[ 1975] 武士道 と サッカー 記入日時 2010年02月16日(火) 7:10 

これは新渡戸稲造「武士道」対訳版です。
英語を勉強しようとして読んだのですが、実際は分からずじまい。
しかし先の「日本辺境論」で解説されて、やっと分かった本です。
その「武士道」ですが、昨日の昼間に追加アップした(日記1974+)「ボール支配率とカウンター攻撃」で「ゴール前の人数を増やせ」と書いた後、はたと気がついたのです。
「ゴール前の人数を増やす」とは、結果的に直接ボールに絡まない選手が出てきます。これこそディフェンダーを引きつけ、味方選手をフリーにさせる大事な動きですが、これこそ「武士道」なのです。
武士道に入る前に、話をサッカーに戻します。
相手よりより多く走り、局面で相手より多数になりボールを奪う。
これが現在のサッカーです。より多く走る事はフィールドでは割りと容易いのです。それは常にボールに直接的に絡むからです。つまりどんなに走ってもそれは自分にとって無駄な動きではありません。
しかし、相手ディフェンダを引きつけ味方選手をフリーにさせる走りは多くは無駄な動きになります。全速力でフリースペースに走っても、ボールは来ない。しかしその無駄な走りにより相手ディフェンダーが引きつけられ、味方選手がフリーになるのです。
実際プレーすると分かるのですが、この無駄な走りはフィールドではさほど苦になりません。フィールドでは、常に無駄な動きを要求されサッカーにおいて無駄な動きこそがフィールドプレーヤーに求めれる一番の仕事なのです。
ところが!ゴール前においては若干違うのです。
まずは、ゴール前に向かって無駄な動きをしてボールが来ないと、その落胆はフィールドとは格段に違うのです。自分は無駄な動きをしたにも関わらず、味方は勝手にシュートを打つかもしれません。
または、味方の別の選手にボールが回った結果、相手に奪われるかも知れません。
その時の心理状況は「俺にボールを回してくれ!」と味方を憂う気持ちが起こっても不思議ではありません。そこで自然とゴール前の無駄な動きには、決定的なチャンスしか動きたくないという気持ちが生まれ、無駄な動きが自ずと鈍るのです。
さて、そこで武士道に話を戻します。
新渡戸稲造は「努力と報酬の間に相関関係がある事が確実に予見せられることは武士道に反する」そう言うのです。
これが武家が商業を蔑視し、市場経済における武家が没落した原因です。武士においては名誉は実利よりもつねい優先し、それゆえ「正直は引き合う」という欧米流の商業道徳は武士道に反していたのです。
「努力と報酬の間に相関関係を求める」とは、つまり「頑張れば報われる」という事です。今では当然の考え方に思えますが、ではなぜ武士道ではそれを律するのでしょう。実は新渡戸稲造はそこまでは書いてません(と思う)。「日本辺境論」でそれを追求しています。つまり「武士道」の「道」を極めるための「学び」の理論です。師弟関係において弟子は「なぜ学ぶか」を師に問えません。なぜなら「学んだ事の意味や有用性を、弟子は事前には語れない」からです。この師弟関係の「学び」における順逆が転倒したかたちが構造化したものが、武士道の「努力と報酬の間に相関関係を求めない」につながると思うのです。
もう一つ武士道について書かなくてはならないのは、武道の「機」という概念です。「機」の概念は主体(自分)の規定概念を時間的にたわめて変えるという、言わば四次元的な話です。つまり真剣勝負において、相手がどう剣をおろすか、それに対し自分がどう対応するかと考える事自体、後手に回るとして考えてはいけないのです。考えた瞬間に「隙が出来る」のです。
「隙」を作らないように、振り降りてくる白刃に間髪を入れず対応するにはため、いかにタイムラグをなくすかですが、どんなに修行しても「自分」がいる限りそのロスはなくならない。そこで白刃が降りる刹那に新たな主体を生成する。それにより白刃はゆっくりが降りてくるように見える。これが「機」の概念です。つまり「別の人格を形成する」=「己ではない自分」。これこそが「努力と報酬の間に相関関係を求めない」につながると僕は思ったのです。(これは僕の推測です。でも正しいと思います。)
ところでこの「正直は報われる」という話は、東京新聞2月13日(土) 中谷巌(三菱菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)コラムに書かれてました。「このような人間の行為と報酬の直接的な関係を卑しいものとみなす武士道精神は、いまや欧米化されてしまった日本人にはもはや受け入れられないものなのであろうか。再考してみる価値はありそうですある。」
まさに武士道がいま見直されているのです。
さて、やっとここで武士道とサッカーの話になります。
もう今日の話の結論は見えていると思います。つまり、ゴール前に迫る無駄な走りこそが、武士道の「努力と報酬の間に相関関係を求めない」につながるのです。ボールがどんなに自分に来なくても、味方がどんなシュートをしても、武士道の精神に則れば心になんの迷いも生まれないのです。無駄な走りが鈍る事がないのです。
もう一つ「日本辺境論」の武士道を語る中で「学び」について重要な示唆があります。「師が弟子に教えるのはコンテンツではなくマナー」だというのです。何を学ぶかではなく重要なのは「学び方」を学ぶ事なのです。例えば、師が弟子に直接「教え」と関係のない便所掃除をさせたとします。その結果ブレークスルーが生まれる。これこそ「学び」神髄であり武士道なのです。
もう一つ、話を書きます。これも東京新聞2月15日(月)の朝刊、サッカーコラムを担当し僕の敬愛する大住良之さんの話です。彼は日韓戦で「信じられない場面を見た」というのです。それは1-3とリードされた後半残り5分を切った時、FW玉田が交代になります。彼はピッチを去るとき「ダラダラとタッチラインに向かった」のです。味方が1秒でも時間が欲しい時にです。これこそ今の日本代表に欠けている事だと。
さて、結論です。いまや僕自身も西洋文化に犯され武士道が理解出来ないできていました。「努力したら報われる」は当然と思っていましたし、武士道には違和感さえ覚えます。しかし、ここまで考えると武士道をもう一度見直す必要を感じるのです。そして、サッカーにおいては「結果を求めず」無駄な走りをするしかないのです。
最後にもう一つ書かなくてならないのは、サポーターの態度です。僕は後でニュースで知ったのですが、試合後のスタンドでブーイングがありました。それも「監督やめろ」という声まであったといいます。これも外国の悪しき習慣でしょうか。
いや、すでに日本人に根付いてしまっているのでしょうか。まったく嘆かわしいです。やはりこれも武士道精神が今や過去のアーカイブになっているという証でしょうか。
ぜひとも、サッカー関係者に「武士道」のなんたるかを教えて頂きたい。学校教育においても教科書で取り上げて欲しいです。
今日は長い文章になりました。短時間で書き上げたので言葉足らずだと思います。最後まで読んで頂いた方に感謝します!


