鷲羽岳(わしばだけ)    18座目

(2,924m、長野県・富山県)

三俣蓮華岳から見た鷲羽岳。ここから見ると鷲が飛び立つように見えるという。
さて、あなたは鷲が飛び立つように見えるだろうか?


登頂歴
    B 2006.8月2日 太郎平〜黒部五郎岳〜三俣蓮華岳〜鷲羽岳〜水晶岳〜赤牛岳〜黒部ダム
    A 2001.8月8日 双六岳・黒部五郎岳・鷲羽岳・水晶岳
    @ 1978.8月2日 未完成の裏銀座縦走(烏帽子岳・野口五郎岳・鷲羽岳縦走)


未完成の裏銀座縦走


1978年7月30日  【1日目:信濃大町、葛温泉へ】

立川(夜行)−信濃大町−(タクシー)−葛温泉(泊)

 先週来たばかりの信濃大町駅へ弟と二人でやって来た。駅の改札口を出ると、前方の空に鹿島槍ケ岳がクッキリと見えた。
 先週は、アルプスは初めてというヤブさんを連れて、爺ケ岳から鹿島槍、五竜、唐松まで縦走したが、その間一度も姿を見せなかった鹿島槍が、今日はニクイほどまでに澄んだ空にクッキリと浮かび上がっていた。

「オイ、鹿島槍! 今日はやけにご機嫌だなあ、コノヤロウ! 今日はナア、お前に逢いに来たんじゃねえゾ! でもナア、写真の一枚ぐらいは撮ってやるワ!」
 駅前の商店街で一番高そうなビルを見つけ、勝手に屋上へ登って鹿島槍の写真を撮ってから、スーパーで買い出しをする。

 いつもは夜行列車で来るため、夜明け前にしか降り立ったことがない信濃大町であるが、今日は真夏の太陽に照りつけられて商店街が活気づいて見えた。


 今日はくず温泉泊まりなので、慌てることもない。昼食を摂り喫茶店でのんびりとコーヒーを飲んでから、タクシーで葛温泉の「高瀬館」へ行った。

 ここは山の中の一軒宿で、まさに秘境の湯治場という感じである。宿泊者も東京電力のダム工事関係者と登山者だけである。
 陽はまだ高く、弟と露天風呂で憩う。


8月1日  【2日目:葛温泉〜烏帽子小屋】

葛温泉600〜濁り〜1400烏帽子小屋〜烏帽子岳〜烏帽子小屋(泊)

 朝6時、葛温泉を出発。
 高瀬館のすぐ下で荷物を預け、ヘルメットをかぶって林道を歩く。近くでダム工事をしているためダンプが頻繁に通る。東京電力の好意で、登山者の荷物はにごりまでダンプで運んでくれるが、人間は運んでくれない。東電から渡されたヘルメットをかぶって、濁りまでトンネルを出たり入ったり。渓谷ぞいの道を歩くこと2時間余り。

 濁りまで来ると、登山者のザックが山積みされていた。自分のザックを引っ張り出して、ここでパンとコーヒーで朝食にした。
 ここは濁という地名だけあって、渓谷の水が白く濁っている。上流でダム工事をしているせいもあるかも知れないが、もともと石灰が多い地質のようだ。

 今日はスッキリ晴れ渡り、雲一つ見当たらない。
 ここから今日の目的地である烏帽子(えぼし)の小屋までは6時間のコースである。どの地図を見ても「北アルプス屈折の急坂」と記されている。北アルプスの3大急登に数えられているこの「ブナ立尾根」。とにかく6時間歩かなければ小屋へ着かないという、悟りというか開き直った気持ちで登り始める。

「ブナ立尾根」は、その名の通りブナ林の中に付けられた登山道である。背丈が10メートル以上もあるブナの大木が茂っているが、雑木がないため風通しは良い。しかし急坂でしんどい登りである。「アルプス屈折の急坂」を一歩一歩確かめるように登っていった。

 20分も登ると、身体は汗でぐっしょりになった。ブナの合間からギラギラした太陽が容赦なく照りつける。
 とにかく歩け、一歩ずつ前へ進め。額から流れる汗を最初のうちはタオルで拭っていたが、もう拭おうともしない。汗が顔を伝わってアゴから滴れ落ちた。

