(北海道/道東)
1998年8月2日(日)
岩尾別温泉・木下小屋〜知床五湖〜阿寒湖畔の宿(泊) |
今日は岩尾別温泉の木下小屋から阿寒湖への移動日である。バスは朝夕の2本しかないので、朝のバスに乗って知床五湖で降り、バスが知床大橋から引き返して来る間に知床五湖を見物しようという訳だ。
知床五湖の遊歩道は、観光客でいっぱいだった。
ここは、天気が良ければ知床連峰が並び立って見え、その雄姿を湖面に映すらしいが、今日は何も見えない。それに、五湖のうち三湖が「クマ出没につき立入禁止」になっていた。
ウトロからは観光バスで阿寒湖へ出た。途中、摩周湖へ寄ったが摩周岳(カムイヌプリ)はわずかにモヤがかかっていたが、山容はよく見えた。摩周岳はどうしても登りたい山だったが、バスの便が悪く近くに宿がないこともあって今回はエントリ−できなかった。
知床五湖 |
オシンコシンの滝 |
硫黄山 |
摩周湖 |
摩周湖の展望台からバスに戻る途中、若い男女7、8人のライダーがいた。思わずその中に同じ職場のM子さんがいないかと目で探してしまった。
M子さんはバイクで北海道へ来ており、今日はオンネトーでキャンプをして、明日、知床へ行くと言っていたので、今日はこの辺にいるはずがなかった。
阿寒湖近くまで来た時、雄阿寒岳がクッキリと見えた。バスの中からあわててシャッターを押した(写真左)。
今日の宿、「両国」は阿寒湖畔にあり、しかもバスターミナルから1、2分の距離にあった。
8月3日(月)
阿寒湖畔の宿420〜512滝口〜雄阿寒岳〜阿寒湖畔の宿−(バス)−雌阿寒温泉・野中温泉ユースホステル(泊) |
阿寒岳は、阿寒湖を挟んで向かい合うように雄阿寒岳と雌阿寒岳があり、2山でワンセットの夫婦山といわれている。そのため日本百名山を目指している人は、「両方登ってこそ価値がある」という人と、「いや、標高が高い雌阿寒岳を登ればよい」という意見に分かれている。実際は後者の方が多いようだが、私はどうせなら両方登ってしまおうと思っていた。
朝4時20分、阿寒湖畔の宿を出発する。大きな荷物は宿に預かってもらい、日帰り用のザックで出かける。登山口の滝口まではタクシーで行きたかったが、「朝は6時からしかやらない」というので、約3キロの道を歩いて行くことになった。
阿寒湖畔から釧路方面へ向かう道路を歩いて行く。途中でジュースを買い、朝食に持ってきたパンを食べた。
舗装道路を歩きながら、昨日、ヒゲを生やした青年がヒッチハイクで帰ったのを思い出し、我々もヒッチハイクをやってみようと思い、後ろから車が来るたびに手を上げたが、車は止まってくれなかった。
滝口へは約40分かかって着いた。5時12分着。(写真左)。ここまで3キロぐらいかと思ったが、4キロ近くはありそうだった。
滝口には、阿寒湖から阿寒川へ水を落とす水門があり、そこを通って太郎湖へ出る。以前、推理小説で、この太郎湖と次郎湖が舞台になっていたのを思い出した。その小説では、太郎湖まで車が入れるように書いてあったが、実際は車が入れる道はなく、樹林の中に細い登山道があるだけだった。
太郎湖からさらに登って行くと、樹林帯の中に次郎湖が左手に見えてきた。しかし、道は湖には行かず、ただ樹木の間から垣間見るだけだった。
今日は、空はどんよりとして薄暗いが、この樹林帯へ入るとさらに薄暗く、コケむした岩や切り株などが気味悪かった。登り口に「熊出没」の看板が立っていたが、遠くにある切り株を見るたびに、クマが出たかとビクビクした。
ここは人気がないらしく、登山者の姿が全く見当たらない。登山者はやはり雌阿寒岳の方へ行ってしまったのだろうか。
トドマツの樹林帯の中を、北側に登って来た道を右側へ回り込み、急斜面を登ると三合目になった。森林の間から時々青空が見えるが、こんな所で休憩していても休んだ気がしなかった。