[ 1974] 東アジアサッカー選手権 韓国戦を考える 記入日時 2010年02月15日(月) 7:20 

実はこの遠藤の写真は08年2月の日韓戦。(1-1。中国・重慶)
昨日の写真を検索してもいい写真がない。でも、2年前と同じだね。
昨日はハナマサにホタテを買いに行って夕方から調理したので、それを日記にしようと思っていた。
しかし日韓戦の後にウェインから「やばくない?」とメールがきた。そこで急きょ昨日の試合の事を書く。
日記1971↓で書いたように、前提が僕はみなと違う。
岡ちゃんの掲げる「WCベスト4」はあくまで目標で、実力では無理。
そもそも日本はやっとWC常連国になったばかり。それもアジア枠があるから出られるので、世界が均等に争ったらWC出場は無理だと思う。それが現状だ。そこから考えないとダメなのだと思うのだ。
だから、昨日1−3で韓国に負けたのも僕は受け入れられるのだ
しかし負けていい訳がないので、どうして負けたのかを考えてみる。

まず昨日は試合は韓国と日本のモチベーションが全く違った。韓国は中国戦で歴史的な敗北をきし、監督交代話もあった。
だから韓国が勝ち越しゴールした時に選手が監督に土下座して喜びを表したのだ。それに反し日本は相変わらず草食系。
いま僕は「日本辺境論」を読んでいるのだが、まさに昨日の日本は「おのれの独自性を貫かない。空気に流される」試合だ。
それが監督の責任と言ってしまえばそれまでだが、これこそ国民性なのだから仕方ないと、僕は諦めるしかないと思うのだ。
そんな精神論は100年もかかるので、ここでは置いておいて、戦術的な事だけを考えると、まず日本は韓国に対してここまでボール支配率が高くゲームするとは考えていなかったのではないか。結果的に韓国はカウンター狙いのゲームになった。
オランダ戦(日記1822)でも同じだったのだが、日本はカウンター戦に弱いのだ。それに対する備えがなされていなかった。
負け越して前掛かりになった時のカウンターへの守備。WCでも起こりうる問題だ。これを後4ヶ月でどう修正できるかだ。
守備に関してはこの点を修正出来れば、もう少しゲームが出来ると思う。問題はやはり攻撃だ。しかし光明は岡崎だ。岡崎のゴールへの嗅覚、執念は今までにないものだ。シュートなど技術的にはまだまだだが、岡崎が怪我をしない事を祈るのみだ。
日本で50年前は誰もサッカーを知らなかったのだ。そんなサッカー後進国がここまで来たのだ。100年後に期待してくれ!(^^;;

[1974+] ボール支配率とカウンター攻撃 記入日時 2010年02月15日(月) 11:20 

日記をアップしてから、少し考えてみた。「どうしてボール支配率が高くても勝てないか?」「どうしてカウンターに弱いのか?」
日本の戦術は「体格や技術に劣るので、相手よりより多く走り、攻守の切り替えを早くし、局面では人数をかけて、結果的にボールを支配し、ゴールに至る」というものだ。
だがよく考えると、この戦術ではボール支配率が自ずと高まる。ゴールまでは人数をかけてボールを支配する戦術だからだ。
昨日の試合などを見ていても、ゴール直前までは人数が勝っているために、ゴール前にボールを供給する事が出来る。
しかし、待てよ。例えば右サイドで内田と遠藤、それに憲剛が加わって、内田がセンターにボールを出す。