 しばらく歩いてから、
「おい、休もうやあ」
 と、後ろにいる弟に声をかけ、ブナの木陰で休憩する。谷間からさわやかな風が吹き渡ってきた。
 ブナの大木の間から紺碧の空が見えた。その中にポッカリ浮かんだ白い雲が、やけにのんきそうで心憎い。

 しばらく歩くと、右手にひときわ高い稜線が見えた。緑とガレた岩肌。あの緑はハイマツだろうか。稜線上にチョコンとしたピークが見える。あのピークが烏帽子岳だろうか。それともニセ(前)烏帽子だろうか。
 いずれにしても、すぐ近くに見えながら、なかなか着かない。もしあのピークが烏帽子岳なら、あと4、5時間はかかるはずだが、本当にそんなにかかるのだろうか。2、3時間もあれば着きそうな気がするのだが……。

 肩の荷がだんだんと食い込んでくる。弟のペースが大分落ちてきた。だが私はバテない。こんな所でバテてたまるか! 気力だ。気力で登るのだ。「頑張れ、頑張れ」と自分で気合いを入れながら、一歩一歩登って行った。

 大分歩いた頃、『烏帽子まであと2時間、小屋は待っている』と書いた標識があった。この辺まで来るとペースはさらに落ちた。最初のうちは30分歩いて5分の休憩が、20分に5分となり、今はもう10分歩いて10分の休憩だ。でも他の登山者も余り変わらない。

 さっきまで右手に見えた稜線が、今度は正面に見えるようになった。大分近くなってきた。
 空は依然として紺碧の空が広がっている。しかし、それにしても長い道だ。

 さらに登って行くと、右手前方にひときわ高く、槍ケ岳のように鋭く尖った山が見えて来た。後立山連峰の盟峰、針ノ木岳だ。良く見ると、針ノ木岳と蓮華岳との鞍部に赤い屋根の針ノ木峠小屋が見えた。

 さらに登って行くと、針ノ木峠の後方から鹿島槍が顔を出した。
「ああ、ヤブさんに見せたいなあ……」
 先週、北アルプスへ初めて来て、しかも鹿島槍を登っていながら最後までその雄姿を見ることができなかったヤブさん。それに比べ今日は何といい天気だろうか。このすばらしい展望。本当に信じられないようだ。

 「小屋まであと30分」と書かれた標識の所でお昼にした。湯を沸かしていると、朝から追いつ追われつ登って来た関西なまりの25、6歳のニイチャンが、我々の顔を見るなり道ばたにヘナヘナと座り込んで、そのまま寝そべってしまった。このニイチャンは、仲間が先に行ってしまい水も食料も持っていないと言う。そのニイチャンにも熱いコーヒーをご馳走してやった。
 サア、元気を出せ。小屋はもうすぐだ。3人で最後の道を歯を食いしばって登って行った。
 烏帽子小屋へ14時着。

 小屋で宿泊手続きを済ませ、ひと休みしてからカメラだけを持って烏帽子岳へ向かった。小屋のすぐ裏手にあるピーク、すなわち今日一日烏帽子岳だろうと思い続けていたピークはニセ(前)烏帽子岳だった。やっぱりニセ物。

 ニセ烏帽子の奧に本物の烏帽子岳があった。鋭く岩塔を天に突き上げている山容は、槍のように見えた。


(前烏帽子から見た烏帽子岳)

 山頂で誰かが手を振っていた。「ここで待っている」という弟を残して、私一人で烏帽子へ向かった。「20分もあれば往復できるだろう」と思ったが甘かった。ここは花崗岩の砂礫で歩きにくい。

 山頂には大きな岩が二つあり、一つは斜めになっていた。ガイドブックには『山頂は一人がやっと立てるぐらい』と書いてあったが、立とうと思えば2、3人は立てそうだった。
 さっき、ここで手を振っていた人達はいなかった。ニセ烏帽子にいる弟に向かって手を振った。

