建物の倒壊

浅草凌雲閣

浅草凌雲閣
「地震」 中村左衛門太郎

文化生活研究会 大正13年より

構造別被害率(棒グラフ)

図 横浜における構造別被害 
データは新編 日本被害地震総覧より

建物の倒壊は、建物の被害だけに終わりません。建物の倒壊によって死傷などの直接的な人的被害と火災の発生が増加し、その火災の発生が人的被害を加速させます。

1891年(明治24年)に発生した濃尾地震では紡績会社や公共の建物であった煉瓦造の建物に大きな被害が発生し、煉瓦造の建物が地震に弱いことがわかりました。その後、コンクリート造の建物が現れますが、関東大震災当の建物はまだ煉瓦造の建物が多く、濃尾地震以前に建てられた煉瓦造の建物もそのまま残っていました。そして、濃尾地震の32年後に関東大地震が発生し、多くの煉瓦造の建物に被害が集中するなど耐震性を考慮されていない建物や粗製乱造の建物は容赦なく破壊されました。

その一方では、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の耐震性(右下の図参照)が明らかになったことから、鉄筋コンクリートや鉄骨造りの建物について新しい研究が起こり大きな進歩を遂げることになります。

右の写真は20階建ての浅草凌雲閣であり、8階で折れるようにして潰れたのは象徴的でした。また、横浜でも煉瓦造の横浜地方裁判所が倒壊し、まもなく付近一帯から発生した火災の猛火に襲われ、1つの建物で94名が犠牲になる惨事が発生しました。

浅草凌雲閣も横浜地方裁判所も濃尾地震の前年に建てられた煉瓦造の建物であり、耐震性に劣ることは分かっていたにも拘らず、有効な対策をすることなく関東大地震を迎えました。

現在においては煉瓦造はすでに過去の建築構造*1であり、煉瓦造が直接大きな問題になることはありませが、一度建てられた建物は耐震性に劣るとわかっていても耐震補強などの対策がされにくいという事実は当時と変わっていません。学校、体育館、病院、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所など、多数の人が利用する建築物で、建築基準法などに適合していない耐震性の劣る建物は、耐震診断を行い、必要に応じて耐震改修を行うことが法律(建築物の耐震改修の促進に関する法律)で定められています。しかし、このような公共性のある建物でさえ耐震化は進んでいないようです。(例えば、2003/3/24の読売新聞によると、耐震化率は小中学校の体育館で48.8%、公民館など公的建物で52.7%、医療施設で56.1%と記載されています。 内閣府が一月にまとめた全国調査)

*1 関東大地震当時、東京駅は建築中でした。東京駅を始めとして、煉瓦造のように見えても実体は鉄筋コンクリート造である場合がほとんどです。なお、横浜の赤レンガ倉庫は煉瓦造でしたが、碇聯鉄構法(ていれんてつこうほう)とうい耐震性が考慮された構造であって関東大震災を生き抜きました。