戦術通りだが、その後がいけない。ゴール前にボールを供給するのに人数がかかりすぎ、ゴール前に人数が足りないのだ。
そして、これでシュートに至らなければ、当然カウンター攻撃にさらされる事になる。
つまりシュートに至るまでのパサー数より、ゴール前人数の多い方が、シュートチャンスは増える。これが理屈ではないか?
それが現状は、パサーよりゴール前人数が少なく(たいてい1人)シュートチャンスは減るし、カウンターを許す事になるのだ。
この打開策は練習しかない。シュート前パサーよりゴール前に人数を増やし、シュートで終わる。この繰り返ししかない。
果たして後4ヶ月で修正出来るのだろうか?しかし今日も書いたように、これが日本のサッカーだ。愚直に進むしかないのだ。


[ 1973] ボイストレーニング ― 器用、不器用について ― 記入日時 2010年02月14日(日) 7:00 

Happy Valentine !  日曜日がバレンタインの今年はどうなの?
というか、オトナよりも例えば小学生の男の子を持つ母親の方が、一喜一憂してるよね。「うちの子、一つもチョコもらって来ないのよ」
えー。そもそもチョコをもらう男子なんて1%未満じゃない?(偏見)
その神聖なバレンタインの日に、日記は変なオジサンの写真だ。
今や僕のボイトレの先生なのに、変なオジサン呼ばわり。(^^;;
さて最近思うんですが、人って「器用と不器用が混ざっている」と思うのです。僕の場合、
どちらかと言うと、自分では不器用な方だと思っているのです。
例えば、1〜10まで達成させなくてはならない項目があるとすると僕は1を完成させないと2に行けない。いや、2に行けないどころか1に相当時間がかかってしまう。
これだけで鈍くさい。1を飛ばし2に行った方が結果的いいと思う。
僕はそれが出来ないのだ。例えばプログラミング(日記561)。プログラミングに関してはひどいもんで、メニュー(つまり1)が完成しないと次のマスター登録・削除など(2)へ進めないのだ。というか、1が完成すれば後の2〜10は簡単だと思ってる。
例えばスキー。これもひどい。若い頃はスキーに行くとすぐに滑らない。山回り(斜面を斜めに滑るだけ)だけを2時間も滑る。
山回りをしてはスキーを反転させて、また山回り。この単純な事を繰り返す。そうしないと滑れないのだ。(今は違うが(^^;;)
そこでボイストレーニングだ。この話をITNにしたら、コナちゃんが「声を出すときに意識して複式呼吸でお腹を意識して,歌に合わせてみました.そしたらなんと,5フレットのAが楽に出るじゃん!」とさっそく実際に声を出した報告をしてきた。
ところが僕ときたら、まだ腹式呼吸をしながらの腹筋運動しかしてない。毎日腹筋運動。そしてリップロールを始めたばかり。声を出すなど、まだ先の話に思えるのに、コナときたらすぐ声を出してやってる。そこが違う。これこそ不器用なんだと思う。
しかしその反面、器用な部分もあると思う。例えば最近始めたTwitter。これなんかスイスイ。でもルイはまだ携帯から写メをアップ出来ない。昨日やっとアカウントを取ったkageちゃん。まだまだ迷路の中。簡単にはいかないみたいだ。
かように、人は器用と不器用がいっしょになっているのだと、自分を慰めて日々練習に打ち込むのです。自分のやり方でしか物事は出来ないのだ。…しかし、このリップロール。声を出してやると途端にプツプツと出来ない。うーん。先は長いぞ〜