 そして、いったんその岩から降りて、もう一つの岩へ移動した。こっちの方が少し高いようだが、畳を横に立てたように両面が鋭く切れ落ち、ナイフのようだった。

 その岩を股いで、両手で身体をずって前進した。2メートルほど進んだ所が最高点だ。これはピークに立つではなく、ピークに股がったと言うべきか。

 岩に股がったまま、弟に向かって手を振った。しかし、両手を振る訳にはいかない。ここは2、30メートルもある大きな岩塊の最高点なのだ。しかも、ここはやせた稜線からモッコリと盛り上がっているため、黒部湖へ流れ込む東沢の谷底が眼下に見える。こんな所で転落でもしたら命の保証はない。
 それにしても、山のテッペンにまたがるなんて最高だ。まるで富士山をまたいだような壮快な気分だった。思わず童心にかえった。

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8月2日  【3日目:烏帽子小屋〜鷲羽岳〜三俣山荘】

烏帽子小屋550〜野口五郎岳〜鷲羽岳〜1505三俣山荘

 すこぶる快晴。2,500メートルの稜線上で迎えたアルプスの朝。さわやかな大気とすばらしい景観。ああ、この喜びを何と言えばいいのだろう。
 5時50分、三ツ岳を目指して烏帽子小屋を出発した。

 稜線上からは、振り向くたびに後立山連峰のパノラマが広がっていく。一番手前にある蓮華岳、その左手にひときわ高くそそり立った針ノ木岳。さらにその後方に広がる立山連峰と剣岳。

 さらに、登るたびに鹿島槍の二峰が姿を出し、その後方から白馬岳も顔を出した。


(裏銀座縦走路を行く。後方は烏帽子岳、立山連峰)

(針ノ木、蓮華、鹿島槍、白馬まで見える)

 高度を上げるにしたがって、今度は前方の視界も開けて来た。前方右手にある水晶岳の後方から、薬師岳の雄大な姿が見え、山頂近くにある雪渓が朝日に照らされてキラキラと光っていた。その雪渓の下の方に広がる緑の大地は何んだろう。薬師平だろうか。

 前方左手には、表銀座と言われる燕岳や大天井岳が見える。そして、その後方から待望の槍ケ岳が姿を出した。穂高も見える。バンザ−イ。感激だ! アルプスの大パノラマだ! この光景を、このすばらしさを一体なんと言えばいいのだろう。もう歩くのを止めて、ここでアルプスの展望を楽しもう!
 荷物を道ばたに放り出し、360度の展望を楽しみながらコーヒータイムと洒落込んだ。

 この辺は砂と砂利が多いため、高山植物の女王といわれるコマクサやリンドウ、タカネツメクサなどがいっぱい咲いていた。登山道でさえコマクサが咲き乱れており、登山靴で踏みつけないように気をつけた。

 三ッ岳(2844m)の山頂から見る水晶岳(2977m)がすばらしい。水晶岳はカールと雪渓を持った優雅な山だ。二つのピークから延びる雪渓が目を惹く。それに、白い雪と緑の山肌とのコントラストもいい。あの緑色に見える山肌は、ハイマツが茂っているのだろうか。


(三ツ岳山頂から見た水晶岳)

(三ツ岳の登りから見た水晶岳)

 水晶岳は、背後の立山や薬師岳の雄大さに少々圧倒されている感はあるが、やはり日本百名山に選ばれるだけのことはある。午後にはあの頂きに立てるかと思うと嬉しかった。でも距離はかなりある。深い谷の対岸にあるため、ぐるっと回り込まなくてはならない。

(左の写真は、野口五郎岳の斜面と槍ケ岳)

 野口五郎の小屋は、両側が尾根に挟まれたカール状の中にあった。そのため野口五郎岳の山頂は見えるものの、視界は一方向しか利かず、遠くの大天井岳付近しか見えなかった。

 野口五郎という山は、白い石ころだらけの山である。ひと抱えもあるような石がゴロゴロしている。もともとゴ−ローとは「石海」のことだそうで、そこからこの名が付いたという。

 小屋で缶ジュースを買い、庭先でジュースを飲みながら休んでいるうちに、遠くに見える大天井岳の上空に、白い雲が湧き出していた。


(右の写真は、野口五郎の山頂から見た裏銀座縦走路。中央が鷲羽岳、右がワリモ岳)

