 IDEA Corp. All rights reserved.
idea@mxd.mesh.ne.jp