ここからは急斜面のジグザグの登りとなり、四合目を過ぎ、五合目の手前まで来ると森林限界で、周りはハイマツに変わってきた。
ここで20才位の若者に追い越された。今日初めて人に会い、相棒と歓び合ったほどである。
五合目の標識の所まで来ると、さっきの青年が休んでいた。我々もここで休憩することにした。この青年は信州大の学生で、夏の間、阿寒湖畔のお土産屋さんでアルバイトをしているという。どうりで身軽な格好をしていると思った。
しばらくすると、北大の学生という2人が登って来て、近くに腰を降ろした。彼らは知床の羅臼岳から硫黄山まで縦走し、麓から滝口までヒッチハイクで来たという。
「実は、我々もヒッチハイクをしようと手を上げたが、止まってくれなかった」と言うと、
「何台位やりました?」と聞かれたので、
「7、8台」と答えると、
「そんなもんではだめですよ。30台も40台もやらないと……」
と言われる。我々は、オジさんなので止まってくれないのかと思ったが、若者でも根気よく頑張っているらしい。
それに、彼らは羅臼岳から硫黄への縦走中、クマに会ったという。
「50メートルほど先にクマがいたので、ジーとしていたら、逃げて行った」と平然と言った。
私が、「もし、クマが逃げなかったら?」と聞くと、
「その時は、歌でも歌いますよ」と、これまた平然とした顔で言った。もし私がクマに会ったら、恐怖のあまりにガダガタ震えているか、パニックになっているに違いないと思った。
六合目まで来ると、ハイマツに覆われた二つの山が見えてきた。右手の高い山が山頂かと思ったが、このピークは山頂ではなく八合目だった。ここに観測所の跡があった。
ここまで来ると、ガスの切れ間からひときわ高い、いかにもアルペン的な山頂が見えた(写真左)。ここで60代のオジさんとすれ違った。このオジさんは、今日中に雌阿寒岳も登るという。かなり元気なオジさんがいるものだ。
この登山道には一合目から十合目までの標識があるが、一合目から五合目までは登りが苦しく時間もかかるが、五合目を過ぎるとすぐに山頂へ着いた。五合目が実際の八合目のようなもので、少しインチキくさいと思った。
山頂からは、斜里岳や知床連峰がよく見えた。先程まで流れていたガスも消え、上空には青い空が広ってきた。しかし、肝心な雌阿寒岳にはうっすらと雲がかかってしまった。しかも近くにはレンズ雲があった。レンズ雲は低気圧の前線で、この雲が出るとろくなことがない。明日は雨かも知れないと思った。
(写真右は山頂から見た雌阿寒岳・・・本来なら雌阿寒富士がこのように・・・拡大)
眼下には、森の中の瞳のように、二つの美しい湖が見えた。誰かがペンケ・パンケではないかと言っていたが、遊覧船が見えたので阿寒湖らしい、とのことだった。
帰りも往路を下った。
登りの時に「ここの標識はインチキくさい」と思ったが、ここは距離で合目を算出しているらしい。急な上り坂も、平らな所も同じ距離で計算しているので、五合目までは急登が続くため時間がかかるが、五合目からは斜面が緩くなるので、短時間で着くことになる。まんざらインチキでは無いようだ。
パンケトウ? 雲海に浮かぶのは斜里岳? |
阿寒湖を見下ろしながら下山 |
下から両手に石を持って、カチカチ鳴らしながら登って来るオジさんがいた。「熊除け鈴がない時は、ああいう方法もあるのか」と参考になった。
登山口からは、またヒッチハイクをやってみたが、車は止まってくれなかった。4、5台やって諦めた。
宿へ戻って荷物をまとめ、バスで雌阿寒温泉の「野中温泉ユースホステル」へ向かった。車窓から雌阿寒岳が見えた。一瞬、カメラを出そうと思ったが、雌阿寒温泉へ着いてからでも撮れるだろうと思い、写真を撮らなかった。これが不覚だった。これが雌阿寒岳の最後の雄姿だった。