 野口五郎の山頂からは、槍ケ岳の北鎌尾根がノコギリの歯のように鋭く並び立って見えた。しかし、肝心な穂先が見えない。ポッカリ浮いた白い雲が穂先を隠してしまったのだ。その白い雲の右脇から、双六小屋の赤い屋根がポツンと見えた。

 信州側(太平洋側)は、いつの間にか雲がモクモクと湧き出していた。遠くに見える八ケ岳あたりは海の中に浮かぶ小島のように、山頂だけが雲の上に顔を出していた。この雲海が、やがてこの北アルプスの方まで延びて来るかも知れないと思った。先を急ぐことにした。

 水晶小屋へ向かう途中から見た水晶岳がすばらしかった。立山や剣岳もいぜん青空の中に聳えていた。赤岳付近は、その名の通り赤茶けた色のもろい岩と砂利で歩きにくかった。

 最後の登りを一気に登ると水晶小屋があった。ここからは今日歩いてきた山が一望できた。冷たいジュースを飲みながら烏帽子、三ツ岳、野口五郎岳の山々を眺める。

 (小屋は2006年現在のもの)

 そして、先程から気になっていることがあるので弟と相談した。それは前方右手(日本海側)の空に、イワシ雲が出てきたことだ。イワシ雲やレンズ雲が出てくるとろくなことがない。低気圧の最前線で、6時間から12時間以内に天気が崩れると言われている。遅くとも明日の午後からは雨になるに違いない。それまでに槍ケ岳まで行ってしまいたい。そのためには、今日中に三俣みつまた山荘か双六小屋まで行かねばならない。

 当初の計画では、この小屋へ荷物を置いて水晶岳を往復して来る予定だったが、天気が怪しくなってきたので水晶岳のアタックを断念して、このまま三俣山荘へ直行することにした。未練多い水晶岳ではあるが、弟と「いつの日か必ず登ろう!」と言って出発した。

 歩き出して10分も過ぎないうちに、日本海側からガスが流れ始め、アッという間に視界が閉ざされてしまった。本当に山の天気は分からない。濃い霧の中に冷たいものが混じってきた。あわててザックの下の方にあった雨具を引っぱり出し、いつでも取れるようにザックの上にのせておいた。
 視界が利かないため、鷲羽岳へ向かう道を間違えて雲の平の方へ下ってしまい、途中で引き返した。約20分のアルバイト。

 鷲羽岳の山頂は、濃いガスに覆われて何も見えなかった。それに雨粒も今までより多くなってきた。
 晴れていれば、この山頂から槍ケ岳の尖峰が見事に見えるはずだが、今は一面霧に包まれた白銀の世界。ちょっぴり悔しい気もするが、今日は朝から好天に恵まれたのだから贅沢は言うまい。

 雨の山頂ではのんびりも出来ず、すぐ三俣山荘へ向かった。小雨が降る中の下り道。すごい下りだ。せっかく登ったのに、こんなに下らされると損をしたような気がする。300から400メートルぐらい下った所に三俣山荘があった。小屋着15時5分。烏帽子小屋から9時間15分だった。
 小屋へ着いてから、台風が長崎沖に近づいていることを知った。そして、その晩から北アルプス一帯は大荒れとなった。

【晴れた日の鷲羽岳山頂からの展望】

(槍・穂高)

(水晶岳)

(薬師岳)

(笠ケ岳)

8月3日  【4日目:三俣山荘〜新穂高温泉】

 今日も風雨は収まらなかった。ほとんどの人が停滞と決め込んで朝食の後、布団へ潜り込んでしまったが、我々はその風雨を突いて双六小屋まで行った。

 しかし、すごい人でどうにもならなかった。昨夜泊まった人達が出発を遅らせていることと、今朝、近くの小屋から来た人達でごったがえし、庭先でさえ通勤時の満員電車のようで、とても宿泊など頼める状態ではなかった。

 結局、槍ケ岳までの縦走を諦めて、ここで知り合った茨城県のOさん達と一緒に新穂高温泉へ下った。
(昭和53年)

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