[ 1972] ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 記入日時 2010年02月13日(土) 6:40 

僕はクラシックを聴いてこなかったが、それでも聴くようになったのはpaulaさんやYさん、コナちゃんのお陰だ。

[Music]を見てもらえば分かるが、今年になりいくつも聴いてきた。
さて、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 辻井伸行×佐渡裕
辻井君の演奏はとにかく優しく、素晴らしかった!
レコーディング風景も佐渡さんの愛情あふれ、またいいのだ!)
僕は以前リーリャ・ジルベルシュテイン(N響)を聴いて感動した。
(10年くらい前の放送か、今でもそのビデオ・テープがある)
このジルベルシュテインや、YouTubeで検索した演奏とも違う。
素人の僕にも、辻井君が他の人と違う何かがあるのを感じるのだ。
ラフマニノフの生涯を思うと、このピアノ協奏曲第2番は特別な曲。苦悩から立ち上がった彼のドラマチックな生き様がよく現れている。
僕にはこの曲が100年も前の曲とは思えない。メロディーが非常に現代的に聞こえる。そして辻井君の演奏を聴いてより好きなった。
メロディーが頭に流れてる。しばらくはずっと聴くようになるな。(^_^)


[ 1971] 辻井伸行 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 記入日時 2010年02月12日(金) 7:50 

まず、ここ数試合の岡田ジャパンの事に触れないとまずいだろう。
最近の試合に関して、どうも岡田ジャパンに風当たりがよくない。
しかし皆なは、岡ちゃんの掲げる「世界を驚かす」や「WCベスト4」を鵜呑みにして、いまの代表を批判するのだろうか?
そこがそもそも間違っていると思う。岡ちゃんの掲げるのはあくまで目標だ。代表の実力からして「WCベスト4」はハッキリ言って「夢」。
僕らがサッカーを始めた頃「日本WC出場」が夢だったのと同じだ。
その辺を冷静に見ると、今の代表の戦いはそんな悪くないと思う。
ただ守備に関しては及第点だが、攻撃はまだまだ改善点がある。
日曜日の韓国戦に期待したい。
さて、辻井伸行君だ。
BS朝日に続いて(日記1967)、NHKの再放送を見た。
ピアニストの贈り物 〜辻井伸行・コンクール20日間の記録〜
実は前日にコナちゃんがこの番組をDVDに焼いてもってきてくれた。
やっぱり見てると感動して涙が出てくる。
DVDを見終わって番組表を見ると、なんと同じ番組をやるじゃない!
さっそく見終わったばかりの辻井伸行君をまた見る!(笑)
僕はクラシック音楽は詳しくない。でも辻井君の演奏を聴いてると何かが伝わるのだ。そこで放送後にAmazonで検索した。
debut
ショパン・コンクール 2005
ヴァン・クライバーン・ライブ
これら中から、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 辻井伸行×佐渡裕を選んだ。ヴァン・クライバーンで聴いたラフマニノフをもう一度聴きたかったのだ。(ヴァン・クライバーン・ライブではラフマニノフが収録されていない。)今日届きます。楽しみ〜(^_^)


Copyright (C) 1988 IDEA Corp. All rights reserved.
idea@mxd.mesh.ne.jp