カムイエクウチカウシ山−4/4

1:札内川ヒュッテ〜八ノ沢出合〜BC
2:BC〜三股〜八ノ沢カール
3:八ノ沢カール〜カムエク〜三股〜BC
4:BC〜八ノ沢出合〜札内川ヒュッテ


2014年8月4日(月)

BC〜八ノ沢出合〜七ノ沢出合〜札内川ヒュッテ

BC435〜545八ノ沢テント場550〜608八ノ沢出合〜800七ノ沢出合815〜1025札内川ヒュッテ

 昨夜は何度も目が覚めた。風の向きで沢の音が変わる度に「雨か!」と気をもんだ。雨で沢が増水すればテントごと流されてしまうからだ。しかし、外へ出て見れば満天の星で雨が降る心配など全くなかった。

 今日も3時に起床。テントの前の石に腰を下ろし、コーヒーとパンで朝食。昨日登ったカムエクもまだ目覚めず、黒く浮かび上がったままだ。

 しばらくすると、周りが少しずつ明るんで来た。なんと爽やかな朝だろうか。今日は天気が下り坂というので昨日のような寒気もない。

 朝の澄んだ大気と沢のせせらぎ。そして次第に明るくなっていくカムエク。こうしていると、友人のキャンプの達人(Nさん)の気持ちが少し分かるような気がした。

(明るくなって来た1628mピーク)

 すっかり明るくなるのを待ってテントを撤収。

 カムエクに向かい、「カムエクよ、さらばじゃ〜!」と別れを告げ、4時35分、下山開始。

 八ノ沢テント場まで来ると、ツアーが下山の準備をしている最中だった。ここで一本立てて行く。

 八ノ沢出合を過ぎ、途中でFさんに追い着いた。そこから二人で下った。

 七ノ沢出合まで来て、初めてFさんと名乗りあった。

 札内川ヒュッテ10時25分着。これで今回のカムエク遠征は無事フィナーレとなった。

 帰りに日高山脈山岳センター(写真左)へ寄って、下山届を提出し、レストランで名物の豚丼を食べた。今宵は帯広のホテルへでも泊まろう。


【エピローグ】

 やっとカムエクを登ることが出来て、ホッとしている。
 とにかく、ここ数ヶ月は、すべてこの山にかけ、全神経を集中させて来たので、今はただボーとしている。

 そもそもこの山は、もう10年も前にガイドブックで左の写真を見た時、「絶対に登りたい」と思い、テントを買い、それがきっかけでテント泊で山へ行くようになった。二百名山を完登できたのも、この山のお陰と言っても過言ではない。


 最後に、恥ずかしながら6年前のビバークした時のことを教訓として記しておくことにする。
 まず道に迷い、ヤバイ!と思った時、最初に考えたことは、@水、A食料、B体力の温存だった。
@水は1.5L持っていたが、沢が多かったので補給には困らなかった。

A食料は、予備食と非常食を10日分に分けた(お菓子を1食3個)。それは救助要請しても天気が悪いとヘリが飛べず、最短でも5、6日、最悪の場合10日は持ちこたえなければならないと思ったからだ。(実際は不安と緊張で食欲など全くなかった)

B体力を消耗させないため、行動は最小限にした。
 一日目の夜は寒くて眠れず、二日目は一晩中焚き火をして夜を明かした。
 三日目になって、「寝不足では身体がもたない」と思い、昼間の暖かい時に寝ておこうと、寝場所を探すことにした。しかし斜面が急で身体がズレ落ちてしまい、「どこか平らな所はないか」と涸れ沢を下って行った。そしてその時、運命のピンクのリボンを見つけたのである。

 山ヤには、「沢は下ってはいけない」という鉄則があるが、それも時と場合による。私は沢を下っていなかったら大変なことになっていた。

C予備食、非常食は多めに持って行った。雨具、傘、ヘッデンは天気が良い日の日帰りでも必ず持って行くようにしている。ヘッデンは普段使用するものと、緊急時のSOS点滅用の2個を持って行ったが、カムエクでは、ビバークした場所からテント場が見えないため、SOS点滅も用をなさなかった。

D私はいつも山へ入る時、家族に「一日遅れても心配しないように。二日遅れたら心配してくれ」と言ってある。
 (ご夫婦などで山へ入られる方は親戚や近所の方に頼んでおくといいかも知れない)。

E携帯について。山中は全く繋がらない。カムエクの山頂でも繋がる時と繋がらない時があるようだ。Iさんが電話をしてくれた時に繋がったのは、本当にラッキーだったとしか言いようがない。ちなみに、今回は繋がらなかった。

 私はこの時の教訓から、その後、慎重に行動するようにしているが、一層慎重に行動し、安全で楽しい山旅がしたいと思っている。