2004/8作成 2015/7更新
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 鎌倉市 KK-06
写真1
鶴岡八幡宮の大鳥居(一ノ鳥居) 海岸側を背にして鶴岡八幡宮方向を望む
この若宮大路を進むと、大鳥居(一ノ鳥居)から二ノ鳥居、三ノ鳥居を経て鶴岡八幡宮に至る
< 鶴岡八幡宮の案内板より >
祭神:応神天皇 比売神 神功皇后
当宮は源頼義公が前九年の役平定後、康平6年(1063)報賽*のため由比郷鶴岡後に八幡大神を勧請したのに始まる。
治承4年(1180)源頼朝公は源氏再興の旗を挙げ、父祖由縁の地鎌倉に入ると、まず由比郷の八幡宮を遥拝し、「祖宗を崇めんが為」小林郷北山(現在地)に奉遷し、京に於ける内裏に相当する位置に据えて諸整備に努めた。
建久2年(1191)大火により諸堂舎の多くが失われたが、頼朝公は直ちに再建に着手し大臣山の中腹に社殿を造営して上下両宮の現在の結構に整えた。
以来当宮は武家の守護神として北条・足利・後北条。徳川各氏も社領等の寄進、社殿の修造を行い篤く尊崇うした。
*報賽(ほうさい) 祈願の成就したお礼のため、神仏におまいりをすること。お礼参り。
(案内板は縦書き、漢数字をアラビア数字に変更)
写真2 同上
『寛文八年戌申八月…』の文字と破損した後に修復した状況が輪切り状になっているのが見て取れます。
「重修の記」によると、一ノ鳥居は寛文八年(1668年)に徳川家綱祖母崇源院の大願によって再興した鳥居であり、備前犬島産の花崗岩がもちいられています。この鳥居は関東大地震によって下部を残して大破転落(写真4参照)しましたが、旧観を損なわないように可能な限り旧材を再使用して昭和11年に修復されました。
写真3 大鳥居 重修の記
撮影:2004/7
写真4
一ノ鳥居の倒壊状況(鎌倉震災誌より)